2‐71誰かのために振るう剣
「そこの若旦那は頭がいいな。その通りだ。黄金を渡せば殺さずに帰してやる。ついでにそこの姑娘もだ。変わった髪をしてるが、売れば高値がつきそうだからな」
慧玲は身を強張らせる。
「冗談じゃねェ、俺たちを狙ったことを後悔させてやるよ」
卦狼は剣鉈を構えて、ためらいなく斬りかかる。
賊が叫声をあげて突進してきた。いっきに戦闘になる。敵は屈強な騎馬の男で、五十人を超えていた。卦狼、劉がどれだけ強くともあきらかに劣勢だ。
「頑張る、かあ……あ、そういえば」
卦狼からやや後れて劉は剣を抜く。
「こんな俺でもたった一度だけ、頑張ったことがあったんですよね」
劉は襲いかかってきた賊の剣を弾き、すれ違いざまに斬った。血潮を噴きあげて敵が倒れる。
「いつだったかな、家族で乗っていた馬車が賊に襲撃されたんですよ。俺が残らず、賊を追い払ったっつうか、殺したんですよね」
家を相続することのない三男ということで、劉は幼少から伸び伸びと育ってきた。いたずらをしても叱られず、勉強や修練を強いられたこともなく、長男や二男からは日頃からうらやまれていた。
三男だから可愛がられていると。
それは誤解だ。親はただ、三男に関心がないだけだった。剣で結果をだしても褒められず、科挙を及第しても特に声をかけられることもなく、物だけは与えられる。最高級の絹の服、官吏の俸給では到底身につけられない剣、豪華な御馳走。
だが、彼の心は愛に飢え続けた。
「褒めてもらえるかなあっておもったんですよね。でも、父親も母親も俺を避けるようになってしまって」
ははは、と乾いた笑い声が喉から洩れた。
「笑えるでしょう。家族とはあれきり、九年は喋ってないんですよ」
あの時から、劉は頑張ることを辞めたのだ。
「こんな時になんだよ、坊ちゃん。身の上話がしたいんだったら、後から――」
「あなたは強かったのですね」
わずらわしげに眉根を寄せた卦狼とは違って、慧玲は吹きすさぶ嵐のなかでも真剣に彼の話を聴いていた。
「まあ、武芸には長けてたっていうか」
いまでも喧嘩は好きだ。
勝った、敗けた。それだけでなにも考えなくて済む。だが、命までは賭けたくない。御前試合には進んで参加するが、勝算のない争いは避けたかった。
それでも、命懸けで頑張るものたちを遠くから眺めていて、ああ、格好いいなとおもったのだ。
「違います。あなたはご家族のために剣を振るわれたのでしょう? それが強い証ですよ。剣の強さとはいつ、誰のために振るうか、ですから」
振りかえれば、燈火を映す緑眼が揺るぎなく、劉を見据えていた。
雨の帳を徹して、眼差す。
透徹した水鏡には少年のころの劉が映っていた。震えあがり命ごいをするだけの家族をかばい、血に濡れた剣を振るったあの時の彼自身だ。
「そっか」
今ごろになって、彼は理解する。俺はあんなふうに俺のことをみてくれるひとが欲しかったんだと。劉は崩れるように笑った。
「そうですよねぇ。俺も我ながら、あの時の俺って格好よかったとおもうんですよね。頑張ってみようかな、もう一度だけ」
雷鳴が響きわたる。
劉は明滅する天に剣を振りかざした。
「やってみたかったんですよね。ここは俺にまかせて、さきにいけ! ってやつ」
彼は叫ぶなり、賊にむかって突撃する。地から吹きあげる颶風のように乱舞して敵騎を斬りふせ、劉は退路をひらいた。
「食医! 今だ、進むぞ!」
卦狼が手綱を繰り、劉の切りひらいた突破口から敵陣を離脱する。慧玲も卦狼の声に続いたが、突破したところで敵にかこまれた劉を振りかえる。
「劉様は」
「振りむくな、進め!」
彼は捨て身で敵をひき受けてくれた。
慧玲が患者に命を捧げ、卦狼が愛するひとに身命を賭すように――だが、違うのだ。これだけは伝えなければ。慧玲は雷鳴に負けじと声を嗄らす。
「劉様! 私たちは命を賭けています! ですが、命を捨ててはいません! 負けるつもりがないから、命を賭けられるのです。だから、だから」
「了解です。俺にも負けるなってことですね?」
「ご武運を!」
慧玲は後ろ髪をひかれる思いで、馬を駈る。
「逃がすな、追いかけろ!」
「っと、あんたらの相手は俺ですってば」
慧玲たちを追いかけようとした騎乗の賊の首が飛ぶ。劉は馬から馬に飛び移り、賊を斬り捨てた。雷霆のごとく劉の剣撃が唸る。敵の馬を奪い、また馬を捨て、奇をてらった動きで敵をかく乱した。
眠れる竜が吼えるように牙を覗かせて笑いながら、彼は声を張りあげる。
「いっときますが、俺、強いですよ?」
嵐のなかで叫喚と血潮の地吹雪がごうと吹き荒れた。






