60・【他者視線】建国記念及び新立太子の儀式
会場は、荘厳な雰囲気に包まれていた。
この世界では、即位・譲位・立太子など、その国の王族に関する祝い事の儀式には、必ず教会が祝福を授けると言う決まりがある。
今回行われるドルディット国の立太子の儀式に際しても例外ではなく、夜会が行われる際などは、磨き上げ、花を飾り、調度や料理を並べ、華やかに飾り付けられる会場は、現在は余計な調度品や装飾品は一切取り払われ、壁に窓に床、シャンデリアの細部に至るまで丁寧に磨き清められ、教会の規律に則って、壇上には祭壇と、教会の人間、そして王家の人間の席が設けられ、扉から祭壇までは真紅の絨毯が皺なく敷かれている。
その真紅の絨毯をはさんで両側に設けられるのは、見届け人として招待される近隣諸国の王侯貴族の席であり、通常であればその後ろに警護兵が配置され、その国の貴族たちが参列する。
しかし今回は、警護と招待された来賓の数の兼ね合いで、諸国王侯貴族の後ろに用意されるはずの貴族たちの席は、役職付きの要人以外、全員2階に設けられた。
何も知らない貴族たちは、そのことに歓喜した。
慣例によって用意される席では、王侯貴族の後ろという事もあり、後ろに行くほど何も見えない。 ただ音楽を聴き、雰囲気を味わい、起立して耐えるだけなのであるが、二階席であれば椅子も用意され、行われる祭事もしっかりと見届けることが出来るのだ。
会場への扉が開かれ、貴族たちは全員指定された席に座ると、扉は閉められ、騎士が立った。
前回に比べ、今回は随分と警護が厳重であるな、とは思ったものの、皆2階席の見晴らしの良さに驚き、そんなことなど心にも留めなかった。
やがて会場には優雅な音楽が流れ始め、呼名と共に、見届人として集まった、祖国の最礼服を身に纏った近隣諸国の王侯貴族が、続々と用意された席へと誘導された。
貴族たちが縁をつなぎたくとも拝謁すら難しい相手が下にいる。
2階席の貴族たち、とくに下位貴族はそれだけで皆、優越感に浸り、高揚していた。
そんな中。
とある人物の呼名に、会場は水を打ったように静まり返った。
煌びやかな最礼装を身に纏った王侯貴族の中でも、ひと際鮮やかで優美であると称されるローザリア帝国最礼装に身を包んだハズモンゾ女公爵夫妻が、皇帝陛下の名代の証として、美しい宝玉をサシェにあしらった姿で登場したのだ。
大帝国ローザリアの筆頭公爵家の女当主。 それは間違いなく、今日の招待客の中で、誰しもが縁を結びたい相手の一人である。
虎視眈々と、2階席の貴族たちが、式典の後に行われる夜会に向けて来賓を品定めする中、王族専用の扉が開き、ドルディット国の第一王女エルフィナが入場した。
彼女は来賓と祭壇の前で完璧なカーテシーを披露すると、壇上に用意された国王夫妻の席の後ろの椅子に座ると、ゆっくりと手を上げた。
音楽が変わった。
王族専用の扉の傍に立つ文官が、大きくその名を声にした。
一階席の来賓である王侯貴族は起立し、二階席にある貴族たちは最高礼を取る。
高らかにファンファーレが吹き鳴らされると、国王と王妃が連れ立ち、会場に入ってきた。
威厳を装うように堂々と王妃をエスコートし歩く国王は、壇上にて祭壇に一礼し、用意された席の前に立つ。
割れんばかりの拍手が送られる。
それににこやかに答えた国王が目配せをすると、ファンファーレは鳴りやんだ。
一歩、前に出た国王は、翡翠色の瞳を細めて治世者として笑顔を浮かべると、静かに口を開いた。
「本日は、我がドルディット国の建国を記念し、同時に、この国の行く末を明るいものとするために研鑽を重ねた我が息子の立太子の儀式を執り行えること、そしてその儀を立会人として我が国と友好を築いてくださっている多くの王族、諸侯の皆様にご出席いただけたこと、ドルディット国王として心より感謝申し上げる。
また、我が国を支える諸侯が誰一人欠けることなく集ってくれた事にも感謝する。
ここに至るまでに心配をおかけしたことを心苦しく思うが、それを乗り越えんと努力し、今日この場に立つ新しい王太子を、どうぞ支えていただきたいと切に願う。」
王の言葉に、会場のいたるところから拍手が鳴り響いた。
その反応に満足げに笑んだ国王と王妃が手を上げて微笑むと、次いで、祭礼用のラッパが吹かれ、祭壇へと続く絨毯の先にある祭礼用の扉が開けられた。
それを合図に、会場にいる全員がそちらに体を向け、最上礼を取る。
こつん。
杖で床を突く音が一つ、響いた。
ここでわずかに一階席の客の間で波紋が広がった。
扉から現れ、祭壇に向かって歩く人の足元を見た瞬間に、その人が一体誰であるかを理解したのだ。
動揺は、二階席の、上位貴族が座る一部でも起こった。
(――聖王猊下が何故ここにっ!?)
