57・ゲッカビジンと、申し出。
「大切な役者が二人もいなくなってしまったわ。 これでは話が続けられないわね……。 さて、どうしようかしら?」
小さく息を吐いてそう言ったハズモンゾ女公爵様に、お父様はやれやれと肩を竦め、トルスガルフェ侯爵はお茶の準備をするように指示を出していた。
そんな中、部屋を出て行ったマミと院長先生が気になり扉の方を見ていた私は、自分に影がかかり、人の気配を感じ顔を上げた。
私の目の前にはハズモンゾ女公爵様のご子息であろう、マミがパニックになった後も目を離すことのできなかった人物の顔が、穏やかな微笑みを浮かべ、私が気が付いたことに微笑みを浮かべると、皇族と見まごうばかりの優雅な所作で、胸に手を当てて頭を下げてきた。
「お手をよろしいですか。」
「……えぇ。」
戸惑いながらも頷くと、透き通る翡翠色の瞳を柔らかく細めた彼は、そっと私の手を取った。
「皇帝陛下の宝石姫、ザナスリー公爵家の白薔薇であるザナスリー公爵令嬢殿にお会いでき光栄です。 私はハズモンゾ公爵家嫡男ウルティオと申します。 どうやら話し合いは一時中断のようですので、よろしければ、トルスガルフェ侯爵邸の中でも珍しい花の咲く庭園へご案内したく。 貴女をエスコートさせていただく栄誉をいただいてもよろしいでしょうか?」
「……。」
突然手を取られ、あまりに突然の事に声も出せず、ちらりとお父様の方を見ると、お父様は大きなため息を一つついた。
「決して二人きりにはならないように。」
「もちろんです。 大切なご令嬢をお預かりするのです、我が家の女騎士を護衛につけさせていただきます。」
にっこりと笑った彼は、お父様に頭を下げた後、私の方を見た。
「お父様の許可も頂きましたので、参りましょう。 ザナスリー公爵令嬢。」
「では、よろしくお願いいたします。」
急なことで驚いたものの、ソファを立ち上がった私は、彼のエスコートを受け、入った時とは違う扉から廊下に出た。
(とても歩きやすいわ。)
ジャスティ第一王子殿下には最低限の公務でしかエスコートされたことがなく、普段の夜会などではお父様かアイザックとしか歩いたことのない私。 気遣う気すらなかったジャスティ第一王子殿下は論外として、幼い頃から共に暮らすお父様やアイザックではない人のエスコートは初めてだった。 そんな彼は、初対面であるにもかかわらず、歩幅や歩調など、丁寧に合わせてくれ、とても歩きやすいと思った。
そんな彼のエスコートで私たちがたどり着いたのは、昨夜、この屋敷に到着したときと同じ、噴水のある見事な室内庭園であった。
(昨日拝見したときにはゆっくり見る余裕がなかったけれど、この室内庭園、隅々まで手入れが行き届いていて、とても美しいわ。 風も気持ちいい。)
天井に近い位置に作られた窓はすべて解放されており、そこから差し込む柔らかな光と、吹き込む優しい風は心地よく、先ほどまで緊張で凝り固まっていた心が、ゆるゆると凪いで行くのがわかる。
「ここは、今から4代前の侯爵夫人が作らせたそうなんです。」
「そうなのですね。 大変心地の良い場所で、素敵だと思いますわ。」
そんな、差し障りのない会話をしながら、わたしたちは庭園の奥へと足を進める。
彼の足取りに躊躇するところはなく、屋敷内を歩きなれていることがうかがえる。
(この方は、トルスガルフェ侯爵のお屋敷に詳しくていらっしゃるようだけど……いつもは帝国にお住まいなのよね……? もしかしてこちらにはよくいらっしゃるのかしら?)
ちらりと彼の方を見れば、パチッと視線が合ってしまい、私は目をそらした。
「申し訳ありません。」
「何故謝られるのですか?」
穏やかにそういう彼に、私は静かに答えを返す。
「不躾でしたわ。」
「初対面で紹介もないままに突然散歩にお誘いしたのは私です。 ですから、先に不躾な真似をしたのも私です。 どうか謝らないでください。 ……実をいえば、今日、貴女にお会いできることを心から楽しみにしていたのです。」
「……私に、ですか?」
「えぇ。」
それは何故?
