66 冬の妃と麒麟の死骸
雪梅嬪が帝姫を出産したという報せは風のように舞い、後宮から都にまで拡がった。皇帝の第一子だと喜ぶものもいれば、女孩であったことに落胆するもの、男孩でなかったことに安堵するものもいた。
出産から一晩経ち、解毒の経過と帝姫に毒が残っていないかを検診するため、慧玲は冬の宮から春の宮に渡ろうとしていた。
宮と宮は二連橋で繋がっている。庭や道の端には雪が残っているものの、妃嬪が転倒することのないよう遊歩道や橋などの雪は綺麗に掃かれていた。葉を落とした梢にはまだ雪の牡丹が咲き群れている。
ひとつめの橋の越えたところで、見覚えのある影といきあった。冬の季妃たる皓梟だ。鳥の羽根で織りなした披肩を纏い、白妙の襦裙に銀の帯を締めていた。
慧玲は橋の横に避け、通りすぎるまで頭をさげる。だが皓梟は振りかえって声をかけてきた。
「む、そちは食医ではないか」
「蔡 慧玲にてございます」
皓梟は紅に縁どられた双眸を緩めた。
「そうか、そちが索盟の姑娘か」
索盟というのは先帝の諱だ。彼のことを渾沌の帝でも先帝でもなく諱で呼ぶものにはこれまであったことがなかった。白澤たる慧玲の母親、つまり彼の妻を除いては。
「冬の妃妾たちを助けてくれたとか。礼節を失した小姑娘ばかりで済まなかった。彼女等にかわって、妾から礼をいおう。さすがは白澤の一族よの」
「恐縮でございます」
皓梟は不意に、遠くに視線を馳せた。
「されども願掛け如きで地毒に転ずとは……よもや、麒麟が死したかや」
予想だしなかった言葉に、慧玲は戸惑いを隠せなかった。
麒麟は皇帝の威光を象徴する。麒麟の死を語るとは不敬であり、現皇帝にたいする反心と見做されかねない。慧玲の緊張を感じてか、皓梟は続けた。
「ほほほ、物の譬えよ。重く捉えるでない」
「はあ、譬え、ですか」
「左様。麒麟が死したのであれば、宮廷で骸が見つかるはず。それが理よな。されどそのような話はない。然れば麒麟は衰えてはおろうが、確実に生き延びておる。麒麟があるかぎり、万象万物は中庸にむかう。じきに地毒も収まろうや」
皓梟は謡うように語ると披肩をひるがえす。去るのかと思いきや、最後にもう一度振りかえって彼女はいった。
「ああ、骸といえば、後宮にある古き廟を知っておるかや」
「廟ですか。坤の端にございますね。確か、訳あって皇帝の廟に眠ることができず、かといって一族の墓に入ることもなかった皇后や妃嬪の亡骸が眠っているとか」
「然れども、あの霊廟に人の骸は納められておらぬ」
皓梟は言いきった。
「そもそも後宮のなかに廟があるなぞ異様であろう。果たしてや、なにを納めた廟であったのか……妾は調べておるのよ」
微笑を残して、皓梟は今度こそ通り過ぎていった。
奇矯な妃――言葉を選ばずにいえば後宮一の変わり者だとは噂されていたが、確かに捉えどころのない御仁だ。つかめば融ける雪を想わせた。
(それにしても)
「慧玲様」
皓梟といれ違いに藍星が駈け寄ってきた。
藍星には庖房で働いている女官に配達を頼んでいたところだった。
「終わりましたよ!」
「お疲れさまです」
「毎年寒くなると凍傷に悩まされていたそうですが、今季は秋から薬を飲んでいたので、一昨日の寒さも無事に乗り越えられたと喜んでいました!」
藍星の報告に笑顔で頷きながら、慧玲は頭のなかで考えを巡らす。
(麒麟は、確かに息絶えた。先帝が処刑されたあの晩に)
慧玲だけが事の真相を知っている。
だが息絶えた麒麟に触れた彼女は気絶し、意識を取りもどしたときには通りがかった宦官に捕らえられ、罪人として投獄されていた。それからは処刑場に連れていかれ、皇帝と取引をし、離舎に還された後、再度確かめにいったときには麒麟の死骸はこつ然と消滅していた。
(麒麟の亡骸は、何処にいったのか)
胸が重く、脈を打つ。身の裡で別の命がうごめくように。
雪梅嬪の事件がひと段落し、ここから第四部の本番に突入致します。
引き続き、お楽しみいただければ幸甚です!
細やかな誤字報告にいつも助けていただいております。ほんとうにありがとうございます。






