2‐70坊ちゃん武官は頑張らない
竜劉は頑張るということをしたことがなかった。
理由はかんたんだ。頑張ることがきらいなのである。武芸は特に頑張らなくても上達したし、宮廷にあがり武官となってからは竜家というだけでも順調に昇進していった。彼の職場にいるのも大抵は士族や名家に産まれ、適切な教育を受けて官吏の役職についたものばかりで、度を越えて頑張っているものはいなかった。そんなわけで、劉は頑張るという経験をせず、二十五歳までだらだらと生きてきた。
だがこの歳になって、彼のまわりには頑張っているものが続々と現れてきた。
まず、皇太子である鴆だ。宮廷で育っていない落胤だと謗られながらそよ風のように微笑んでわざと侮られるように振る舞い、頭のなかではとんでもないことを考えている。
続けて明藍星。屈託のない笑顔が可愛いが、実は根性があって頑張り屋だ。
旅についてきた卦狼というおっさんも、結婚もできない愛する女のために命を賭けるという。
極めつけは毒々しい食医だ。
彼女は頑張りすぎだった。もはや命をけずっている。毒が効かないといっておきながら、毒で燃えながら歩き続けていた。頑張りすぎを通り越して、こわい。
そんな人たちにかこまれて、彼はぽつねんとおもった。
「なんで、そんな頑張れるんですかね、みんな」
叩きつけるような雨のなかで馬を駈りながらつぶやけば、卦狼が「ああん?」と声を張りあげた。
「頑張らねェと追いつかれるからだろうが!」
慧玲たちはそりたつ絶壁と崖とに挿まれた山峡の径を、馬に乗って逃げていた。
後ろから怒涛のような蹄の地響きがあがる。
「ぜったいに逃がすな」
「黄金を奪え」
怒号を飛ばして賊たちが追いかけてきた。
貿易が盛んになって賊による襲撃が頻発しているという噂は聴いていた。だが、わが身に振りかかるとは考えてもいなかった。賊は慧玲が持っている畢方の卵を黄金の塊だと勘違いしている。「これは卵ですよ」と叫んだが、聴く耳は持ってもらえなかった。
「いまからでも、あの薬を馬に飲ませられねェのかよ」
「このような細い道では危険すぎます」
峻険だが、坤族に会わずに済むと教えられた経路だ。ただでも天候が荒れているこんな晩で、限界を超える速度で馬を走らせては事故の危険があるのは劉でも解る。
「くそっ、あとは後宮に帰るだけだってのによ」
「卵、渡せば助かるんじゃないですかね」
想ったことが、ぽろりと劉の口をついた。
「なんだと? なに考えてんだ、てめぇ」
卦狼が青筋をたてて振りかえる。ずぶ濡れの髪からしぶきが飛び散った。
「ええっ、怒んなくていいじゃないですか。崖から落ちたり賊にやられたりするんだったら、渡してもいいかなっておもっただけなんですけど。卵くらい塩湖にいけばまた」
「卵くらい、ではありません」
先を進んでいた慧玲が卵を抱き締め、声を張りあげた。
「この卵は親鳥が未練を振りきり、渡してくれたものです。患者の命を助けるためにつかっても、黄金でないと知れば投げ捨てるような賊に渡すことはできません。それに後宮を離れるのは七日という約束です。今からひきかえしては間にあわなくなります」
「ふうん、頑張るなあ」
馬鹿にしているわけではない。しみじみと感じているだけだ。
「なんでそんな頑張れるんですか。てきとうでいいじゃないですか。人間、死んだら終わりですよ」
「命より大事なもんがあるからだろ。こんなときになにをグダグダいってやがるんだよ」
ふたりが言い争うなか、慧玲が息をのみ、いきなり馬を停めた。危うくぶつかりかけて、劉も鐙を踏んで馬を急停止させる。
進行方向にあたる崖の角から、たいまつを掲げた賊の大群が押し寄せてきたからだ。
山峡一帯を縄張りとする賊はその地理を熟知している。いつのまにか二手に分かれて廻りこまれ、挟みうちにされてしまった。
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