70 毒師と毒師は剣をまじえる
慧玲にはこの頃、毒デレですが、敵には容赦ない鴆のパートです。
草も木も眠る夜降ちに蝶が舞った。
青い蝶だ。昼に舞うのが蝶、宵に踊るのが蛾だとすれば、これは蛾なのかもしれない。
鴆は蝶に導かれて春の宮の屋頂を渡っていた。群雲が棚引いて月の遠い晩だが、鴆は提燈のあかりなどなくとも危うげな素振りはない。真紅の灯に飾りつけられた廻廊は塔から鳥瞰すれば盛る芍薬を想わせた。
(さながら妓楼だな。華の後宮だなんてそれらしい言葉で繕ったところで結局は皇帝のための花篭だ)
先程も皇帝が乗った牛車とすれ違った。風水の結界で護られた牛車には、毒蟲を紛れこませるだけの、針の穴程度の隙もなかった。
(麗 雪梅を蝕んだ毒は、あきらかに毒師がつくったものだ。だが僕じゃない)
皇后から命じられて鴆が毒殺しているのは後宮の妃嬪などではなく、宮廷の官職や士族といった、政にかかわる宮廷の要人ばかりだった。皇帝の意なのか、皇后が単独で動いているのかは鴆には解らない。
(ほかにも毒師がいる。それだけならば、捨ておいても構わないことだ。だが、あれを調毒できるのは《《同族》》だけ)
毒師の素姓を確かめるため、鴆は偵蝶をつかった。この蝶は、一度毒を吸わせれば、調毒したものを捜しだすことができる。
蝶は窓の格子をすりぬけて、春の季宮の一郭にある房室のなかに吸いこまれていった。あの房室に毒師がいる。鴆は雪を踏んで足跡を残すようなうかつなことはせず、蛇のごとく屋頂から窓に足を掛け、内部へと侵入する。
房室は昏かった。
男が窓に背をむけ、調薬を続けている。無造作に散乱しているのは鉱物をおもとした毒だった。錬丹術だ。男は視線をあげないが、鴆の侵入にはすでに感づいているはずだ。
「僕のほかにも窮奇の一族の生き残りがいたなんてね」
鴆が声を掛ければ、ようやくに男は振りかえった。男――卦狼は胡乱な眼差しで鴆を睨みつけ、眉根を寄せた。
「偵蝶に毒蟲の群……人毒か」
「へえ、解るのか」
「禁毒を扱えるのは一族でも宗家だけだ。貴様、あの時の姑娘のせがれか」
「さあ、どうだろうね」
鴆は煙のように捉えどころのない言動を続ける。
「あの晩、集落は燃え落ちた。……月のあかりが絶えた凍えるような晩だったね。一族は地獄の劫火に喰われ、言葉通り根絶やしとなった。骨も遺らなかった。あの時の怨嗟は、先帝が処刑されたとて晴れず、胸の底で燃え続けているはずだ。違うか」
卦狼の瞳が一瞬だけ、揺らいだ。燈火が風にあおられるように。
「……わすれられるはずがねェよ」
重い沈黙を経て、卦狼は喉を低く鳴らした。
「いまだに夜ごとの夢のなかじゃあ、焔が燃えてやがる」
鴆が唇の端をもちあげる。
「僕とともに復讐をしないか」
「先帝は死んだ」
「だが帝族はなおも君臨し続けている」
唾棄するように鴆が言いきった。
「これは帝族にたいする怨嗟だ。そうだろう。散々一族の毒に頼ってきたくせに、剋が千年の戦乱に勝利を収め大陸を制覇した途端に縁を絶ち、あげく一族を歴史の闇に葬った。何百の命とともに」
あんたは許せるのかと鴆は、人が最も触れられたくない傷に毒を垂らす。
「同胞、家族、女――あの時、燃えたものはなんだった」
卦狼が惑った。時を経て薄れてきていたはずの創痕を抉りだされ、とうに燃え滓となっていたはずの絶望から一縷の火が熾ちあがる。
「……許せねェな、だが」
卦狼は毒にのまれなかった。蜘蛛の糸を振り払うように彼は頭を振る。
「俺はいまさら復讐をするつもりはない」
一閃。剣を抜きはなったのは鴆が先か、卦狼が先か――或いは同時だったか。
二振りの剣が暗幕を裂いた。
衝突。風が弾ける。
続けて二撃。これもまた短剣と刀が絡まるばかりで、互いの身には及ばなかった。
「手練れだね。調毒だけではなく妃嬪の護衛もしていたのか」
「貴様も強ェな。細いくせに一撃が、重い」
喋りながら、卦狼は剣を押しかえす。
単純な膂力ではがたいに恵まれた卦狼が勝る。だが鴆のほうが敏捷で、その剣筋はつかみどころがなかった。転がされた毒の素材や鼎などを避けながら、鴆は乱舞する。
鴆が振るうのは短剣だ。剣身は黒曜石で造られ、猛毒が施されていた。かすり傷でもつければ、一瞬で毒がまわる。たいする卦狼の刀は鉈ほどの厚みがあった。
風が呻るような剣戟。
「っ……」
鴆の短剣が嵐を縫うように掻いくぐって、卦狼が肌身離さずにつけている假面具を弾きとばした。
続きは15(火)に投稿させていただきます。
第五部もいよいよに中盤です。
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