と、問おうとした時だった。 沢山の花が咲く花壇と彫刻の施されたプランターが並ぶ室内庭園の中の一角にある、私の背丈ほどもある大きな黒い箱の前で足を止めた。
「こちらです。」
「あの、お花を見に来たのでは、なかったのですか?」
「えぇ、これがその花です。」
私の問いかけに彼が傍にいた庭師に指示をすると、彼らは丁寧に丁寧に、その箱を取り去った。
「……まぁ!」
現れたそれに、私はつい、声を上げてしまった。
目の前には、背が高く大きなサボテン。 その中央には、まるで上質な絹を広げて作ったような、美しい白い花が一輪、大きく花弁を広げ凛と咲いている。
「何て綺麗。」
「喜んでいただけて良かった。 これは、ゲッカビジンといいます。」
「ゲッカビジン、ですか?」
その花のあまりの繊細な美しさに、目を離せずにいる私に、彼は穏やかな声で教えてくれる。
「はい。 実はこのゲッカビジンは、年に一夜、それもたったの数時間しか咲くことが出来ない儚く、しかし美しい花なのです。 初めてこの花を見た時、ぜひ貴女に見ていただきたいと思った。 そして、今日、貴女にお会いできると聞いた私は、これを見ていただきたくて、庭師たちに少々無理を言い、開花調整をしてもらったのです。 喜んでいただけて良かった。 無理を言って運び込んだ甲斐がありました。」
その言葉に、私ははっとして彼を見た。
「もしかして、わざわざ帝国からお持ちになったのですか?」
「えぇ。 先程も申し上げた通り、どうしても貴女に見ていただきたかったものですから。」
嬉しそうに笑った彼の翡翠の目が合った私は、また、咄嗟に目をそらしてしまった。
(しまった。)
先程もそうだが、こんな風にあからさまに目をそらすなど、相手に大変失礼だ。
「も、申し訳……。」
「いいえ、お気になさらないでください。 先ほどサロンにいた時も、私の方を意識して見ないようにしていらっしゃるようでした。 いいのです、理由は解ります。 私はこの顔ですから。」
彼のその言葉が何を指しているかわかった私は、小さく首を振った。
「いいえ、そうではないのです……。 ご気分を害するような事をしてしまい申し訳ありません。」
「お気になさらないでください。 貴女にとってこの顔に良い印象はないでしょう。 衆目が集まる公的な夜会の場で、婚約破棄を言い渡されたのですから。 修道院に入られるほどには、そのお心は傷つかれたのに、同じ顔があるのです。 動揺しないわけがありません。」
「いえ、あの……違うのです。」
そうではないと言う事を伝えようとしたのだが、彼は悲しそうに微笑んだ。
「お気遣いくださらなくても大丈夫ですよ。 先ほど倒れてしまった令嬢の様子を見ても、よくわかります。 それほどまでに私の顔は、貴女や彼女の心の傷をこじ開けてしまうほどに、血縁の父に似ているのでしょう……大丈夫です、この顔に対して皆が驚いたりするのは……もう、慣れています。」
「……。」
(……傷心で、というのは事実と違うのだけど、驚いたのは、そしてこの方を傷つけたのは事実だわ……。)
その事実に、私はぎゅっとこぶしを握った。
そう。
顔を上げ、彼の顔を見た時、私は自分が動揺を隠せたことを褒めたいくらいに、本当に驚いた。
彼の、何色にも染まる事のない漆黒の髪の毛以外は、その澄んだ翡翠の瞳も、彫刻の様に美しい顔立ちも。
輝く金の髪をもち、紺碧の瞳を持った、誰よりも国王陛下に似ていると言われた私の元婚約者であるドルディット第一王子殿下よりも、似ていたのだ。
気付かれぬよう一呼吸置き、私はもう一度頭を下げた。
「申し訳ございません。」
