2‐83毒なし女官の勘
東宮の敷地には離宮が建てられている勘
索盟が皇帝だったころ、東宮には庶兄の雕がおかれていた。雕は戦場から連れて帰った姑娘を離宮に庇護し、妃として迎えた。
その姑娘というのが欣華皇后だ。
帝族が素姓も知れない異人の姑娘を娶ったとあって、当時は反発も強かった。だが次第に誰もが彼女に魅了されていった。彼女には奇妙な威徳がある。
雕が皇帝に即位したことで欣華は皇后となり、後宮にある貴宮へと居を移した。以降、離宮は無人となっていた。
「おろしてよっ」
「いやだね、どうせさっきみたいに逃げだすだろう」
慧玲は荷物のように鴆の背に担がれ、離宮へと連れこまれようとしていた。
官吏の眼がないところで鴆の手を振りほどき、逃げだそうと試みたのが運のつきだった。脚をばたつかせるが、抵抗むなしく宮のなかに吸いこまれ、寝台に投げだされる。
「おまえっ、ほんとうにどういうつもりなの」
慧玲はかみつくように声を荒らげた。
「民が危険にさらされているのよ。毒疫であれ、ほかの毒であれ、白澤の一族である私が赴かなくてどうするの!」
「まったく、貴女は強情だな」
鴆がため息をつきながら、慧玲を組み敷いた。
「都にはいかせないと言っただろう」
「だから、なぜ」
「危険だからだ」
「いまさらよ。危険など、いくらだって乗り越えてきた」
殺人事件が連続しているというだけで、慧玲が薬であることを妨害するはずがない。なにか、ある。
慧玲は鴆の眼をまっこうから覗きこむ。
眼によぎる感情の残滓から彼の思考を読もうとした。
「おまえ、なにかを隠しているね?」
「っ」
鴆が弾けるように視線を逸らした。慧玲に考えを読ませまいと身を離し、背をむける。
「あんたは知らなくてもいいことだよ」
その背を追いかけようとしたが、鴆は外掛を投げつけ、慧玲を拒絶する。頭から外掛をかぶせられて、身動きがとれずにいるうちに鴆は扉を抜けていった。
「……僕が終わらせる」
思いつめた言葉を残して、錠が落とされた。
◇
藍星は朝から胸さわぎがしていた。
いつだったか、藍星は「勘だけはいい」と褒められたことがある。
「慧玲様」
まさか、彼女の身に危険が迫っているのではないか。
いてもたってもいられず、藍星は慌てて身支度を済ませ、早朝から離舎にむかった。
慧玲は毎朝、先に調薬の支度を進めている。早い時刻でも迷惑にはならないはず。
だが、ようやくみえてきた離舎からは煙があがっていなかった。いやな予感ばかりが膨らむ。寝坊されているだけだ、そうに違いない。
「おっはようございますっ」
藍星は努めて普段通りに明るく声をかけたが、離舎は静まりかえり寝台はもぬけの殻だった。がらんとした離舎の几には置き手紙が残されている。慧玲からだ。
皇后陛下の脚の治療が捗々しくない。専念するため、しばらくは宮廷に滞在する。離舎には帰らないと書かれていた。
紛れもない慧玲の筆致だ。
「変だ」
皇后について慧玲が思いなやんでいたのは事実だ。
だが、後宮には服薬を続けている患者がいる。秋宮に監禁されていた麻薬中毒の患者たちもしかりだ。皇后がたいせつなのはもちろんのことだが、慧玲がほかの患者を投げだすとは考えられなかった。それに毎食、皇后に薬を提供するのに、後宮ではなく宮廷に身をおくなんて不自然すぎる。
「慧玲様になにかあったんだ」
藍星は震える指で手紙を握り締めて、離舎を飛びだしていった。






