51・心からの、祈り。
唐突ですが、本日は出産シーンの描写が大半です。
苦手な方はブラウザーを閉じ、自衛をお願いします。
「う……うぅ~……。」
真っ赤な顔。
握りしめる綱がぎしぎしと音を立てる中、オフィリアは一度も泣きごとを言うことなく、ベッドの上で歯を食いしばり、ノーマと院長先生の言葉に従っていた。
「……ふ、ぅ……。」
痛みが逃げていったのか、オフィリアの全身に入っていた力が抜けると、部屋の中の空気も一度緩む。
「オフィリア、お水飲む?」
「うん、ありがとう。」
先ほどまで持ち上げていた頭を、ぽん、と枕に預けて深呼吸を繰り返していたオフィリアは、頬を真っ赤にしながら力なく笑って、私の持つストローの入った冷たい果実とハーブの入った水を飲んだ。
「あ、おいしい。 ありがとぉ、ミーシャ。 喉渇いてたから、嬉しい。」
先ほどまでの厳しい顔ではない、解放されてほっとしたような顔をしたオフィリアに、コップをテーブルに置きながら私は笑う。
「よかったです。 他にしてほしいことはありますか?」
「いいの? じゃあ、腰のところ押さえてくれる? お尻の分かれ目のちょっと下のところなんだけど。」
それには、私は目を丸くした。
「え? そんなところ、触っていいんですか?」
「いいの。 お行儀悪いけどお願い。 タオルのボール作って、ギュ~って押してくれる? 楽になるって、読んだことがあるんだ。」
それが、母と一緒に読んだという育児雑誌を指すのだろうと解った私は、ひとつ、頷いて手布を縛った。
「わかりました。 えっと、こ、こう? ですかね?」
「あ、もう少しした……あ、そこ! いい感じ! ぎゅーって押してくれる?」
「こうですか?」
「あ、滅茶苦茶気持ちいい!」
ひとつ結び目を作ってから、そこを中心にぐるぐると硬く巻いた手布のボールを、そっと差し込み、言われた部分に押し当てると、オフィリアは表情を和らげ、それから申し訳なさそうな顔をした。
「ごめんね、我儘言って、ミーシャにこんなことさせて。」
「いいえ、だいじょ……」
大丈夫ですよ? と返事をしようとした時、足元の方から笑い声が聞こえた。
「なに言ってんだい、そんなの我儘のうちに入らないんだよ。 ほら、ミーシャ。 オフィリアをしっかり支えてやんなよ!」
院長先生と一緒に果物を食べながら、ノーマは笑って私に檄を飛ばす。
「は、はい。」
その大きな声に飛びあがるように返事をした私に、満足したように笑ったノーマは、少し体を横にして目を閉じているオフィリアの目の前に、一口で入る大きさに切られ冷やされた果物を差し出した。
「オフィリア。 ほら、食える時にはちゃんと食うんだよ。 お産は体力勝負だ。」
「う……うん。」
ふぅ、と息を吐いて目を開けたマミは、自分でも額の汗を拭きながら、冷たい果物を一口、二口と食べ、それから自分の大きなお腹を見る。
「こんなに早くお産になると思わなかったけど……うん。 早く、会いたいな。 くっそ痛いけ……どっ! あ~キたっ!」
「よしきた、体の場所ちゃんとして! しっかり頭を上げて、目を開けて! おへその方を見て力を入れるんだよ! 頑張んな!」
「う~~~~~っ! ん~~~~~~!」
「そうそう、上手だよ! しっかり目を開けて! しっかり息を吸って。 さぁ、力を入れるよ。 ん~~~~~っよ。」
「ミーシャぁ、手、にぎってぇ……。」
「は、はい。」
その声に、ボールを持っていた手を離し、綱を握っている手にぎゅっとそえた。
「せ~の。 「ん~~~~~~~~~~っ!」」
オフィリアのお産が始まったのは、絶対安静になって5週間を終える頃の事だった。
一緒に昼食を食べているオフィリアが『ごめんなさい、お手洗い』と最近には珍しく、食事の途中で席を立ったと思ったら、真っ青な顔をして部屋に飛び込んできたのだ。
「ミ、ミーシャ! ど、どうしよう!」
「……オフィリア? どうしました?」
椅子に座り、果物サラダを食べていた私は、真っ青な顔で部屋の入口に立ったまま震えてる彼女の元に駆け寄った。
「何かありましたか?」
よくわからないままに尋ねると、震える彼女は視線を床におろした。
「……『破水』したかも……。」
「……『ハスイ』?」
言葉の意味が解らず、彼女の震える手を掴んだ私に、オフィリアはぎゅっと私の手を握って言う。
「パチン、ってお腹で音がした……血も出てて……赤ちゃん、産まれちゃうかも。」
「え!?」
その時、足元で水の音がして目をやると、オフィリアの足を伝って床に水が溜まっているのがわかった。
わずかに血液の混じる水たまり。
「……!?」
マーガレッタ様の出産のとき、大きく水の音がしたのを思い出す。
(ハスイって……もしかしてあれと一緒なの!?)