「そのように気にしないでください。 貴女があやまる必要はありません。 これは誰を責めることも出来ない、どうしようもない事です。 貴女は、私の血縁の父の事は御存じですか?」
それには、偽る必要性がないと判断し、静かに頷く。
「はい。 院長先生から伺っております。」
「大丈夫ですよ。 あの場にいたと言う事はそういう事なのだと私もわかっています。 私は生まれて間もなく、3人の母の尽力により、ハズモンゾ公爵家に養子として引き取られました。 父も母も大変厳しかったですが、同時にとても愛し、慈しみ、公爵家の嫡男として育ててくれました。 私は両親に育てられ、妹もでき、とても幸せに暮らしていました。
しかしある日、私はこの顔とそっくりの顔を王宮で見たのです。 他国の王が自分に瓜二つだった。 それはあまりにも衝撃的で、1週間寝込み、その病床で、父と母にお願いをして、すべてを教えてもらいました。
生みの母のこと、育ててくれた2人の母のこと、そして血縁上の父のこと。 すべてを知った私は、正しく父と母の子である妹を後継としてもらい、私自身は社交界の表舞台に顔を出すことを止めました。 それが7歳の時です。 あぁ、誤解しないでくださいね。 父と母は私の出自など構わないと言ってくれたのです。 それを良しとしなかったのは私なのです。」
1人の子供が背負うには苦しい話を、とても穏やかに話すハズモンゾ公爵令息は、静かに私を見て微笑んだ。
「そんな私を、父も母も、幼い頃から皇宮によく連れて行ってくれました。 血縁上の父を見たのも、実はその時の出来事だったのですが……。 ご存じの通り、母は皇妃殿下の妹ですから、お茶会と言って私と妹を連れ出し、皇太子殿下や第二皇子殿下と遊ばせていたのです。皇帝陛下は、将来は皇太子殿下の側近になればいいと言ってくださり、共に勉学を学ばせてもくれました。 その時です。 貴女の話を聞いたのは。」
「え?」
突然話の流れが変わり、しかも自分の事が出てきたことに驚いた私に、彼は微笑んだ。
「ある日、貴女とアイザックの絵姿を見せてくださいました。 そして、2人ともとても優秀であること、楽器を上手に奏でる事、勤勉である事、そしてドルディット国の王命で王子の婚約者となってしまった事。 ……その後も事あるごとに、貴女の外交手腕がどれだけ素晴らしいか、とても大人びているのに甘い菓子が好きであること、アイザックとどれだけ仲が良いかなど、たくさん聞いたのです。」
「そ、それは……。」
突然の事に、私は羞恥で顔が熱くなるのを感じた。
(伯父上様! 臣下の子供に何伯父馬鹿を爆発させていらっしゃるのですか!? 恥ずかしい!! もしかして他の皆様にもそんなことしていらっしゃたのですか!? だから外交の時、皆様微笑ましく私を見ていらっしゃったのですか!? もうっ! もうっ!)
突然の事に怒りよりも恥ずかしさで居たたまれない。 次にお会いしたときには本気で抗議するしかないと決心しながら、頭を下げる。
「それは、伯父上様が大変ご迷惑をおかけしました。 ぜひお忘れください!」
「それは、出来ません。」
きっぱりと言い切られ、私は困惑する。
「あ、あの……。」
「私はお話を伺い、絵姿を拝見するたびに、大変可愛らしい方だと思いました。 貴女が婚約破棄されたと聞いた時には駆け付けたいと思い、その後皇帝陛下の采配で弟君であるアイザックと知り合ったあとは、彼からもいろいろ聞きました。 修道院から送られてくるアイデアには、本当に驚かされましたよ。」
(アイザックまで何をしているの……? もう! もう!)
