52・仕事とは。 友人とは。
唐突ですが、前半は授乳シーンです。
読むとちょっと後半の話につながりますが、生々しい事と、ややお下品なネタが入っていますので、苦手な方は後半だけお読みになってください!
繰り返しになりますが、自衛をお願いいたします
「ふゃ……ふやぁ……ふにゃぁ。」
まだ少し弱弱しく感じる泣き声が、うす暗い部屋の中に響く。
「はいはい。 おっぱいだよね? ちょっとまってね~……。 よし、はい、どうぞ。 あれ? ちゃんと吸わない。 こうして口の中に入れて……ほら、吸って。」
オフィリアの部屋におやつを持ってきた私は、今、部屋に入ってすぐのところで固まっています。
「あれ? 確かこうして吸わせるんだよって言ってたんだけどなぁ……抱き方とおっぱいの形があってないのかな……う~ん、ちょっと待ってね。」
ぽろーん! と、おもむろに胸元を大きく開けて豊かな胸をあらわにし、泣いていた小さな小さな赤ちゃんを抱っこしたオフィリアだが、その光景(?)を私は直視できなくて、慌てて天井近くの方に視線を移した。
「これでどうかな? お口開けて、ほら、含んで。 ……あれ? 上手くいかないなぁ。 やっぱり抱き方が悪いのかな? ミーシャ、ごめんなさい、おっきい枕2つ頂戴。」
名を呼ばれた私は、びっくりして彼女の方を見、慌てて少し視線を話して問いかけた。
「ま、枕ですか?」
「うん、赤ちゃんが上手におっぱい飲んでくれないから、ラグビーボール抱きで飲ませてみたいの!」
「ラグビーボール……抱き?」
言われている意味が解らず、それでも頷いて手に持っていたおやつとミルクの載ったトレイを近くにいた侍女に目配せしてテーブルの上に置くと、扉を自分が通り抜けられる分だけ開けて何とか部屋を出、そこからは足早にリネン庫に向かうと、大きめの枕を2つ、それから目に入った大判のショールを抱えて来た道を帰る。
「こ、これでいいですか?」
「うん、ありがとう。」
部屋の前に戻り、ノックをしてから細目に扉を開けて中に入ると、先ほどと同じ前をはだけさせたままの状況のオフィリアが真正面にいて、赤ちゃんを落とさないようにベッドに戻し、私から枕を受け取る。
「これを、こうして……こうして……どうだ!」
ベッドの上で胡坐を組み(私はもちろん、侍女さんは目をまん丸くしていた)、自分の前と両横に安定するように枕を置いたオフィリアは、泣いている赤ちゃんを抱き上げ、自分の小脇に抱えるように固定すると、小さな口に胸をふくませようとする。
「ほら、パクッてくわえて。」
小さな口を誘導するように自分と赤ちゃんの体を密着させ、オフィリアは必死に声をかける。
「ふにゃ……ほにゃ……。」
せっかく口の中に入れても口からはみ出したり、出てしまい、うまくいかないようでオフィリアは首をかしげる。
「う~ん、うまくいかないなぁ。 なんで上手にくわえてくれないのかなぁ?」
自分の胸と赤ちゃんを繰り返し見て試行錯誤するオフィリアに、私は立ち去る事も出来ず、かといって出ることも出来ず、とりあえず彼女を直視しないように天井の方を見る。
(……どうしましょう……このまま両方の胸が丸出し状態のところに私がいるのは良くないのだけど、話があると言っていたし……ここにいていいのかしら……? あ、そうだ。 ショールを持ってきたんだったわ。)
「オ、オフィリア、とりあえずショール、かけるわね。」
「わぁ、ありがとう。」
枕と共に用意したショールを広げ、オフィリアをなるべく直視しないようにして肩にかけると、彼女は喜んでくれたのだが、他人様のお胸が間近に見える場所に立ってしまった私は、恥ずかしくてしょうがない。
そっと離れるときにまた見えてしまい、視線を逸らす。
(流石に侍女は平気な顔をしているけれど……目のやり場に困るわ。 それと……)