わずかに瞠目しながらも、姿勢を崩さずそれを見守る。
扉から現れたのは、その位にある者にしか着用を許されない純白の最高法衣を纏い、教会のシンボルである大きな杖を手にした、教会の最高位にある人物――神の代行者であり、世の天秤と言われる聖王猊下その人であった。
国の行く末を決める王家の祭典であるとは言えど、かの指導者が現れる事は皆無に等しい。
通常であればその役割を果たすのは、その国に在所する教会関係者の中で最高位である真紅の法衣を許された教会主・大司祭が行う事になっている。
(では、なぜ。)
静かに動揺する者達の目の前で、聖王猊下は深紅の法衣を着た最高位の司祭を4人従え、ゆっくりと用意された祭壇に向かっていく。
衣の擦れる音とともに、長いローブを翻し、聖王猊下は祭壇に立った。
こつん。
杖の音に、皆が顔を上げる。
(あぁ、やはり、聖王猊下でいらっしゃる。)
皆がその姿から目が離せない中、祭壇に立ち、静かに手を上げた聖王猊下は、穏やかに微笑み、そして口を開いた。
「今日という日、我が手によってドルディット国の新たなる指導者へ祝福を授けられることを、心よりうれしく思う。」
その言葉が一体何を意味するのか。わかった者は一階席に座る一部の者達だけ。
解らぬ者達はただ、その言葉を聖王猊下よりの祝福として聞き取り、歓喜するだけに過ぎない。
(あぁ、何かが起きる。 それも、この国の行く末を左右する何かが。)
意味を知る者も知らない者も、静かに次を待つ。
こつん。
その合図に、その場にいた皆が着席する際に、壇上にいる国王夫妻に視線をやり、あっけにとられた。
(なんと。 もしかして国王夫妻は、あの方が国を離れられると言う意味を解っていないのか。)
落胆と侮蔑の視線は、誇らしげに笑っている国王夫妻に注がれる。
その表情から察するに、彼らは誤解したのだろう。
『世界の歪みを正すとき以外、国から離れることのない聖王猊下が、我が国へは自ら王太子を祝福しにやってきた。それはこの国の行く末が明るい兆しになるだろう』、と。
(愚かな。 神の代行者と言われ、よほどのことがない限りは国の政に介入なさらない聖王猊下が自らいらっしゃった意味が解らぬなど、王として情けない。)
誰かが呟いた声など、国王夫妻と2階席に座る一部を除いた貴族は誰も気が付かない。
冷静に場を見極め見定めようとする者と、目先の吉事に浮かれる者にわかれたこの会場で。
聖王猊下に付き従う司祭の一人が手を上げた。
同時に、神の祝福を称えると言われる音色が、吹き鳴らされた。
一斉に、その音の方へ衆目が集まる。
カツン。
靴の音が鳴る。
皆が見守る中、靴音は徐々に近づいてきて、やがて、扉の直前で止まった。
「ドルディット国の新たなる指導者となる者よ。 ここへ。 神の祝福を授けよう。」
聖王猊下のその声に、祭礼服を身に着けた司祭が足を進めた。
一歩。
また一歩。
「お、おい。」
2階席で、誰かが声を小さく上げ、そこから動揺が広がった。
絨毯の上を、静かに歩く人。
神の祝福を受けるため、禊後に被らされる純白のヴェールを顔を隠すように深く被った、背の高い男性が、見届け人が見守る中、ゆっくりと、壇上に立つ聖王猊下の前に立つため真紅の絨毯の上を歩く。
「お、おい。 ……我が国の祭礼服は変わったのか?」
「いや、聞いたことがない。」
「そうだ、現に王家の方々は蒼白の衣装を着ていらっしゃる。」
小さなざわめきが広がり始める。
17歳の第二皇子とはあまりにも違う、しっかりとした体躯に所作、そして何より、身に纏う真紅の祭礼服で、猊下に向かって歩みを進める人物。
「では、あれは誰だ?」
ようやくそれが、立太子すると内々に発表されていたシャルル第二王子殿下ではないと気付いた一部の貴族たちが、席についたまま動揺を口に出し始め、控えていた騎士たちに窘められ、口を閉ざす。
しかし戸惑いの視線は、青年と、壇上にいる国王へと注がれる。
「陛下はまだ気が付かれていないのか……!?」
そんな動揺が二階席に広がっていると思っていない国王は、壇上の椅子に座って満面の笑みを浮かべ、息子がやってくるのを待っていた。
