29 毒を盛ったのは昊族
謎解き回です。皇后に毒を盛った犯人は誰か……お楽しみいただければ幸いです。
山脈の部族は風を聴けば、先の事が解るという。
坤族はそれを地の報だといい、昊族は空の識だと語った。ふたつの部族の思想は等しい。それゆえに争いあった。
埠頭のある橋の先端に胡服の背がたたずんでいた。凬妃だ。
坤族が誇る黒髪を黄昏の風に遊ばせ、凬妃は物想いにふけっていた。側には依依が黙ってつかえている。燃える雲に視線を馳せて、彼女は何を想うのか。
いまは遠き故郷のことか。あるいは叶わなかった理想のことか。
「凬妃」
慧玲が橋のたもとから声をかけた。
「食医か」
振りかえった凬が瞳を見張る。依依がさあと青ざめた。鳥篭をつきつけて、慧玲はいった。
「これは、あなたのものですね」
鳥篭のなかで鷂が助けをもとめるように啼いた。
「皇后様が毒を盛られました。その毒と同様の物が鷂の脚に括りつけられた袋から検出されています。鳩ならばともかく鷂を扱えるのは幼い頃から調教している昊族だけです」
「そんな! なにかの間違いじゃないのか」
凬が信じたくないとばかりに声を荒げた。
「そいつは確かに依依の鷂だが……捕獲して、証拠物を括りつけた可能性だって」
「昊族の集落の燃え殻をつめて、ですか。皇后様を害したいのならば、もっと強い毒がたくさんあります。わざとこの毒を選んだのは、同族のように焼き殺したいという怨嗟によるもの。違いますか」
追いつめられた依依が泣き崩れた。
「そ……そう、です……わたしが皇后様に毒を盛りました」
慧玲は静かな眼差しで彼女をみる。
「いっ、一族を殺した皇帝と皇后に復讐をしたくて……っみんな、燃やされて……許せなかった。どんな処罰でも受けます……だから」
ひきつけるように嗚咽をこぼしながら、依依は罪を認めた。凬がなにかを言いたげに唇をわななかせ、哀しげに視線を逸らす。
だが慧玲は頭を真横に振った。
「毒を盛ったのは依依様ではありません。だって依依様は《坤族》ですから」
これには凬妃も依依も絶句する。
「まずひとつ、馬や狗を扱っていたとき、依依様は家族に接するような手振りでした。昊族にしては慣れすぎています。それにくらべて、凬妃はたどたどしかった。一命を取りとめた狗の頭をなでることもしなかった。あれは、依依様の飼い狗です」
だが、だとすれば、妙なところがある。狗の誤食事件だ。
「昊族の集落にあるはずの夾竹桃を、狗が毒だと知らないはずがない。ああ、そういえば、凬妃もご存知なかった様子でしたね」
ひと呼吸をおいて、慧玲はあらためて続けた。
「でも、それだけならば、ここまでは疑いませんでした」
慧玲は自身の耳を指す。
「依依様の耳に傷がありました。私は幼い頃、坤族の集落に留まり、その風習について教えてもらいました。坤族は産まれたときに耳たぶに穴をあけ、光鹵石の耳飾りをつけるそうですね」
依依はしどろもどろになりながら、懸命に弁明する。
「違います。誤解です。これは、凬様にそろいの耳飾りをしたいと、ただそれだけで……た、確かにわたしの髪は……昊族にしては、暗いかも、しれませんが……でも」
「最後に」
退路を絶つように慧玲が遮った。
「依依様はずいぶんと差別を受けてきたようですね。ですが、その髪は、昊族のなかにいれば、それほど違和感のないものです。でも、坤族のなかでは赤みがかった髪は、いやでも視線を集めてしまう――違いますか」
依依は口篭もり、ついに項垂れた。続けて、慧玲は凬妃に視線をむけた。
「凬妃。あなたが、昊族ですね」
「依依のことは相解った。けれど私は紛れもなく、坤族だよ」
慧玲は静かに微笑み、あろうことか、鳥篭ごと鷂を水のなかに投げこもうとした。凬妃はとっさに慧玲から鳥篭を取りあげようとする。慧玲はつかみかかってきた凬妃に脚払いをかけた。凬妃は躓き、橋から転落する。
「凬様!」
依依の悲鳴は盛大な水音にのまれた。
水しぶきをあげ、凬妃は息も絶え絶えに浮きあがる。
「なにをする!」
「ああ、やっぱり、《《落ちましたね》》」
濡れた髪から滴る雫は黒かった。色落ちした髪は燃えるように赤い。昊族の色だ。そしてこれが凬妃が振りまいていた異臭のもとだった。
「韮と胡桃を砕いたもので髪をそめれば、誰もが艶のある黒髪になります。あなたはそうして坤族と偽っていた」
凬妃は橋脚にしがみつきながら、紅の落ちた唇をかみ締めた。そんな彼女を見降ろしながら、慧玲は畳みかけた。
「髪なんてどうにでもなるんです。ですが貴方がたの部族は、髪の違いにこだわってきた。黒髪は坤族の証。赤髪ならば昊族だとね。すると奇妙なもので、部族外の者も髪色でふたつの部族を分けるようになる。そうした心理をあなたがたは巧く操った」
腕を差し延べて、凬妃を橋にひきあげた。凬妃は胡服の袖をしぼり、水を滴らせながら赤い髪を掻きあげる。
「そうだよ。アタシは――昊族さ」
依依がなおも喰いさがろうとするが、凬がそれを制して「いいんだ」と眉を垂らした。
「もとから、おまえさんに罪をかぶせて身替わりにするなんて、いやだった。アタシが昊族だと知られてしまったのなら、好都合さ」
「そんな……わたしは凬様のためならば、いつだって命を捧げます」
罪を被って死刑に処されることもいとわないと彼女は叫んだ。
「こんな髪に産まれついて、わたしはずっと、坤族に疎まれてきました。醜い髪だと。かといって、昊族の集落にいくこともできず。でも凬様だけが、わたしの髪を褒めてくれた! 御恩に報いられるのならば、なんでもします」
依依は坤族と昊族のあいだに産まれた姑娘だったのではないかと、慧玲は推察する。凬妃は彼女の髪のみならず、ひとつに結ばれた血脈ごと、肯定したのだ。
「そうだ。ふたつの民族が等しく理解しあえるときが訪れると、アタシは想っていた」
だが、その望みは絶たれたのだ。






