2‐69鴆、白梟を訪ねる
宮廷には禁秘の毒がある。
月に一度、毒に飢えて死に瀕する慧玲を満たすことができるのはこの秘毒だけだ。鴆の人毒でさえ、一時凌ぎにしかならない。この秘毒を鴆が調毒できるようになれば、慧玲を宮廷の支配から解きはなつことができる。
よって鴆はこの毒について調査を続けていた。
ある晩だ。皇后が貴宮の命婦に「例の毒を」と依頼するのを聴いた。命婦を張っていたところ、命婦は後宮の霊廟に吸いこまれていった。
霊廟の扉は硬く閉ざされている。廟を潜窟としてつかっていた毒師の一族でも裏の経緯から侵入していたが、命婦が通る時だけは扉が開いた。扉はすぐに閉ざされ、命婦を追跡することはできなかった。
霊廟と秘毒にいかなるつながりがあるのか。
霊廟といえば、冬の季妃である儒皓梟が調査していたはずだ。しかしながら、調査時に宦官が規律を破り廟から毒の鉱物を持ちだして、毒疫がまき散らされた。結果として調査は中止となり、責任者たる皓梟は謹慎処分を受けることになった。
皓梟ならば、手掛かりとなる情報を持ってているのではないか。鴆はそう考え、冬の季宮にきていた。
時刻は鶏鳴(午前二時)。あたりは静まりかえっていた。
高殿を積みあげて造られた冬宮のなかでも、抜きんでて高い塔が冬の季宮だ。一階から八階までは書庫室となっているが、鴆は屋頂を渡って九階の窓から侵入した。
謹慎処分を受けている者とでも申請すれば面会は可能だが、欣華皇后に勘繰られるのは得策ではない。
房室のなかは書物の海だった。
古紙から竹簡、木簡。多様な文献が散らばっており、埋もれるように青銅器を始めとした遺物が投げだされている。察するに積まれていた書物がなにかの拍子に崩れて、それきりになっているのだろう。棚には顕微鏡、機巧算盤などがある。貴重な物を蒐集して管理しているつもりなのだろうが、鴆からすれば我楽多の吹きだまりだ。
真っ白な後ろ姿が、うす暗がりにぼうと浮かびあがっていた。皓梟だ。春を過ぎたが真冬と変わらずに白い羽根の被肩を羽織って、几にむかっていた。
「儒皓梟、貴方の智慧をお借りしたい」
声をかけたが、聴こえていないのか、彼女はいっこうに振りかえらない。
「儒皓梟」
諦めずに呼びかけを続ければ、ため息まじりに声がかえってきた。
「聴こえておる。まったくもって喧しいのう。妾は手が離せぬ。落ちつくまでしばし待たれよ」
窓から侵入してきた皇子を待たせて、落ちついて作業を優先するとは。変わりものという噂どおりだ。だが、おとなしく待ち続けても、朝まで終わりそうになかった。
「単刀直入に聴くよ。あの廟はなんだ。あそこにはなにがある」
「ふむ、廟か」
興味を持ったのか、皓梟が手をとめて振りかえる。
「そちは饕餮を知っておるかや」
「饕餮か。人喰いの怪物だ。敵の魂を喰らうとして群雄割拠《ぐんゆうかっきょ
》の時代には大陸各地で信仰されたとか」
すかさず答える。正解だったのか、皓梟は嬉しそうに笏をかざして笑った。
「ほほ、盤古経も読めぬうつけ者と聴いておったが、噂とは信頼に値せぬものよな」
皓梟が語りだす。
「大陸には約一千年前より、饕餮崇拝が根差しておる。遺構を調査すれば、かならず饕餮紋が彫られた遺物が発掘されるほどにな。ほれ、そこにもあろう、その鼎よ」
鴆はうながされて、文献に埋もれた鼎を引っ張りだす。青銅の鼎には、螺旋を描くようにまるまった角を持つ怪物の姿が彫られていた。
「饕餮にたいする崇拝は広範にわたる。だが饕餮を徹底して排した、特異なる国があった。それがこの剋よ」
「それほど特異か? 剋は盤古経に基づき、建国から今にいたるまで麒麟を信仰してきた。だから饕餮にたいする崇拝は、異教として迫害されたんじゃないのか」
「ほほほ、その考えは凡庸よな。だが、妥当でもある。それでは麒麟信仰には空白期があるといったらどうする?」
「空白期?」
鴆が眉根を寄せた。そんな話は聴いたことがない。
「左様。九百五十年前から六百五十年前までの約三百年にわたって、麒麟の遺構や遺物が造られていないのだ。麒麟祭祀の痕跡もない。後宮の廟はこの空白期に造られており、地下祭壇からは饕餮紋が発掘された」
石棺の紋様を転写した紙を渡される。青銅器に彫られた紋と一致していた。
「この時期、麒麟から饕餮に信仰の変遷があったと考察できる」