彼女の方を見ないようにしながら、目の前にある自分の控えめな胸のふくらみを確認し、視線を天井に上げて、ちらっと見えてしまった(何ならぼんやりと今も見えている)立派に豊かなオフィリアとの胸の差にちょっとだけ目頭を押さえる。
(前世でも控えめな方だったけれど……こう、足して二で割ればちょうどいいんじゃないかしら……。)
そう思って思い出した。
身体測定の時に大きなお胸の子が『胸の分は体重から引いて! 結構重いし、不公平!』って言っていて、そんなことできるわけないのに何言ってるんだろうなぁ、大きいって自慢をしたいの? って思っていたけれど、今、彼女の立派な胸を見てわかった。 これが首から左右に二つもぶら下がってたら、絶対に重いし肩も凝る! 体重に『乳差ー〇kg』って書いてほしくなるはずだ。
(話がそれてしまったわ。)
そう、それにこのままじゃダメだ。 おもに私の羞恥心が焼き切れてしまう。
「……オフィリア、あの、私……。」
「ねぇ、なんでだと思う? ミーシャ。」
「え?」
気恥ずかしく、居たたまれなくなって話は後でもできるから仕事に戻ろう、と思い声を掛けようとすると、彼女の方から真剣な顔で話しかけて来た。
「おっぱい。 ママが産婦人科で習ってたのを思い出して頑張ってるんだけど、赤ちゃん、全然吸ってくれないの。 ミルクとの混合でも大丈夫って知ってるけど、最初のお乳はあげたほうがいいんでしょう? 赤ちゃんがちっちゃいからかな? それともあたしが下手くそなのかな? もう、どうしたらいい?」
「は、はぁ……。」
本当に悩んでそう言ったであろうオフィリアの方を見、つい目が合った私は、おもむろに見えている光景と、突き付けられた質問に混乱し、どう答えていいかわからず、慌てて視線をそらし……それからそうだ、と手を打った。
「それは私では力になれないので、他の人を呼んでくるわ。 待っていてくれるかしら。」
「え?」
「え?」
急ぐようにその場を立ち去ろうとした私に、少し傷ついたように瞳を揺らしたオフィリア。
そんな様子に私は一瞬立ち止まり、これは私の行動が誤解を招いたかもしれない、と慌てて説明をする。
「あの、私、哺乳瓶でのミルクのあげ方はわかるんだけど、その……直接、は、初めて見るから……わからなくて。 産婆のノーマや、経験の多いシスター・サリアなら、きっと今のオフィリアの助けになると思います! なので誰かを呼んできますね?」
そういうと、引き締めた口元をわずかに緩めたオフィリアは一つ、頷いた。
「そうだよね。 うん、わかった。 お願いできる?」
「わかりました、すぐ来てもらいますね。」
「あの、ミーシャ。」
扉のノブに手をかけた私の背後にかかった声に振り返ると、オフィリアは小さな赤ちゃんを抱えたまま、すがるような目で私を見た。
「また後で、来てくれる?」
「もちろんですよ。」
そう答え、いつもオフィリアがするようにひらひらと手を振って部屋を出ると、ひとつ、深呼吸をしてから養育棟へ向かった。
「それは、まぁ、びっくりしたでしょうけど。」
オフィリアと赤ちゃんの経過と、さきほどの授乳でお胸丸出しになってしまうのはどうしたらいいか困ったと話すと、びっくりしたように笑ったマーナ。
「まぁここは修道院で、男がいるわけでもないし、彼女の生来の性格もあるでしょうけれど、入ってきたのがミーシャだったから恥じらい? が、抜けていたのかもしれないわね。 ミーシャはお産にも立ち会ったのでしょう? だからミーシャに対しては、オフィリアも隠す必要がないと思ったのかもしれないわ。 第一、胸を出さないと赤ちゃんにお乳はあげられないでしょう?」
「それは、そうかもしれませんが……。」
乾いたばかりの洗濯物がたくさん入った籠を床におろしたマーナさんに、シンシアのおむつ交換をしながら笑い事ではないのです、と私は返す。