これから先の自国の繁栄を信じ、徐々に見え始めた、自分の駒――壇上へと上がってくるそれが、自分の思っていた者とは明らかに違う、異質な存在であることにようやく気が付いた国王は、目を見開き、立ち上がろうとした。
「式典の最中でございます、ドルディット国王陛下。」
そっと真紅の衣の司祭にそれを阻まれた。
「……いや、待ってくれ。 何か間違いが起こっているのだ。」
ドルディット国王の声に、司祭はただ制止を繰り返す。
「聖王猊下の御前でございます。」
「だが……っ!」
粛々と近づいてくるその異質に対しこみ上げる怒り。 抑え込めないその衝動に国王は血走った翡翠色の瞳を大きく見開き、やがて、外交のための王族の仮面をかぶる事を忘れ、顔を真っ赤にして震えだした。
王妃もまた、戸惑いの表情を隠せないでいる。
カ、ツン。
強く踵を鳴らし、祭壇の前に立った青年に、聖王猊下は柔らかく微笑んだ。
促され、胸に手を置き、膝を折り、頭を垂れた青年に、聖王は一歩、近づく。
「ドルディット国の新たなる指導者となる者へ、大いなる神の祝福……「猊下! それは我が息子ではありません! 偽物です!」」
椅子が倒れる大きな音と、怒りの衝動のままに己を制止していた司祭を殴り飛ばしたドルディット国王の叫びで、神の代行者たる聖王猊下の声はかき消された。
会場にいる者すべての視線が、壇上、駆け付けた他の司祭に抑え込まれ、なおも叫び声をあげるドルディット国王へと集まった。
「それは。 其処にいる者は、本日この国にて立太子する息子ではないっ! 別の人間だっ! えぇい、はなせ、無礼者どもがっ! 私はこの国の王だっ! 私自ら、その男の正体をさらしてやる!」
今にも飛び掛からんとする国王は、両腕を2人の司祭に抑え込まれ、唾を飛ばしながら叫んだ。
「今日は、我が息子の立太子だっ! 無礼をするな! 猊下! 聖王猊下! その者は偽物でございます! 立太子するのは我が息子なのです! その者ではありませんっ!」
もがき、暴れる国王の頭の上から豪奢な宝冠が滑り落ち、床に転がって音を立てた。
しかし、怒りでそれに気が付かない彼は、自分を抑えこもうとする司祭に向かってさらに罵声を浴びせる。
「離せ! 私はこの国の王だっ! 不敬であろう!」
彼はなおも司祭に向かい暴言を吐き、もがく。
「あなた……っ!?」
そんな国王に寄り添おうとした王妃の腕を、しっかりと掴む者がいた。
「誰ですっ! ……エルフィナ?!」
後ろに座っていたエルフィナが、母親である王妃の腕をつかみ、国王の傍へ行かせないようにする。
「なにをしているのです、陛下が大変なのですよ! これは何の真似ですか! 手をはなしなさい!」
それに、エルフィナは首を振り、静かに伝える。
「お母様、落ち着かれてください。 聖王猊下の御前です。 王妃としてふさわしい行動をお取りください。」
しかし、腕を掴んでいるのが娘だと分かった彼女は、自分を掴む腕に扇を強く叩きつけ、悲鳴のような声を上げた。
「娘とはいえ不敬よ、エルフィナ! 何を考えているのですか! お父様が、この国の国王が不当な扱いを受けているのですよ! シャルルではない男があの場に立っているのですよっ!」
「お母様、どうぞお静まりを。ここは……」
「なにを静まると言うのです! 落ち着いていられるものですか! このような大事な時に落ち着いていられる方がおかしいのですっ! ……まさか!?」
何とかなだめようとするエルフィナを忌々し気に睨みつけた王妃は、そう口にしたあと、はっと目を見開いた。
「まさかっ」
わなわなと震え、甲高い声を張り上げる。
「これはお前の差し金ですか!? こんな時に!? なぜ!? お父さまを守ろうとは思わないのですか!? シャルルを可愛いとは思わないのですかっ! なぜ! 親に逆らってばかりなの!? この出来損ないっ!」
その言葉にわずかに眉を下げたエルフィナは、それでも母である王妃に言う。
「お母様、どうか……。」
「うるさいっ! この手を離しなさいっ!」
バチンっ!
