2-80皇后は人に非ず
「なにもかもが変わっていくのね」
夏めいた風が、銀の髪をなでた。
慧玲は鴆に連れられて、冬宮の塔の屋頂にいた。
ここからは都が一望できる。
遥かかなたには炎駒嶺が横たわっていた。遠くから眺めるかぎり、連峰は雲ひとつなく晴れわたって憂いはない。だが、南部では今、紛争が勃発している。
武装した坤族が都にむかい、侵攻を始めたのだ。坤族の動きを警戒して、麓に張っていた宮廷の軍隊が動き、激しく衝突している。坤族は敗退するだろう。山脈に残るのは气族だけになる。
「後宮だって、続々と妃たちが替わって」
春宮の季妃は李紗から雪梅となり、夏宮には凬も愛もいなくなった。
「季節は移ろうものだろう。万物流転、変わらないものなんかないよ」
鴆は紫の外掛を揺らして烟管を吹かす。
「それでも私は、変わっていくよりみずからの意志で変えていきたい。そうすれば、変わらずに残せるものもあるはずだから」
「貴女らしいね」
鴆は眼の端を弛めて、微笑する。
「貴女に尋ねたいことがある。貴女ならば、後宮を今後どうする?」
鴆が皇帝になったら、後宮の妃妾を一新するのではないかと噂になっていたのを想いだす。妃妾を総替えするには莫大な経費がかかる。鴆がそんなことをするとは考えられなかったが、縮小はするだろうとおもってはいた。
「僕は、後宮なんかいらない」
鴆は言い捨てた。
「だが、後宮は皇帝が御子を設けるだけではなく、諸侯を統制するためにもなくてはならないものだ。そうかんたんに廃することはできない」
現状を維持するか、革新するか。ほんとうならば皇帝がきめることを、鴆は敢えて慧玲に選択させる。
「最近になって、知ったことがあるの」
慧玲は後宮食医として働き、様々な妃妾とかかわってきた。
貢ぎ物の舞姫でありながら聡明な雪梅、独習で経理を修得した小鈴。書庫室に通い、漢方を始めとする医の知識を身につけた藍星。書を読むことを禁じられた愛。有能なものばかりだ。
「女は学修を許されない」
国子監にも通えず、知識を身につけたら身の程知らずと侮蔑される。
「受験もできず、役職を持つこともできない」
鴆は微かに眼を細める。
「私は白澤の一族として産まれ、幼いころから叡智を身につけることに持てるすべてをついやしてきた。だから、想像だにしていなかったの。女に産まれついたというだけで書を読むこともできないものがいるなんて」
慧玲は結論をだす。
「私は後宮に女のための教育の場を設けたい」
貢ぎ物の華ではなく、御子を孕す胎ではなく。
みずからの意志で選び、進めるよう。
「女に権利を、か」
「違う。男女に等しい権利を、よ。後宮を含めた宮廷が変われば、民の意識も変わるはず。変えていきたいの」
鴆はしばらく考えをめぐらせていた。
「僕の母親は集落を焼かれたあと、都にきて医師になろうとしたらしい。彼女は毒をつかって麻酔をかけ、傷を縫ったり患部を切除する技能を持っていた。だが、女の身では患者から信頼されず、重ねて毒師であることを知られて迫害され、娼妓に身を落とした」
鴆の母親だ。復讐に妄執することがなければ、有能なひとだったに違いない。
「貴女の語るそれは、遠い理想だよ。いきなり革新を進めることはできない。だからこそ、貴女が先に進むんだ。貴女が女の身で皇帝になれば理がひらける」
鴆が手を伸ばす。慧玲は彼に誘われて、屋頂の端まで進む。風が吹きあげ、銀の髪を舞いあげた。
「麒麟に選ばれた貴女が女帝となれば、麒麟は還り、天毒地毒を絶つこともできるだろう。でも、麒椅を得るならば、かならず退けなければならないものがある。胥欣華だ」
慧玲が眼を見張る。
「先帝に毒を飲ませて壊すよう雕を唆したのも、雕に僕の母親を娶らせて人毒を産ませたのも欣華の策謀だ」
「皇后陛下が――」
毒のない清らかな微笑を想いうかべた。慈愛を振りまきながら、後宮の頂に君臨し続け、皇帝が崩御した後は宮廷をも統べる華となった。
「意外だったか」
「…………いいえ」
鴆に尋ねられて、慧玲は緩やかに頭を振る。
「想いだした。父様が壊れて、離舎に監禁されることがきまったときに宮廷の通路で、欣華様とすれ違ったの」
欣華はまだ皇后ではなかった。彼女は涙ぐみながら声をかけてきた。「おいたわしいことね、あんな後宮の端に追いやられるなんて」母親の眼が瞬時に凍りついた。怨嗟と恐怖を滲ませて、母親は「おまえが」と叫びかけた。だが、宮廷はすでに皇后を支持するもので埋めつくされていた。まわりからの刺すような視線に母親は唇をひき結び、項垂れて通りすぎるほかになかった。
「母様はいった。あれがきてから、すべてが崩れていったと。あの時は理解できなかった、でも」
時を経て、鴆から聴かされた真実とここで結びついた。
「あれはいったい、なに?」
「胥欣華は人に非ず」
唐突に、雲のない青天から雷鼓が鳴り響いた。遠雷だ。雲を光らせることもなく、殷々と屋頂の瓦を震わせる。
「人を喰らう饕餮だ」
これにて第八部は完結となります。
つきましては「後宮食医の薬膳帖」はいったん休載させていただきます。続きをすぐに読みたい!と思ってくださった読者様がおられたら、メディアワークス文庫より発売中の「後宮食医の薬膳帖4」をお読みいただければ幸いです…!
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それでは今後とも「後宮食医の薬膳帖」をよろしくお願いいたします。