「もしそうだとしても……こう、もう少し恥じらいをもって、人が来たら隠すとか……もしくはそこだけ出すと言うか……。」
「それは、あの寝間着では難しいわよねぇ。」
マーナさんの言葉にいつも着ている寝間着を思いだす。
言われてみれば、首元から胸の下あたりまでボタンのついた、丈の長いワンピースタイプの寝間着では確かに難しいかもしれない……下からたくし上げるのは論外だし、前のボタンを全部開ければ胸だけ出るが先ほどと一緒。
仕方がないのか、と思い、いやいやと首を振る。
「一応ショールを持っていきましたけれど、他人の前であんなに胸を出すなんて……その、無防備と言いますか……。 正直、他の女性の胸を見たのは初めてでしたのでびっくりしたのもあるのですが、オフィリアが恥じらいなく出したままだったので、その、何処を見ていいのか目のやり場にも困ってしまって……。」
おむつを替え終えてすっきりしたのか、両手を伸ばして抱っこをせがむシンシアを抱き上げた私がそういうと、ポン! と、マーナは私の背中を叩いて笑った。
「確かに無防備でしょうけれど、さっきも言ったとおり、貴方は初めての体験で戸惑ったんでしょうけど、泣いた赤ちゃんに母親が乳をあげることは自然な事よ? ローリエにはそれが許されなかっただけで、驚くほどの事ではないわ。」
「な、なるほど……。」
諭されるように言われ、なるほどそうか……な? と……なんとなく首をかしげながらも頷く。
「ふふ。 ミーシャはお嬢様だから余計そう感じるのかしら……って、あら? お貴族様って、侍女に着替えをしてもらったり、入浴だって手伝ってもらうのでしょう? 他者に体を見せるなんて、今更じゃないの?」
言われ、私は首を振る。
「いいえ。 肌を他人に見せることはしませんわ。 侍女はそれが仕事ですから、お願いしていますが。」
私の答えに今度はマーナが首をかしげる。
「そう? 私としては、赤ちゃんに乳をあげているのを見られるより、何人かでよってたかって体中を洗われたり、着替えさせられたりする方が恥ずかしいと思うけど。 それにその言い方で言うと、ミーシャは『修道女見習い』で、ここでしているのは仕事でしょう? この愛児院では出産を手助けし、2歳までの赤ちゃんを預かるのが仕事。 だとしたら、お産に立ち会って、赤ちゃんを取り上げ、部屋で母親が胸を出して授乳しているのを見ても、全然おかしくないわよね? 現に今、ノーマが胸のマッサージと乳のあげ方を教えに行っているのでしょう?」
(……確かに。)
私一人で、恥ずかしいだの恥じらいだの考えていたが、よく考えればその通りである。
私が侍女の前で裸になるのと一緒で、オフィリアは修道女見習いの前で赤子に乳をやっただけだ。
「私が意識しすぎただけなのですね。」
「そういう事。 あぁ、危ない、ほら、アニー待ちなさい。 今降ろしてあげるから。」
ふふっと笑ったノーマは、ベッドの上で目を覚まし立ち上がったアニーを見、慌てて抱き上げながら笑った。
「けど、ミーシャ。 すっかり彼女に懐かれてしまったわね。」
「懐かれたとは、少し違うと思いますけど。」
それが何を示しているのかわかった私は、ベビージムに捕まって立ち上がり、足を何度も曲げ伸ばししながらご機嫌なシンシアの傍に座る。
「あぁそうね、ちょっと言葉が違うかしら。」
「?」
転んで頭をぶつけたりしないよう、シンシアの周りにクッションを敷き詰めながら首を傾げた私に、寝起きにもかかわらず、試作品として届いたばかりのパズルブロックに手を伸ばし、両手に持ち遊び始めたアニーの傍に座ったマーナが笑う。
「オフィリア……聖女様にとっては、貴女はこの世界に来て初めて出来た味方……友人なのじゃないかしら。 だから、そうやって甘えているのかもしれないわ。」
「そんな、友人、だなんて……。」
それには首を振る。