エルフィナの頬で、王妃の持っていた扇が割れて床を滑り、パッと血が飛んだ。
「お母様。 王妃としてどうか。」
「黙りなさい! どうしてお前は父と母の邪魔ばかりするのです!」
「そうではありません、話を……っ!」
左の頬を赤く染めたエルフィナは、しかしその手を放さず母に告げるが、手を離さない娘に苛ついた王妃は、さらに甲高い声で叫んだ。
「たかが第一王女の分際で、わたくしになんて口をきくのです! お前の様に口答えばかりするような親不孝者は、もう娘ではありません! この手を離しなさい!」
裂けた頬を赤く染めるエルフィナを思いきり突き飛ばし、国王である夫の傍に駆け寄る彼女の頭から正妃のティアラが落ちて乾いた音を立てた。
「聖王猊下! どうか、陛下の言葉をお聞きください! 猊下は、わたくしたちは我が娘に騙され、そしてその者に騙されているのです!」
「そ、そうです! すべては出来の悪く小賢しい第一王女の企みな……っ」
ガツン!
国王の叫びを、会場内に広がるざわめきをとどめるように、杖を叩きつける大きな音がした。
「静粛に! 聖王猊下の御前である。」
聖王猊下の後ろにたつ司祭が、声を上げ、辺りは静寂に包まれる。
壇上で、咎人の様に両腕を絡め捕られ膝をついたドルディット国王に、穏やかな顔をしたまま聖王は、まず、母親に押し飛ばされながらも自ら起き上がり、頬から血を滴らせながらも静かに己の席に座ったエルフィナを見やり、それから静かに国王夫妻に体を向けた。
「猊下。」
聖王猊下の最も傍にいた司祭が声をかけるとその声を聴き、口を開いた。
「まずはエルフィナ王女の傷の手当てを。」
それを聞いた近くの侍従が、慌ててエルフィナに駆け寄り席を立たせようとするが、彼女は式典中であるためとそれを断り、頬の傷の応急処置だけ求め、手早く終わらせた。
彼女の意を聞き届け、処置を終えたのを見届けた司祭は、再び聖王猊下の言葉を聴くと、ドルディット国王夫妻を見た。
「ドルディット国王夫妻の訴えを伺いましょう。 こちらにある、今から立太子の儀式を受けようとしている彼は、ドルディット国王陛下。 貴方の息子ではないと言われるのですね?」
聖王猊下の斜め後ろに立った司祭が問うと、顔を怒りで真っ赤にした国王は叫んだ。
「そうだ! ……いえ、その通りです! その男は私の息子ではない! この国の王子ではない! 現にこの国の王族の祭礼服を身に纏っていない! これは王家の乗っ取りだ! その男は愚かにも、この崇高なる式典の場に侵入し、我が息子を名乗り、聖王猊下を騙して国を乗っ取ろうとする醜い簒奪者です! この私から、この国を奪おうとする蛮族なのです! それを暴こうとした我らが、なぜこのような仕打ちを受けるのですかっ!」
唾を飛ばしながら聖王猊下に向かい、そう叫んだドルディット国王に、聖王は静かに司祭に何かを告げた。
「かしこまりました。」
静かに聖王の傍を離れた司祭は、この騒ぎの中、一切その場から動かなかったヴェールを被った青年に声をかけると、国王夫妻の前に立たせた。
「もう一度確認しましょう。 この青年は、貴方の息子ではない、と。」
「当たり前だ! 我が息子はシャルルのみ!」
『……醜悪な……』
小さな声は、誰の耳にも入ることなく霧散した。
抑え込む司祭を振り解こうともがきながら、ドルディット国王はさらに叫ぶ。
「私の息子ではない! 汚らわしい蛮族が! 国の威信にかけ、私が自ら斬り捨ててやる!」