恥ずかしさでどうにかなりそうになりながら、私は平静を取り繕い、微笑む。
「ハ、ハズモンゾ卿は、アイザックと仲良くしてくださっているのですね。」
「えぇ、彼が帝国に来て、皇妃殿下のお茶会で顔を合わせてからはよく話をしておりましたね。 私は個人で商会を所有していますので、彼が帝国で商会を立ち上げるときに助言を求められましたし、逆に、彼が商会で新商品を出し始めた時には、その柔軟な発想にびっくりし、何度も話をしました。 その時に、商品が貴女のアイデアであると聞いたのですが。 子供用のおもちゃなど、本当に画期的で素晴らしい商品でした。」
(私がいないところで何を話しているの!?)
今すぐここから逃げてしまいたいと思い、私は俯いた。
「女だてらにとお思いでしょう……? お恥ずかしい限りです。」
「そんなことはありません。」
そっと私の手を取ったハズモンゾ卿を見れば、彼は穏やかに微笑むままだ。
「あの、ハズモンゾ卿?」
「ウルティオと、お呼びいただけませんか? そして私に、お名前を呼ぶ栄誉をいただけませんでしょうか?」
「では、ウルティオ様、と。 ……私の事は、ミズリーシャとお呼びください。」
断る理由などなくそれに頷いた私に、彼は嬉しそうに微笑んだ。
「ありがとうございます。 ミズリーシャ嬢。」
にっこり笑って彼が私の名を呼んだところで、温室に誰か別の人が入ってきた気配を感じた。
「こちらにいらっしゃいましたか。 皆様がお待ちです。 サロンへお戻りください。」
「わかった。」
僅かの間、見ているこちらの背すじが凝ってしまいそうな、すべての表情を落とした冷たい顔をした彼は、一度ゆっくりと目を伏せると、先ほどの冷たい表情とは明らかに違う、穏やかで優し気な微笑みを浮かべて私の方を見た。
「ミズリーシャ嬢。」
「はい?」
「貴女がこれからお聞きになるのは、ローザリア帝国と教会、ドルディット王国と神殿にかかわる重大な話になります。」
それには、解っていると頷く。
「はい、詳しくはお聞きしておりませんが、何か大きなことを成し遂げようとなさっていることは、存じております。」
少し目を見開いた彼は、『やはりあなたはとても聡い』と呟いた。
「私も、貴女も、そしてあなたが友と呼んだ彼女も、この大きな渦に巻き込まれることになるでしょう。 そして、その後はとても大きな混乱が待っているのは確実です。 そしてその混乱を収拾するために、私はその渦中にこの身を投じることになります。 覚悟はしています。 そのために今日まで生きてきたのです。 ですが……もし、望めるのであれば……その時、貴女が傍にいてくれたら、と。」
「……え?」
言われた言葉に顔を上げた私に、ウルティオ様は慈しむように私の手を両手で包み微笑むと、そのまま私の正面に膝を突いた。
「あ、あの。 ウルティオ様。」
突然の事に慌ててしまった私の手の甲に、彼はそっと唇を落とした。
「お会いしたばかりだと言うのにと、信じていただけないかもしれませんが、私は、幼い頃から皇帝陛下や皇妃殿下、ここ2年ほどは、アイザックやあなたの母上を通して貴女の話を聞き、その気高さ、強さ、美しさ、かわいらしさ……そのすべてを愛おしいと思い、心からお慕いしていました。 今すぐに答えが欲しいなどとはけして申しません。 この容姿は、私でさえ嫌悪しているのです。 傷ついた貴女を苦しめるには十分でしょうから……。 しかし、もし、貴女が許してくださるのならば。 生涯を共に歩む相手として、私を選んでいただけたらと願っております。」
「……わ、私は……」
あまりに突然の事に答えを出すことも出来ず、ただ戸惑うだけの私に、彼は何も言わずに微笑むと、すっと立ち上がった。
「先ほど申し上げた通り、答えは急ぎません。 何よりこれから先、このようなことは考えられなくなるほど忙しくなるでしょう。 御心を惑わしてしまった事をお詫びいたします。 サロンへ戻りましょう、ミズリーシャ嬢。」
そう言って、何事もなかったかのように私をエスコートするウルティオ様に手を引かれるまま、私は室内庭園を後にした。




