60 造られた毒
まずは毒の調査をしなければ。
重篤な状態にある雪梅嬪の側であれこれと不穏な憶測を語るわけにはいかず、女官たちと一緒に隣の房室に移る。
「ここ二日程に渡っての、雪梅嬪の行動を事細かに教えてください。どなたかに御会いになられたのか、お茶はお飲みになられたのか。なにかに触れたのか、どこを通りがかったか……些細なことまで洩らさずに」
女官たちは順番に報告してくれたが、典医を除けば特に誰かと接触したこともなく、いつもどおり毒味されたものしか口にはしていなかった。散歩も房室の側にある庭を一周しただけだ。話が食い違っているということもない。
いつもと違うことがあったとすれば。
「はつ雪が降ったこと、か」
慧玲は顎に指をあて、考える。
「散歩のとき、外掛は纏っておられましたか」
「ええ、雪が降りだす前でしたが、風がお寒うございましたので」
黄葉という年配の女官が頷き、すぐにその外掛を持ってきた。雪梅嬪が春から羽織っている繻子織の外掛だ。調べたかぎりでは特に異常はないが、外掛が突如地毒を帯びるはずはない。
(なにかあるはず……雪といっても、あの時に降っていたのは触れたらすぐに融けるような霙だった。ああ、そうか、外掛が濡れたんだ)
確かめるため、すでに乾いていた外掛を濡らすと刺繍の梅の一部が透きとおった。銀糸が透けるはずもない。触れないよう慎重に紙をあてれば、紺色の毒がついた。
「そんな……なぜ、雪梅様の外掛に毒が」
女官達は震撼し、騒然となった。当然だ。
「外掛に細工がされていたということは、雪梅嬪に毒を盛ったのは女官のうちのどなたかということになりますね」
言葉にするまでもないが、敢えて慧玲はそういった。
「なんで、雪梅嬪に毒なんか」
「いったい、誰がそんなことを」
「やだ、私を疑ってんのかい。雪梅様には御恩はあっても怨みなんかないよ!」
「やめてください。雪梅嬪が隣の房室におられるんですよ」
疑心暗鬼に陥る女官たちを眺めて、慧玲は瞳を細める。誰が首謀者だろうと、互いを牽制し疑いあうことで動けなくなるはずだ。
(これは地毒を模して造られた毒だ)
毒疫とは地毒にさらされることで、身のうちの調和が崩れることで発症する。逆にいえば、人体の調和を崩すほどの毒ならば地毒と同じ影響をもたらすこともある。
(それこそ、毒師の一族が扱うような毒であれば)
問題なのは、これがどうやって調えられた毒かということだ。なにとなにを組みあわせれば、これほど強い水の毒になるのか。いや、そもそもこれは水毒なのか。
解析できなければ、解毒もできない。
慧玲は外掛に鼻を寄せた。雪梅嬪が好む香に隠れて、僅かだが毒が臭った。
(……硫黄の臭いか。雄黄か? でも銀糸にはならないはず)
舐めて確かめようかともおもったが。
(やめておこう。無謀すぎる)
はじめて喰らう毒は、解毒できるまでにはそれなりに時間を要する。雪梅嬪のように腕が動かなくなっては調薬に支障をきたしかねなかった。一刻を争う事態なのだ。
「すみません、遅くなりました」
女官に連れられ、藍星が駈けつけてきた。雪梅嬪からの使者は離舎にもむかっていたらしい。
「雪梅嬪は……」
「重篤ですが、かならず薬を調えます。藍星、まずは花を集めてきてください」
「え、でも、こんな季節ですし、花なんかそうは咲いてないと想いますけど」
「なんでも構いません。茶梅でも艶蕗でも金盃花でも。春の宮は花の宮。真冬にも咲く品種がいくつもあるはずです」
「了解しました」
「摘んできたら、水をいれていない空の花器に飾ってくださいね」
花は飾ることで側にある水の毒を吸いあげ、やわらげることができる。毒のもとが水の毒かは解らないが、寒さを感じていることから考察しても水毒が影響していることは確かだ。
だが毒のもとを絶たないかぎり、時間稼ぎにしかならない。
慧玲は毒についても知識がある。もっとも本職である毒師にはかなわない。特に造られた毒については。
(これだけ難解な毒を解析できるとすれば)
慧玲は唇をひき結んで、私情を殺す。
「借ります」
外掛をもって、慧玲は房室を飛びだした。