59 華の舞姫に水の毒
日が落ちて霙は、牡丹雪になった。
鴆と別れた慧玲は小鈴に連れられ、春の宮に急いでいた。
雪梅嬪の御子は順調に成長を重ね、すでに臨月に入っていた。いつ御子が産まれてもおかしくはないため、慧玲は二日に一度は健診に通っていた。
昨日診察したときは、母子ともに異常はなかったはずだ。
(毒? それとも)
雪梅嬪は毒に警戒しており、華やかな宴等にも姿を現さず、房室にこもっていた。
小鈴は動転していて、雪梅嬪の容態を聞こうにも、嗚咽するばかりで言葉にならない。それも致しかたのないことだ。小鈴は雪梅嬪に配属されている女官のなかでも最も雪梅嬪を慕い、雪梅嬪からも信頼されている。あるじの身が危険にさらされているときに、冷静でいられるはずがなかった。
「雪梅嬪!」
戸をあけた途端に異様な熱が房室から溢れてきた。
欣華皇后が火の毒に侵された時のことを思いだしたが、毒による熱ではなかった。火鉢だ。ありったけの木炭を焼べ、ごうごうと燃やしているため、房室のなかは夏よりも暑いほどだった。
そのなかで雪梅嬪は被子にくるまり、震えていた。彼女は錆びついたような鈍い動作で視線を動かす。瞳は濁っていた。
「雪梅嬪、慧玲が参りました」
雪梅嬪はその言葉に安堵したのか、紅の落ちた青い唇を綻ばせる。
「きて、くれたのね」
「雪梅嬪……いったい、なにが」
慧玲は倚子に腰掛けた雪梅嬪の側に寄りそい、手を取ろうとした。だがしぼれるほどに濡れた被子に触れて、息をのむ。
「私には、解らないわ。でも、貴女なら、解るはずよ」
濡れそぼった被子を剥がす。
「これは……」
雪梅嬪のたおやかな腕が、なかった。
正確には、腕が透きとおり滝のように垂れさがっている。透明になった腕のなかで青い骨が静かに凍えていた。魚の鰭とも似て非なるそれは、古典舞踊で纏われる水袖を想わせる。
言葉を絶するほどに麗しかった。
だからこそ惨たらしい。
「っ……失礼致します」
慧玲が雪梅嬪の下腹に触れる。まるく膨らんだ胎のなかでは確かに命が動いている。よかった。だがこれだけ身が凍えていては、御子にも障りかねなかった。堕胎を試みるものがわざと凍える水に浸かるが、今の状態はそれと変わらない。
「毒を解いて。助けてちょうだい、慧玲」
春のときみたいに。
「かならず、お助けいたします」
誓うように言葉にする。
(水の毒……だろうか。けれどもいったい、なぜ)
雪梅嬪を蝕んでいるのはあきらかに毒疫だ。だがいつ、何処で地毒に障れたのか。
(地毒は故意には盛れない、というのは火の毒の時に覆された。けれども雪梅嬪は、他人から貰ったものを身につけたり、毒味をさせずに食事を取ったりはしていなかった)
胎にいるのは自身の嬰孩ではない。皇帝の御子の命をこの身に預かっているのだと、彼女は常日頃から責任の重さを語っていた。
(腕にだけ、毒がまわっているのも妙だ。触れたものから毒を受けたとか? でも彼女だけが触れて、女官がぜったいに触れないものなんかあるだろうか)
いずれにしてもだ。
昨日は毒に蝕まれてなどいなかった。発症するまでに時間の掛かる毒だとしても、白澤の叡智を継いだ慧玲には診察すれば解る。つまり毒を触れたのは昨日の晩から今朝までの期間だ。
「こんなふうになったのはいつからですか」
「ついさきほどです」
「御子の為にも庭に散歩に出掛けられていて。雪が舞ってきたので、帰ろうと庭から房室にむかっていたとき、雪梅様が寒いと震えだされて……腕が」
「雪梅様は、助かるんですよね」
「御子はどうなるんですか」
女官たちは縋るように問いかけてきた。
「雪梅嬪には御恩があります……どうか、助けてください」
慧玲の知らない女官だが、懸命に頭をさげ、懇願してきた。
こういってはなんだが、雪梅嬪は後宮ではそれなりに嫌われている。舞の巧みさといい、皇帝に寵を享けていることといい、妬まれる要素も充分だが、重ねて彼女自身の気質の激しさもわざわいし、悪い噂が絶えない。だが女官たちからはきちんと理解され、慕われているようだ。
「かならず毒は解けます。ですから協力をお願い致します」