「もともと私とオフィリアにはいろいろありましたし……私はここで、やるべきことをやっているだけです。 そのような関係ではありません。」
「あぁ、まって、アニー。 そんなに乱暴にしては壊れてしまうわ。」
大きな音を立てながらパズルを叩き合わせているアニーの手から一度とったマーナは、新しく柔らかいパズルのピースを渡してから、ちらりと私を見る。
「ミーシャはいつも理路整然と、だけど難しく考えがちね。 確かに貴女は自分の仕事をしただけなのかもしれないけれど、誰にも言えなかった不安や恐怖を言葉にして投げつけても傍にいてくれて、子が出来て体がどんどん変化して気持ちが不安定になる時にも一緒に笑ってくれて、子供を産むという大仕事の間も傍にいて励ましてくれた人――という意味では、寂しかった彼女の中で、貴女の存在が大きくなっていてもおかしくないんじゃないかしら?」
「大きな存在、ですか?」
「ん! あっち! ないない!」
「あぁ、転がっちゃったのね。」
アニーの手を離れ、ころころと転がって行ってしまったパズルブロックを掴んで渡したマーナは、ちらっと私を見た。
「勘違いしないで頂戴ね。 彼女がそう思っているかもしれないと言っているだけで、本当にそう思っているかはわからないし、もしそうだった時、貴女にも『そうであれ』と言いたい訳じゃないの。 詳しくは知らないけれど、ミーシャとオフィリアの間ではとても大きな問題もあったようだから。 ただ、オフィリアの様子を見聞きしているとね、彼女はそう思っているかもしれないと、思っただけ。」
「……。」
「あ、シンシア、危ない!」
何も言う事が出来ず、考えこんでしまった私の目の前で、ぐらり、とシンシアの体がクッションに向かって倒れ、マーナが動いた。
「シンシア!」
私もとっさに手を出し小さな背中を支えられたため、シンシアは勢いよく体を叩きつけると言う事はなかったが、私の大きな声と、倒れてしまった事にびっくりし、大きく目を見開いた後、ヒック、ヒックとしゃくりあげ、そして、大きな口を開けて泣き始めた。
「あぁぁ、ごめん、ごめんなさいね、シンシア。 吃驚したわね。」
私は立ち上がり、シンシアの体を起こして膝の上に抱き上げると、そのまま立ち上がるとよしよしとあやす。
火が付いたように泣いていたシンシアも、しばらくすると声が小さくなり、目元がとろんとし始め、そのまま指をしゃぶって眠ってしまった。
「寝たわね。」
「寝ましたね。」
マーナと顔を合わせ、くすくす笑いながらシンシアをベッドに寝かせた私は、そのまま積みあがっていた洗濯物をたたみ、子供たちの物を棚に戻していく。
(関係、か。)
小さな肌着をたたみ、おむつをたたみ、オフィリアが考案して出来た布おむつカバーをたたみ、それぞれを各自の籠の中に入れながら、私は言われた言葉を考える。
(友人……。 友達?)
そう言われて思い出すのは、小さなきっかけから友達からも虐められ、孤独で寂しかった前世と、皆に公平であれ、特別な存在を作るなかれと友達を作る事も、他者に気持ちをさらすことも許されなかった今世。
もし、今、本当に友達が出来るとして、私はそれを受け止められるかしら?
そもそも友達って何かしら?
(マーガレッタ様と話した時に、なんといったかしら……。)
ため息をついた私の背中に、ポン、と小さな衝撃を感じる。
「眉間。」
「え?」
洗濯物をたたむ手を止め眉間を押さえた私に、マーナは呆れたような顔をして笑った。
「友達って何だろうって、難しく考えてるのかもしれないけれど、小難しく考える必要はないんじゃない? そうやって考えて行動することはとても大切だけど、時にはそうじゃないときもあってもいいと思うわ。」
「……」
それに頷くことも答えることもできないまま、私は曖昧な微笑みを浮かべるしかなかった。




