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67 春の命に祝福を

 春の宮は賑やかだった。

 さきがけて春祭の催しかと想われるほどに華やいでいる。聞けば、雪梅シュエメイ嬪の出産は春の宮全体の祝賀であると、春の季妃が伝達したという。


 春の季妃は姓をヤオ、名を李紗リィシャといった。


 慧玲フェイリン雪梅シュエメイ嬪の房室を訪ねた時、李紗リィシャ妃が祝いに訪れていたところだった。

 李紗妃は幼けなさを漂わせた窈窕ようちょうたるひめだ。薄絹の襦裙じゅくんを幾重にも重ねてふわりと纏い、肩に領巾ひれを掛けた姿は咲き誇る八重桜を連想させる。


 李紗妃が帰るまで慧玲と藍星は廻廊で控えることになった。

 唐木の飾り格子を通して女ふたりの華やいだ声が聞こえてくる。


御子みこは春の宮の帝姫おひめさまだと想い、みなでいつくしんでたいせつに育てましょうね」


「有難き御言葉です、李紗リィシャ様」


「なにか必要なものがあれば、遠慮なさらずに声を掛けてくださいね。雪梅嬪の御家は高貴な士族しぞくであらせられると聞きおよんでおりますが、遠方に居られては気軽に頼ったり物を取り寄せたりするのも難儀でしょうから……」


 廻廊では李紗リィシャつきと想われる宦官が、慧玲と同じように話が終わるのを待っていた。奇妙な宦官だ。癖のある棘髪おどろがみ。鼻から顎までを隠すように狼を象った假面具かめんをつけている。細身だが、ぎょっとするほどに上背があり、壁にもたれて脚を組む風躰ふうていは世辞にも育ちがよいとはいえない。腰には大型の剣を帯びていた。

 妃ほど身分のあるものが宦官をつれているというだけでも異様だ。宦官はぎろりと慧玲を窺うように一瞥した。


「その白髪しらが……お前が食医の姑娘むすめか」


 ひび割れた低い声だった。


「左様でございます」


 なにか、と続けたかったが、季妃きひつきであるかぎりは彼のほうが身分が上だ。丁重に頭をさげたが、彼の視線からは敵意のようなものを感じた。


(いやな臭いがする)


 体臭、ではない。もっと深いところから滲みだすにおいだ。


「わたくしはこれにて失礼いたします。お寒いですので、どうかおいといくださいね」


 李紗が退室してきた。彼女は宦官に微笑みかける。


「さあさ、参りましょうか。卦狼グァラン


 卦狼グァランと呼びかけられた宦官は無造作に頷いて、李紗リィシャしたがった。従者というよりは用心棒といわれたほうが納得できる。


「しっつれいな男ですね、こんなに綺麗な銀の御髪にたいして白髪しらがなんて」


 藍星ランシンが後から頬を膨らませていた。慧玲はそれをなだめ、気を取りなおして雪梅嬪の房室へやにはいる。一昨日の晩にかき集めた茶梅さざんかや椿がまだ散らずに飾られていた。


「散ってもいないのに、取りかえるのはもったいないでしょう」


 嬰孩あかごを抱いた雪梅シュエメイ嬪が微笑みかけてきた。


「その後、御変わりはございませんか」

「いたって健康よ。この姑娘も御乳をたくさん飲んでくれて、頬なんて蘋果りんごみたいだと想わない? ねえ、杏如シンルゥ


 端紅つまべにを施さない指で嬰孩あかごの頬をなでる。


杏如シンルゥ様ですか、素敵な御名前ですね」


「ええ、陛下から賜ったのよ。あんずとは医者の事をいうそうじゃない。大事なく産むことができたのは慧玲フェイリンのお陰と御伝えしたら、それならば杏如シンルゥがよいだろうと」


「健康とは医者のみですものにあらず。解毒できたのは雪梅嬪と杏如様の御力です」


 待望の後嗣よつぎではなかったが、皇帝が御子の誕生を喜んでくれているのだとわかって、慧玲は安堵した。

 意外でなかったといえば、嘘になる。


(ああ、わすれていた。伯父さまは昔から情が厚い御方だった)


 皇帝が金糸雀かなりあを愛玩していたのを想いだす。彼の房室へやは鳥篭だらけだった。どれも孵った時から嘴がかけたり、事故で脚や翼が折れてしまった金糸雀ばかりだったが、彼は手ずから箸で餌をあげてたいそう可愛がっていた。


 脚の動かない欣華シンファ皇后と、翼が折れた金糸雀が妙に重なった。


 政を敷くかぎり、情だけでは動けない。

 慧玲を処さなかったのも地毒を制するために必要だからだと想っていたが、姪にたいする情もあったのだろうかと今更ながらに想う。


(仁慈があったからこそ、あれほど慕っていた先帝を制することもできたのだろう。そうでなければ、あのように気の弱かった伯父様が父さまに剣をむけられるはずがない。余程の決意だったはず。その恩に報いなければ)


「貴女も抱いてあげて」


「宜しいのですか」


 雪梅嬪から嬰孩を預かる。暖かな重みがあった。命の重さだ。


「なにがあろうと、護ります」


「ありがとう」


 雪梅嬪は綻ぶように微笑んだ。

 彼女は今、幸せのなかにいる。そんな雪梅嬪に敢えて話すことではないかもしれないとはおもった。

 だが明確にしなければ、帝姫ていきを護れない。


「……雪梅嬪に毒を盛ったのは誰か、調査はなさっているのですか」

「それは……」


 会話を遮るように横の房室へやで甲高い声があがった。


「おまえが雪梅様に毒を盛ったんだろう!」



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