34 火の毒を絶つ
薬膳グルメ回です。夏にぴったりの美味しいスイーツで毒を絶ちます。
慧玲の頑張りがひとつ、報われます!
庖房に戻ってきた慧玲は想わず、声をあげた。
「……これ、皆様がやっておいてくださったんですか」
草實仔の果嚢から種がすべて取りだされ、すぐに調理できるようになっていた。
「できることは補助してあげるわよ」
「だから私達にも薬をわけて」
妃妾たちほどに酷くはないが、女官たちも火傷を負っていた。処刑を見物していたときに後ろのほうにいたおかげで、軒に逃げこむことができたのだろう。
「ありがとうございます。それでは檸檬を輪切にしてください」
木箱いっぱいの檸檬を渡す。想像だにしなかった量に女官たちは眉を逆だてた。
「……遠慮ないわね」
これでひんやりとした美味しい果凍ができる。
慧玲は木槌で耳飾りを砕いた。坤族の耳飾りは光鹵石で造られる。光鹵石は岩塩からなる鉱物だ。南部の山脈には岩塩鉱がある。塩湖群は岩塩の鉱脈から湧きだしており、皇帝は今後、岩塩坑を造るつもりだといっていた。
この鉱物から天然にがりが作れる。
「調いました」
できあがった薬をみて、女官たちが歓声をあげた。
「これを食べるだけで、火傷がなおるの」
「信じられない」
きゃあきゃあといいながら、女官たちが食卓を取りかこむ。火傷を負っていないものたちまで、うらやましそうに集まっていた。
「火傷だけではなく、夏の日焼けにも効能があります。たくさんあるので、宜しければ皆様でどうぞ。私は皇后陛下にご報告して、妃妾がたに御届けしてきますね」
女官たちの嬉しそうな声を聴きつつ、慧玲は庖房を後にする。
凬妃の望んだ平等とは――遠い理想だ。
昊族と坤族だけではない。等しく解りあうには、ひとには違いがありすぎる。身分が違う。血筋が違う。境遇も違う。男と女も違う。富めるものもあれば、貧しいものもあって、産まれた時から争いあうものもいる。
だが、美味き食を前にしたときだけ、人は等しい。
等しく笑い、等しく満たされる。
ほんの、ひと時だけであっても。
◇
「玄蜜愛玉冰でございます。どうぞお召しあがりを、胡蝶倢伃」
木製の碗には黒糖の蜜が湛えられ、ぷるぷるとした透きとおる果凍と檸檬が浮かべられていた。まったりとした帳のなかに檸檬の黄が映えて、夏の月を想わせる。
匙に乗せられた果凍は弾力があって、さながら月の雫だ。
胡蝶倢伃は果凍を吸いこみ、ほうっとため息をこぼした。
「なんてさわやか。たったひとくちでも熱が解けて潤っていくのを肌で感じますわ」
檸檬と黒蜜の絶妙なる調和感に舌鼓をうつ。
「寒天の甜食とも違いますのね、こんなの食べたことがありませんわ。つるりとした果凍に濃ゆい黒蜜が絡んで……口に入れたときは、まったりとしているのに、最後に檸檬の香りが抜けていくのがまるで……そう、盛夏の夕だちのようですわ」
とても気にいってもらえたようだ。
いっきに喋りすぎたことを恥じらってか、彼女は咳ばらいをした。
「こほん……とにかく、美味ですわ」
「草實仔と檸檬には身に停滞していた熱や毒を解いて、排出する効能があります。加えて美白、肌の修復です」
最後に加えた隠し味は……内緒にしておこう。
実をいうと、この黒蜜には毒蟹と蝮、鹿の角を黒焼きにして砕いたものがまざっている。伯州散という由緒ある漢方薬だ。悪質な腫物、化膿など皮膚の修復をうながすことから外科倒しとの異称がある。
(嬉しそうに食べてくれてるし、実際に旨い薬になっているんだから問題はないはず。それに……薬としても、ちゃんと効果が表れてきている)
夢中になっている胡蝶はまだ気づいていないが、膿んでいた火傷がすでに塞がってきている。匙を進めるごとに火の文様がかすれて、最後にはあとかたもなくなった。ひきつれていた肌も元どおりだ。
側についていた女官たちが大慌てで鏡をもってきた。
「胡蝶様! ご覧ください、火傷が」
鏡を受け取って、胡蝶が声をあげた。
「傷が……軟膏をぬっても、薬を飲んでも、いっこうに良くならなかったのに……奇蹟ですわ。……ああぁ、ありがとう……」
頬に触れて確かめながら、胡蝶は泣き崩れた。
後宮では常に麗しい華でなければならない。さもなければ、花篭から枯れた花を棄てるように後宮の華も無情に取り換えられるからだ。
しばらくは泣き続けていたが、やがて落ちついた胡蝶倢伃は慧玲にむきなおった。
「あらためてお詫びいたしますわ。あなたのことを……誤解、いたしておりました。どうか、これまでの非礼をお許しください」
「そんな。どうか、頭をあげてください。誤解、とはいっても、私が混沌の姑娘であり罪人であることは事実ですから」
疎まれることはいまさら、どうとも想わない。散々侮蔑されて、都合のいいときだけ縋られると、さすがに腹がたって言いかえすこともあるが、実際のところはそれほど根にもってはいなかった。
(左頬を張られたら、相手の右の頬を張れ、と母様から教わったからね)
裏がえせば、過剰な報復はしない。
胡蝶は胸を張って、華やかに微笑んだ。
「わたくしは孟家の姑娘ですわ。孟家の誇りにかけて、助けていただいた御恩はいつか、かならずかえします。有事の際にはどおんと頼ってくださいまし。もしも後宮を追いだされても、うちの家で雇って差しあげますから」
「はあ……ありがとうございます」
なんだか、割と酷いことをいわれた気もしたが……彼女なりの厚意なのだろう。取り敢えず御礼をいっておいた。
◇
斯くして、後宮の火の毒は、絶たれた。
見事に解毒をなし遂げた慧玲は、欣華皇后のもとに招かれていた。皇后はいつもどおり輪倚に腰掛け、穏やかに微笑んでいる。
「この度も素晴らしい働きだったわね。あなたに頼って正解だったわ。さすがは白澤の姑娘ね」
「恐縮でございます」
「懸命に努めるあなたに報いてあげたくて……皇帝陛下にお願いをして、位をひとつあげていただけるように頼みました」
想像だにしていなかった言葉に慧玲はふせていた視線を想わずあげた。皇后は竹簡に認められた皇帝直々の册封を取りだす。
「食医としての功績を称え、今この時をもって蔡 慧玲を正六品・宝林に昇格させる」
現在は正八品――最下位だったため、位を跨いで昇格できたことに慧玲は戸惑いを隠せない。我にかえって低頭する。
「身にあまる称号を賜りまして、有難き幸せにてございます。蔡 慧玲、確かに拝承いたしました。これからも万毒を絶ち、薬と為して参ります」
満足そうに皇后は頷いた。
「ついては今後、女官がつくことになるわ」
「女官……ですか」
「ええ、薬を造るのも楽になるはずよ」
特には女官が必要だとおもったことはない。それどころか、毒を扱っているのが知られては厄介だ。それでも、皇后の厚意に異議を唱えるわけにもいかず、慧玲は頬を強張らせながら肯った。