国王は制止を振りほどき、腰に佩いた宝剣に手を触れようとして、目の前の司祭に一喝された。
「神の代弁者たる聖王猊下の前で、血なまぐさい行動は慎まれよ。 ドルディット国王陛下。」
「……しかしっ!」
静かに諫められ、ギリギリと歯ぎしりをしたドルディット国王の影から、青年に向かって飛び出した人影があった。
「きゃぁ!」
彼に掴みかかろうとした王妃は、すぐに別の司祭によって拘束される。
「わ、私は王妃なのよ! この国で一番偉いのっ! こんな事をして許されると思っているの!?」
「そうだ! 我が国内において、これは聖王猊下と言えど横ぼ……っ!」
ダンッ!
甲高い声を上げたドルディット国王夫妻の言葉を遮るように、司祭は大きく杖を叩きつけた。
「己が強欲のため、『神殿』という偽りの祈りの場を置き、異界の乙女を召喚し『聖女』と名乗らせ、さも祭り上げるかのように見せかけてそれを虐げ、国民を欺き、近隣諸国を欺き、教会を欺いてきた国の王と王妃が良く言ったものだ。」
「な、何を……?」
言われていることを一瞬では理解できなかった王は、その言葉を反芻し、そして、大きく翡翠色の瞳を見開いた。
「猊下! それは間違いで……っ!」
「それはどのような間違いなのか。」
「神殿は我が国の神話に基づいて作られたものであり、我が王家の始祖を称えただけの物。 国民を、なにより教会を欺いたことなど決してありません! そもそも、聖女などという者も、その神話の中の登場人物です。 実際には存在しておりません! 存在していない者をどうやって虐げるのでしょうか?」
捲し立てる国王は、自らに注がれる冷たい視線に気が付かない。
「では、神殿は神話の具現化であり、過去、現代において、聖女は存在しない、と?」
「その通りです!」
「そうか……。」
静かに、重く、司祭の言葉が紡がれる。
「では、ドルディット国王は、彼の青年を、どう説明するのか。」
必死に取り繕う国王の前で、司祭の手によって青年の顔を覆っていたヴェールがとり払われた。
その瞬間、王の顔は大きく凍り付き、彼の顔が見えた2階席の一部の貴族たちは動揺の声を上げた。
「ドルディット国王。 貴方は、彼が、自身の息子ではないとおっしゃったな? では彼は誰の子か。」
「……そ、その顔……は……。」
現れたその顔の、自分と同じ色の瞳でねめつけられた国王は、目を見開き、パクパクと口を動かした。
「……いや、知らない、知らない。 そんな……」
翡翠色の瞳を彷徨わせた後、もう一度彼を、彼の黒髪をみた国王は、再び、目を見開く。
同時に、雷に打たれたように身を強張らせた国王は、がくがくと震え出した。
「ま、まさか……あの時、の……」
言って、両手で口を押える国王に、無数の視線が突き刺さる。
「あぁ、貴方は覚えていた……いや、思い出したのですね、自分が聖女に行った非道を。 」
小さく鋭いその声に、歯切れ悪く、青年から顔をそらした国王と、どうして、何で、とつぶやく王妃。
「ちがう、ちがう! それは違う!」
叫びながら彼に掴みかかろうとし、さらに抑え込まれたドルディット国王に、司祭は静かに問いかけた。
「ドルディット国王よ、それが貴方の真実であるのだな。 では、それが誠か証明するために、見届け人としてここにお集りの王族諸侯、そしてこの国の方々へ見ていただこう。」
「ま、まてっ!」
司祭に腕を押さえ込まれ動けないドルディット国王の目の前で、彼は集まる皆の前に顔を曝した。