ようやくただ事ではないと理解った私は、ベッドの上のシーツを彼女の腰に巻き付け、その場にいた護衛騎士や二人の侍女にオフィリアをベッドに移動させてもらうようにお願いすると、慌てて養育棟の厨房にいるはずのノーマの元に走った。
「ノーマさん! オフィリアが、『ハスイ』? したらしいんですっ!」
「なんだって!? あぁ、出来ればあと一週間と思っていたんだが……。 しかたない、ミーシャは院長先生に伝えてきて頂戴! あたしは一足先に行くわ!」
そういって、一緒に厨房にいたハンナに後を任せて飛び出していったノーマの後を追った私は、途中、院長室に寄って院長先生に声をかけた。
話を聞いた院長先生は少し目を見開き、それから頷いた。
「あぁ、少し早いわね、でも『ハスイ』してしまったならお産は進むわ。 ミーシャ、私とノーマはお産に入ります。 養育棟にいるみんなにそう伝えておいて頂戴。 それと、厨房からオフィリアのために、軽食や果物と、それにハーブ水を用意して部屋に持ってきて頂戴。」
「わ、わかりました!」
院長先生に言われたとおり、厨房に戻り、手伝ってもらって軽食と果物、ハーブ水を用意した私は、それを持ってオフィリアの部屋に戻った。
それを届けた私に、ノーマの診察を受けていたオフィリアは『出来れば傍にいてほしい』と言い、いいですか? と聞かれた院長先生は、仕事に支障がない限りであればと許可をくださった。 そのため、私は他の仕事を片付けては、オフィリアを訪ねるようにした。
部屋を訪ねると、オフィリアは時折弱い陣痛のようなものは来るんだ、とは言っていたが、お産につながるようにしっかりした陣痛がなかなか来ず、日が落ちた頃、廊下ではどうしようかと院長先生とノーマさんが額を突き合わせて話し合っているのを見た。
オフィリアの方は、いたくないときは全然平気、と笑う余裕もあったため、ノーマさんの指示の下、夕食もしっかり食べ、寝れる時には眠っていた。
ただ時折来る痛みに顔を顰めては、私の手を握って『生まれるときは一緒にいてね』と、泣きそうな顔で言っていた。
私はそれに頷いた。
そのままどんどんと時間は立っていき、明日も仕事があるのだから、と私は仮眠をとるように言われた。 心配でなかなか寝付けなくて、ゴロンゴロンと狭いベッドの上で寝返りを打っていた。
起こされたのは、ようやく寝付いたころだった。
深夜になって急にお産は進んだ。 どうやらオフィリアは痛みに強いタイプのようで、本人も痛みは感じていたが、まさかと思って我慢していたらしい。
「痛い。 けど、お産の痛みはこんなものじゃない! ってよくママが言ってたから、まだ大丈夫だと思う!」
と夕方あたりから言っていたが、あれは本当は陣痛だったようだ。
なので、オフィリアが『もう本当に我慢できない、すっごい痛いかも! 股になんか挟まってる気がする!』と言った時には、マーナも院長先生も吃驚するくらい、お産は進んでいて、すでに赤ちゃんの頭が見え隠れし始めていたらしい。
「オフィリア! 我慢し過ぎだよっ! なんでもっと早くに言ってくれなかったんだい! あぁ、こりゃもう産まれるよっ!」
