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62 巧克力の薬

中華では異質な、でも現代ではお馴染みの食材が登場しますよ!

 庖房くりやはまだあかりがついていたが、いまは夕餉の後片づけをしているのか、倉房そうこは静まりかえっていた。雪に足跡が残ることはやっかいだが、後から罪に問われたところで知ったことかと倉房そうこに侵入する。蝦錠かぎが掛かっていたので、庭木をよじのぼって窓から忍びこんだ。

 宴がせまっているということもあって、食房の棚には高級かつ貴重な食材が揃っている。慈姑くわい海鼠なまこ燕窩つばめのす。或いは遠方から取り寄せた椰子の実、雪蓮果やーこんと実に多種多様だ。

 暗がりのなかで食材を捜す。


(これでもない、あれでもない……)


 皇后の許可を取れば堂々と捜せるが、使者を介する上に朝まで待つことになり、さらに六刻は掛かる。それでは遅すぎた。

 重ねて皇后陛下の策謀かも知れないという疑いがあるかぎりは頼むことはためらわれる。

 背伸びして、棚の上部にあった重い木箱を降ろして漁る。


(……あった!)


 思わず声をあげかけたその時。

 食房の蝦錠かぎが解錠されて、提燈ちょうちんをかかげた女官が入ってきた。木箱を担いでいた慧玲フェイリンは隠れようにも動けず、敢えなく女官に見つかってしまった。


「……あなた、食医でしょ」


 女官は悲鳴をあげかけたが、銀の髪に気づいたのか、ため息をつきながらいった。

 よくみれば、夏の調薬の時に補助してくれた尚食局しょうしょくきょくの女官だ。


「あ、あの」

「わかったわよ。どうせまた患者を助けるんでしょう。誰にもいわないでおいてあげるから、もっていきな」


 女官は麻織の袖を振った。


「頑張んな。あんたのこと、応援しているひともいるんだから」

「……ありがとうございます」


 頭をさげ、木箱から果実を拝借した。


 ようやく準備ができたが、思いのほか時間が掛かってしまった。後は春の宮の庖房を借りて、調薬をしなければならない。

 降り続ける雪に頬をたたかれながら、軒端に列なる紅の吊灯篭だけを頼りに春の宮にひき返す。白い闇におおわれても陰ることのない紅は雪梅嬪の凛とした姿を想わせた。彼女は強い女だ。彼女の御子おこもまた。

 かならず、薬が調うまで堪えてくれるはずだ。


 慧玲は祈るような想いで春宮に急いだ。


 

      ◇

 

 長楕円形の果実だった。ごつごつとした硬い殻はぬめりを帯び、赤紫に赤褐色、緑に黄色と様々で、細長い南瓜に似ている。庖丁で縦に割る。ふわふわとしたかびのような白い物に包まれた種子が現れた。


「うわあ、また訳の解らないものを調理するんですね! さすがです! どうやってこんなの、調達したんですか!」


 褒めているのかどうかはあやしいところだが、藍星ランシンの声は期待に弾んでいる。


「ちょっとね。さ、まずはこの種を取りだしてください」


 豆を想わせる種子を取りだして、弱火の鍋で焙炒ばいしょうする。時間を掛けて丁寧に煎るうちに種はよい香りを漂わせはじめた。煎り終わったら、今度はうすで粗めに砕き、種皮を取りのぞいて胚乳はいにゅうだけを分離させる。

 細かい作業だが、ここで種皮が残ると風味が落ちるので丁寧に。


「きちんと分離できましたよ」


「それでは薬碾をつかって、さらに細かくすりつぶしていきましょう」


「またですか! ……調薬って割と力仕事ですよね」


 げんなりする藍星をなだめながら、胚乳を磨砕まさいする。


「わわっ、なんだかどろどろになってきましたよ」


「密林の乳脂バターというくらいですから」


 とろみがついてきたところで砂糖をいれた。続けて湯せんに掛けながら、あらかじめ牛乳を煮詰めてつくっておいた練乳をそそいだ。

 とろとろの暗褐色の蜜ができあがる。人を誘惑する甘やかな芳香が庖房くりやに満ちた。食欲を刺激されたのか、藍星が唾をのんだ。


巧克力ショコラです。まだできあがったわけではありませんが」


「すごい! あんな、鳥も啄みそうにない実がこんなふうになるなんて! ねねっ、ひと舐めだけいいですか! だってこれ、ぜったいにおいしいやつじゃないですか」


「構いませんけれど、あなたは確か、お酒が飲めなかったのでは……」


 慧玲が最後まで言い終わるのを待たず、藍星は木の匙を差しいれて種の蜜を舐めた。


「うっまああ! ええっ、なんですか、これ! これだけでも皇帝に上納したら昇格される域に達してますって!」


 藍星ランシンが無邪気に歓声をあげる。

 藍星は知るはずもないが、遠い異郷の地では巧克力ショコラは不老の薬とされ、皇帝だけが飲める貴重な神の食物だった。さすがに不老にはならないだろうが、実際に巧克力には百を超える薬能があり、とある島の帝国には巧克力カカオ専門の薬師がいたそうだ。


 だが巧克力ショコラは他にも()()()としてつかわれることがあった。


「もうひとくちだけ!」

「藍星、きもちは解りますが、舐めすぎると……ああ」


 これだけ興奮している藍星がひとくちで済むはずもなかった。匙いっぱいにすくっては頬張っているうちにふらつきはじめる。頬が紅潮して、視線のさだまらない瞳は熱を帯び、すでに夢ごこちを通り越して酩酊している。


「ふぁ、ふぁれ……なんにゃか、きもちよくなってきましたぁ……えへへへ」


 幸せそうに笑いながら藍星はころりと睡鼠やまねのように身をまるめて横たわる。寝息をたてて、その場で眠ってしまった。


「こうなると思った……」


 巧克力ショコラは人を酔わせる。そのため、かつては媚薬としてつかわれたとか。藍星が妙な気を起こさずに眠るだけでよかった。藍星に外掛はおりをかけてやってから調薬を続ける。

 卵、砂糖、薄力粉、蕩けた巧克力ショコラをまぜてから、竃にいれても割れない陶器の盃に流しいれる。続けて寒いところにおいてかためておいた巧克力カカオの塊を二層になるようにしずめた。最も底に眠る巧克力には毒が隠されている。


(母様が遺してくれた生薬にどれほど助けられていることか)


 竃で焼きあげて、最後にひとつまみだけ、白砂糖を砕いたような粉をまぶす。

 ようやく薬ができあがった。

 遠くから響いてきた鐘は暁八つ(午前二時)を報せるものだ。いつのまにか、日を跨いでしまった。


雪梅シュエメイ嬪、どうかご無事で)


 布条たすきを解く。

 慧玲は焼きたての薬をもって、雪梅嬪の房室へやに赴いた。


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