89 毒師と薬師は殺し愛う
ちょっとだけヤンデレ風味。物理で殺しあっているわけではないのですが、これも殺し愛のひとつのかたちかとおもっています。作者の性癖だだ洩れですが、同好の御方に刺さりますように。
あれから、どれくらい時が経ったのか。
慧玲は床榻から身を起こす。鎖が微かに音を奏でた。腕には枷がつけられている。肌に傷がつかないよう絹布が挿まれてはいるが、嵌められて一晩経つと痛みがあった。
(鴆はいったい、なにを考えているの)
慧玲は鴆に誘拐され、ここに監禁された。
牢屋というには房室らしい房室だ。肌寒いが、暮らすのに不便はない。
宮廷の鴆の房室でないのは確かだが、微かに時鐘が聴こえるので、宮廷か、後宮かの敷地ではあるのだろう。毒師の一族が宮廷と繋がっていた頃につかわれていた房室だと鴆はいったが、詳細については語らなかった。
「起きていたのか」
房室にきたばかりの鴆が穏やかに微笑み、床榻に近寄ってきた。
「ちょうどよかった。ほら、食べなよ」
盆には綺麗にきり分けられた桃が乗せられている。竹楊枝で刺して、鴆が差しだしてきた。拒絶しても無理に口へ詰めこまれるだけだ。慧玲は素直に唇を割って、桃を食んだ。毒のようにあまやかなそれを飲みくだす。
「旨いか」
「そうね、よく熟している」
またひとつ、桃を差しだされる。
戸惑いながらも諦めて果実を頬張れば、彼は嬉しそうに頭をなでてくれた。餌づけでもされている気分だ。
「私を殺さないの」
「へえ、あんたは殺されたいのか」
鴆は愉快そうに眉の端をあげた。
「……廃されたとはいえ、私だっておまえの一族を滅ぼした帝族よ」
「僕は貴女のことを渾沌の姑娘だと想ったことはないよ。白澤の姑娘だともね」
他愛もなく言われた言葉がなぜか、心揺さぶる。
そうだった。彼は逢ったときから慧玲をただ慧玲として受けいれ、時に衝突し、時になぐさめてくれた。だから敵だと理解していながら、彼と一緒にいるのは心地よかったのだ。
「貴女こそ、僕を怨むべきだ」
鴆は慧玲の解かれた髪を梳いた。
「先帝が壊れたのは僕が産まれたせいだ。僕は貴女から総てを奪った毒そのものだよ」
慧玲は一瞬だけ、視線を彷徨わせたが、ため息をつきながらいった。
「そういうことは、それなりに後悔をもっていうものよ」
彼には、後悔というものがなかった。
彼はただ毒と産まれ、毒となっただけだ。
毒すものは毒される。ゆえにいつかは裁かれるべきだという意識はあっても、後悔には結びつかない。
「貴女にだったら、復讐されても構わないのに」
微かだが、鐘が聴こえてきた。鴆が面倒そうに瞳を細める。
「僕はいくけれど、貴女は好きにしていてくれ。今度、暇を潰せそうな書でも取り寄せてあげるよ」
鴆は枷をはずしてくれた。かわりに扉が外側から施錠される。鉄格子の窓がついた重厚な扉だ。とてもではないが、壊せそうにはない。
「いつまで続けるつもりなの」
「そうだね。ひとまずは、皇帝が息絶えるまでかな」
それほど時間は掛からないだろうと鴆はいった。延命のための薬も底をつきたはずだ。皇帝が息絶えれば、慧玲は調薬を放棄した罪人となり、宮廷から追われる身になる。後宮に帰ることはできなくなる。
慧玲は失意のうちに項垂れた。
(藍星はだいじょうぶかな……)
鴆が置きわすれていった烟管を摘まみ、暇つぶしに眺めた。奇麗な蜘蛛の彫りが施され、先端からは紫水晶の珠飾りが垂れている。それにしても変わった烟草葉だ。薬草だろうか。
まだ燃えていない葉を食んでみる。微かな苦みと芳香が拡がった。
(これは……そうか。だから鴆は、これを喫っていたのか)
鴆は明敏な男だ。
だから、ここも誰かが捜せるような場所ではないのだろう。二十尺ほど頭上に設けられた横に細い窓を仰視する。鉄格子の隙間から微かに陽が洩れてきているが、天候のせいなのか、やけにうす昏く、外の風景は確認できなかった。
叫び続けても、誰かに声が聴こえる望みはないだろう。
慧玲はまたひとつ、ため息を重ねた。
ふたりのほの昏い関係が刺さってくださった御方がおられたら、喜びの舞を踊ります。