と、様子を確認したノーマは悲鳴を上げ、仮眠をとっていた私はもちろん、シスター・サリアにも起きてもらって、たくさんお湯を沸かし、室内は温め、と、大急ぎでオフィリアの部屋でのお産の準備が整えられた。
マーガレッタ様の時にも付き添ったお産であるが、普段の様子から、きっと痛い痛いと大騒ぎするであろうと皆が思っていたオフィリア。 しかし実際にお産が始まってからは、時折唸り声をあげるくらいで、ただその痛みに無言で耐えていた。
しっかり呼吸もし、いきんでと言われた時にはしっかりいきみ、痛みがない時には笑顔を浮かべ、冗談も言っていた。
そんなオフィリアに余裕がなくなってきたのは、窓の外が少しずつ明るくなり始めた頃だった。
冗談も言うことなく、ただ真っ赤な顔をして、いきむ、を繰り返したオフィリアは、ノーマに言われていきみを逃し始めた。
絶え間なく続く息遣いはノーマの大きな声で安堵の息に変わった。
「おめでとう! 可愛い女の子だよっ!」
ずるん!
そんな風に聞こえる音と共に引きずり上げられた赤ちゃんは、過去に見た時と同じ、べったりと白いものを体中にたくさんつけて。 けれどあの時よりも、一回りも二回りも小さい。
そんな小さな赤ちゃんは、あっという間に体中を綺麗に拭かれ、処置をされ……やがて『ほにゃぁ……』と弱弱しいながらも泣き声をあげた。
「おめでとう、オフィリア。 女の子よ。」
産着を着せられた赤ちゃんは、院長先生の手によってオフィリアの胸の上に乗せられた。
「……女の子? 元気?」
「あぁ、うんとかわいい赤ちゃんだ。 ほら、こんなにしっかり泣いて。 オフィリアにそっくりの、可愛くて元気な赤ちゃんだよ。」
自分の胸の上に置かれた赤ちゃんの頭をそっと撫で、小さな指に触れたオフィリアは、ほっとした顔をして、それから今まで見たことがない柔らかな微笑みを浮かべた。
「やっと会えた、あたしの、赤ちゃん……。」
「おめでとう、オフィリア。」
胸の上に乗せられた小さな赤ちゃんの背中にそっと手を添わせ、小さな泣き声を聞いて、安心したのだろう。 オフィリアはボロボロと涙をこぼし始めた。
「可愛い……あたしの家族……。」
「そう、オフィリアの赤ちゃんだよ。 さ、いっかいミーシャに預けていいかい? もうひと仕事残ってるからね。」
「……うん。 ミーシャ、お願い。」
「わ、わかったわ!」
恐る恐る、オフィリアの胸の上から赤ちゃんを受け取ろうと手を伸ばす私に、ぷっと噴出す声が聞こえた。
「ミーシャ、へたくそ。」
「わ、……笑わないで頂戴。 こんな小さな赤ちゃんは初めてなんだもの。 緊張するの。」
「ミーシャが緊張だって。 そんなに焦ってるのもめずらしっ。」
「はいはい。 ほら、ミーシャ。 こうするのよ。」
くすくす笑うオフィリアに弁解しながら、ただ狼狽えている私のやり取りを見ていた院長先生が手も貸してくれ、生まれたばかりの小さな赤ちゃんを抱き上げた私は、彼女と同じサラサラの細く柔らかい黒髪に、強く青みかかった黒い色の瞳を覗かせたその子の頬にそっと触れた。
「おめでとう、小さな赤ちゃん。 貴女のこれからが幸せでいっぱいになるように、心から祈っているわ。」
ふにゃっと泣いた赤ちゃんのために、私は心からそう祈った。




