2‐74毒なし皇子の接吻
鴆に浮気問題が勃発!? 心してお読みください!!
それから三日後、事件は意外なかたちで幕をおろした。
季めぐりの茶に毒を混入させたとして知命(五十歳)になる宦官が逮捕されたのだ。
夏妃の依頼で都から茶葉を取り寄せたとして容疑がかかっていたが、彼は弁明することなく罪を認めた。識字ができないため官職にもつけず、老いさらばえるだけの身。恵まれた環境で偉そうに振る舞ってきた妃たちに報復して、死刑になるつもりだったと。
「あれ、なんか、変じゃないですか」
官吏から結果を報告されたあと、異を唱えたのは藍星だった。
「茶葉には蝗のほかに酸漿が混入していました。あれって避妊の毒になる生薬ですよね。共喰いする蟲も大抵は妊婦には禁だとか。そのふたつを組みあわせるなんて識字もできない宦官が知っているとは思えません。偶然にしてもできすぎです」
「確かに釈然としませんね。そもそも都に産まれついた宦官がどうやって毒の蝗を入手したのかも明らかになっていません」
首謀者はそもそもこれが地毒の蝗であることを知らなかったのではないか。だとすれば本命は不妊毒か。不妊に避妊に堕胎。こうした知識があるとすれば、娼妓か。
宦官を侍らせた妖婦が頭に浮かぶ。
「まさか、ほんとうに夏妃が――――」
…………
「再調査を要請いたします」
慧玲は宮廷の官吏に訴えた。
あの毒を後宮にばらまいたのが宦官だとは考えにくい。識字ができ、医書を読み解ける程度の知識があるもの、かつ去年から一昨年までに蝗害があった地域から後宮にきたものを捜してくれと依頼した。
後宮食医として信頼を得ている慧玲の訴えということで、官吏は事件を取り締まる三法司に伝達すると約束してくれた。
帰りがけに夏の宮を通りがかった。
夏の宮には広大な池泉がある。桟橋から猪牙舟に乗って各妃妾の殿舎に渡る。島々には庭が造られ、紫陽花が咲きそろっていた。あいにくの曇天だが、晴れていれば青い水鏡に紫陽花の群がさぞや映えるだろう。
紫陽花に埋もれて紫蘭がひっそりと咲いていた。
紫蘭の根には強い薬効があり、傷から破傷風にならないよう炎症を抑制する効能がある。慧玲は傷だらけだった劉のことを想いだす。幸いにも骨折はなかったが、裂傷が酷かったという。後ほど見舞いとして紫蘭を持っていこう。
紫蘭の根を採取して視線をあげた慧玲は、紫陽花の垣根の後ろで紫の外掛が揺れるのをみた。
鴆だ。鼓動が弾む。想わず彼のもとに歩み寄ろうとして、慧玲は聴きおぼえのある姑娘のあまったるい声に足をとめた。
「真犯人が捕まってよかったです。女官たちなんか、あたしが毒を混ぜたんだろうって噂していて。妬まれてばかり。可愛いのってそんなに罪なんでしょうか」
愛が瞳を潤ませて鴆に訴えかけている。あいかわらず完璧な美貌だ。鴆は微笑んで、愛の髪を梳いた。
「わかっているよ。心の清らかなあなたが、茶葉に毒なんか混ぜるはずがない」
「皇太子様は疑わずにいてくださるのですね、嬉しい。皇太子様にだったら、あたし、女のぜんぶを捧げても後悔はありません」
愛は接吻をせがむように鴆の項に腕をまわした。蕩ける蜜の微笑。こんなふうに言い寄られて落ちない男はいないだろう。鴆は背をかがめ、花影に身を隠して顔を寄せた。
接吻をしているのだ。
理解して、慧玲は胸を締めつけられた。
経験したことのない情動が湧きあがる。
鴆が接吻するのはじぶんだけだとおもっていた。
彼には毒がある。唇を重ねるだけでも他人の命を奪うからだ。だが鴆は人毒を失った。誰とでも触れあえるのだ。
(だからって)
傷つくなんて変だ。
わかっている。なのに、胸が締めつけられて、うまく呼吸ができなかった。毒にでも焼かれているような。
(でも、こんな毒、知らない)
たえられず、慧玲は地を蹴る。
逃げだす慧玲の後ろ姿を、鴆だけが楽しげな眼をして眺めていた。






