28 燃えない薬の調えかた
グルメ回です。お家でも造れちゃう料理です。
貴宮の庖房で慧玲は頭を抱えていた。
(塩を処方して、熱がちょっとばかりさがったとはいえ、皇后さまのご容態では食べ物を燃やしてしまいかねない。飲み物まで蒸発させるくらいだもの……)
どうすればいいのか。燃えない食べ物――と思案しながら、あれこれと食材を手に取る。魚、だめだ。茸、だめだ……果物はどうか。いつだったか、様々な脂に蝋燭の芯を浸して、火を燈すという実験をしたことがある。牛脂、豚脂はもちろん燃え、魚脂も燃え、橄欖の油や椿油も燃えたが。
「……ひとつだけ、燃えない果物があった……でも」
調達できるか。いや、してもらわなければ、こまる。
慧玲はすぐに女官に声を掛け、食材の調達を頼んだ。
◇
「都の端から端まで捜して調達させたが、このようにまずそうな果実が薬になるのか。鰐の革を剥いでかぶせたような、ああ、触れるのもおぞましい……こんなものを皇后さまに食べさせるなど! 謀りであれば、わかっているであろうな」
女官が眉を顰めて、果実が盛られた篭を差しだしてきた。
慧玲は丁重に頭だけをさげる。篭から取りだしたそれは、なるほど、爬虫類をおもわせる質感だった。
猿はおろか、鳥でも啄まない毒の果実だ。
(でも人間だけは、この果実を無毒にできる――)
果実に一周、切りこみをいれて、ぱかりとふたつに割った。なかには大きな種が埋まっている。包丁を刺して、それを取りだす。可食部は果物というには瑞々しさがなく、ねっとりとした感触だ。例えるならば、よく練った乳脂か。
(ちょうどいいくらいの熟しかただ、よかった)
種を取りのぞいたくぼみに乳酪を盛って、窯で熱する。
乳酪は肺を潤わせる薬だ。火の毒に侵され続けると肺が渇く。乳酪をつかえば、それを補うことができる。
焼きあがるまでのあいだに卵黄と酢と塩をまぜあわせて蛋黄醤をつくっておき、かけてから再度、こんがりとするまで焼いた。
「調いました。参りましょう」
◇
「これは……」
見たことのない料理に皇后が声をあげた。
「燃えることのない薬膳――酪梨乳酪です」
程よくこげめがついた乳酪の乗った酪梨は、先ほどとは別物のように旨そうだった。後ろにひかえていた女官たちが思わず、涎をのむ。
果実の器に盛られたそれを匙ですくあげると、乳酪が垂れて、とろりと糸をひいた。銀の匙でも皇后が握ると融けかねないので、女官が口もとに運ぶ。青ざめた唇を割って皇后が匙を頬張った。
熱い舌に乗せると乳酪がさらに蕩けた。
「……おいしい」
皇后が幸せそうに睫毛をふせる。
「こんな果物は……はじめてだわ。あまく、ないのね。でも、乳酪と一緒に蕩ける……植物の乳脂みたいだわ」
「仰るとおり、こちらは森の乳脂といわれています」
《火の毒》のもとは夾竹桃と骨の燃え殻だ。
だが、夾竹桃の毒を解毒できる薬は……実は、ない。だが毒とは身のうちの調和を崩すから毒になるのだ。夾竹桃の毒は心拍をつかさどる組織を欠乏させて、破壊する。ならば、それを補充すればいいのだ。
補うには馬の赤身、香蕉等が最適だが、それだけでは燃えてしまう。
加えて骨。これは《陰の毒》だ。調べたところ、ふくまれているのは人の骨だけではなかった。焼け跡からかき集めたのだろう。特に昊族の飼っていた禽の骨が多かった。火に強く、禽にたいして毒となることで薬に転ずるもの――酪梨。そこに《陽の薬》となる乳脂を乗せれば、最高の妙薬になった。
「……ごちそうさまでした」
皇后が薬を食べ終わったところで、身に帯びていた青い火群が、ゆらりと躍った。転瞬、火が激しく燃えさかる。
女官たちが「皇后さま」と悲鳴をあげた。
だが勢いよく燃えあがったかと想いきや、青火はすうと細り、鎮火する。房室にこもっていた熱がふっとやわらいだ。
皇后は指を差しだして、飾られていた月季花に触れた。
「……あぁ」
花が燃えることは、なかった。
「ありがとう……慧玲」
皇后は安堵の涙をこぼす。
滞りなく解毒できたのだ。
女官たちが背後で感服の息を洩らしている。
「……あなたならば、いつか妾の脚もなおせるかしら」
自身の動かない脚をなぜながら、皇后はつぶやいた。哀しげに投げだされたそれは、折られた鶴の翼を想わせる。
「この脚はね、あなたのお母様でもなおせなかったのよ。でもあなたならば、きっと……子は親を超えていくものだもの」
慧玲は緑の瞳を見張って、戸惑いを表した。
師にして母親。白澤であった母親に解毒できなかったものはなかった。
たったひとつの毒をのぞいて。
だが、他にもあったのならば――白澤の叡智をひき継ぐ姑娘が今、為すべきことはそれなのではないか。漠然とした使命感が胸に芽ばえた。
「……努めます」
お約束いたします、とまではいえなかった。
いまだに母親の背は、遠い。だが、いつかは。そう静かに望む。
◇
解毒を終えた慧玲は貴宮の橋を渡って、後宮に帰ってきた。
「お疲れさま、食医さん。解毒はうまくいったみたいだね」
さきに貴宮から帰還していた鴆が鳥篭を提げて、近寄ってきた。篭には鷂がいた。縞模様のある翼に理知の眸をした猛禽だ。
「禽の捕獲が風水師の管轄だったなんて、知らなかった」
「禽も風水にそって動くからね。貴女は犯人捜しに関心はないようだが、まわりはそういうわけにはいかない。ほら、想像どおり、鷂の脚に革袋が括りつけられていたよ」
鴆は慧玲にも確かめやすいように篭を掲げた。
「解いてごらん」
紐を解けば、灰が溢れだす。吸いこんだ慧玲が咳きこむ。しかもこれは毒だ。みれば鴆はそれを吸いこまないよう、袖で口許を押さえながら距離を取っていた。
「だから私に紐を解かせたの、おまえ」
睨みつけたが、鴆は悪びれもせず肩を竦めただけだった。
「この様子ならば、毒を用意した者も《火の毒》に侵されているでしょうね」
慧玲が鳥篭をつかんで、歩きだす。
「何処にいくつもりだ」
慧玲が振りかえる。孔雀の笄を挿した銀の髪をなびかせて。
「私は食医よ。患者のところにきまっているでしょう」