2‐79悪女の最後
虞愛の処遇がきまったのは雨の時期が終わるころだった。
茶にたいする毒蝗の混入は事故という扱いで処理された。愛が死刑になると誤解した宦官が彼女を無理にかばった結果、事件が複雑化したと結論づけられた。実刑はくだされたが、毒茶の事件においては死刑に処されたものはいなかった。
死刑となったのは横領および武器の密貿易に手を染めた鯀、虞だ。ほかにも横領に関与した宦官は大勢いたが、ほとんどのものには証拠がなく、鯀とつながっていたものだけが死刑となった。
愛は身分をはく奪され、季宮から追放された。
愛の父親である虞が死刑となって領地を没収されたため、愛には帰るところもなく冷宮に収容されることになった。冷宮というと収容されたものが衰弱死するまで捨ておく牢屋を連想するが、この後宮においては破屋に留められるだけで、そう酷いことはない。だが、華やかな暮らしになれた妃妾たちにとっては苦痛きわまりなく、御渡りもなく老いていくのを待つだけの宮として恐れられていた。
晴れわたる青空のもと、夏の季宮からそまつな格好をした愛がでてきた。髪飾りをひとつ、挿している。
桟橋には愛を冷宮に連れていくための舟が待っていた。舟に乗っていた宦官をみて、愛はまなじりをとがらせた。
「なによ、ひと晩じゃ足らなかったって? あたし、ほんとは男だいっきらいなの。目障りだから消えてよね」
愛のために無実の罪をかぶろうとした宦官が、舟に乗っていた。彼は知命にしては老けていて総白髪だ。彼は白髪の頭を垂れて、訴える。
「ち、違います。あのようなことは二度と……ですが、貴女様だけだったんです。男の物もない我々のような宦官を男として扱ってくださるのは。どうか、おともさせてください、愛様」
「なにそれ、馬鹿なんじゃない?」
宦官は苦笑した。
「はい、馬鹿です。字も読めずにただ、働いて死ぬだけの馬鹿です。ですが、貴女様は女の身でありながら、書を読まれる」
愛はわずかにたじろいだ。書を解くときは人目を避けていたからだ。馬鹿にされる、あるいは叱られるのではないかとおもって、彼女は無意識に身構えた。だが、宦官は日輪でも振り仰ぐように愛をみた。
「はかり知れぬほどのご努力の賜物であろうと。失礼ながら、書に眼を落とすその横顔を窓から覗いては敬愛の念を懐いておりました」
訳もなく、愛は涙腺が緩むのを感じた。ほんとうの彼女を認めてくれるものなんて、これまでは誰もいなかった。
「……あんた、読めるようになりたいとはおもわないの?」
「わ、私は頭がよくないので」
「教えたげる。努力すれば、書くらい馬鹿でも読めるよ。そのかわり、冷宮では身のまわりのことをぜんぶやってよね。あたし、手が荒れるから掃除とかやりたくないの。わかったら、舟をだして」
宦官は口をあけてぽかんとしていたが、後れて愛の言葉を理解し、顔を明るくした。
「は、はいっ」
宦官は慌てて舟を漕ぎだす。
青空を映す池泉に白いさざ波をたてて、舟が進んでいく。波に手を差しいれてたわむれていた愛の髪から髪飾りが落ちて、波のあいまにのまれた。
「拾って参ります」
「いらない。あの男からもらったものだから―――せいせいした」
後宮に嫁いだときにひとつだけ、父親に持たせてもらった物だ。自分ではなぜだか捨てられなかった。愛はようやくに父親の呪縛から解きはなたれ、安堵の息をつく。
波は穏やかで、風が微かに夏のにおいがした。