「饕餮、ね」
腑に落ちて、鴆はつぶやいた。
「解っているのはそれだけか? あの霊廟はなにか、という僕からの疑問には答えられていないね」
「辛辣な男よの。しかもせっかちときた」
「暇じゃないものでね」
「ほほほ、まあ、きらいではないがな。辛気臭い愚か者よりは好ましきかな」
根っからの研究者である皓梟は調査結果について尋ねられるのが嬉しいのか、気を損ねることなく、今度は竹簡を掻きわけて壁画の複写を取りだした。
「廟の祭壇に彫られていた壁画よ」
「盤古経か」
筆致は荒く一部が崩れてしまっていたが、天地創造から刻の帝が地を統治するくだりが描かれているのが解読できた。
「赤い線に水銀がつかわれていることから五百年ほど前に描かれたものと推定される。時系列からして饕餮崇拝が廃止されてから描かれたものであろうや。して、ここからさき、うぬはいかに読み解く?」
壁画は終盤に進むにつれて、様変わりした。盤古経からは遠ざかり、麒麟を取りかこむように植物を始めとした様々なものが描かれている。薬師とも毒師ともつかないものたちが薬碾で植物の根を挽いたり、甕を埋めて発酵させたりしている。
「薬の製造工程か」
「考察するに麒麟祭祀の薬であろう」
人が祭壇に薬を捧げ、麒麟がそれを飲んでいる。
胸さわぎがした。
あらためて鴆は薬種を確かめる。
曼陀羅花、三屍蠱、龍涎香、鴆の知識にもある物ばかりだ。総じて毒である。人の魂を壊す最強の毒である竜血に似た赤い珠まで描かれていた。
鴆は想いかえす。麦角中毒の患者の錯乱ぶりは、慧玲が秘毒を飲んだ時の様子と似ていた。白澤の姑娘が後宮を離れられないよう、皇帝が敢えて依存度の強い毒を渡したのかとも考えたが、それでは順番違いだ。
慧玲のなかにいる毒を喰らう毒――を満たせるのはあの秘毒だけなのだから。
「宮廷は望んで信仰を変えたわけではなく、饕餮を崇拝するほかになかったんじゃないのか」
「ふむ、なにゆえにそう考える?」
「麒麟がこの地を捨てて失踪した時期がある。違うかな」
皓梟の唇が緩やかな弧を描いた。肯定の証だ。鴆は続けた。
「三百年ほどの時を経て、麒麟は帰還した。だが宮廷は再びに麒麟がこの地を離れることを虞た。だから麒麟に依存性の強い毒を与え、縛りつけた――そう考えるのが理にかなっている」
皓梟は微笑しつつ、鴆の眼を覗きこむ。
「眼光紙背に徹すとはこのことか。よもや妾と考察が一致するとはな」
紙燭が揺らぎ、燃えつきた。皓梟は残念そうにため息をついて睫をふせる。
「間もなく、見張りがくる。続きはまた後日に話そうではないか」
鴆は散乱する文献を踏まないように神経をつかって、窓に足を掛けた。塔と塔をつなぐ橋を渡ってくる官吏の燈火が揺れている。
「今度は土産を持って参れ。索盟にも昔から相談に乗ってやっていたが、やつは手土産もなしにきたことはなかったぞ」
「それは失礼したね。また考えておくよ」
袖を振って、鴆が退室する。
今朝から曇天続きだったが、奇妙な風が吹いて昼からにわかに雲が晴れた。いまは月が覗いている。微かに潤んだ青い月だ。満ちるまでにはまだ、かかる。
宮廷は毒薬を造り、麒麟を縛ることで豊饒を得た。いまは白澤の姑娘が同様に縛られている。
鴆は重い息をついた。
この宮廷は毒によって永続しているのだ。その一端が宮廷につかえた毒師の一族であり、秘毒だ。
「うんざりするね」
気を紛らわせるために烟管を喫おうとしたが、鴆は酷く咳きこむ。
唇の端から血が滲んだ。先程飲んだ砒素の毒がまわってきたのだ。砒素は暗殺にもちいられる危険な毒だ。だが人毒にはなくてはならない毒物でもある。
「まだ、この程度の毒だ」
鴆は血を拭うこともなく、低くつぶやいた。
毒を飲んでは克服して、万の毒をその身に取りこむ。地獄をのむようなものだ。幼いころはつらくて壊れそうになった。だが、いまは奇妙なほどに満ちたりていた。
「慧玲」
地獄でできたあの姑娘を喰らっているような、奇妙な昂揚がある。
喰らい、喰らわれて。
彼女の毒に蝕まれるのならば、身のうちを焼かれても構わない。
「あんたは最高にあまくて最低に苦い、ほんと癖になる毒だよ」
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