2‐68山脈は解毒でよみがえる
昨日更新のはずがすっかりと失念しており大変申し訳ございませんでした。
一日遅れの更新になりましたが、楽しんでいただければ幸甚です。
「畢方――」
畢方は片脚だけで湖縁にたたずむ。
卵を奪おうとしている慧玲を威嚇しているのだろうか。畢方は人を捕食することもあるため、慧玲は警戒したが、攻撃してくる様子はなかった。
「なにかを、訴えている?」
畢方は哀しげな眼をして、悲痛な一声をあげた。白澤の智を持ってしても鳥の言葉は理解できない。だがなぜだろうか。
感じるものがあった。
「山脈の解毒を、私に望んでいるの?」
万毒を絶つ白澤の一族でも、土地の解毒までは――そこまで考えて、唐突に思いあたる。そうか、麒麟か。
「私のなかに麒麟の魂があるのがわかるのね」
伝承によると、麒麟は荒廃した地を踏むことで新たなる息吹を吹きこむという。
地毒とは中庸が崩れることで起きる現象だ。この地においては火が強すぎるせいで、木が育たず水までもが枯渇してしまった。
麒麟は中庸をつかさどる。だからこそ慧玲が取りこんだ毒も解けるのだが、それはすなわち、鳳凰もまた麒麟と同様の力を持つという証明になる。
ならば、地毒を解毒することもできるのではないか。
あとはどうやって、その御力を借りるかだ。
(紋様が現れるのはきまって強い毒をのんだときだ。これまでの経験からだと皇后陛下から賜る毒盃と麦角の薬物だけ。でも、強力な地毒ならば、あるいは)
危険な賭けだ。人の領分ではない。
だが鼓動が悲鳴をあげるように脈打ち、慧玲に訴える。毒を絶ち、万命を助けよと。
麒麟は仁愛の魂を持つ。
あらゆる命に慈愛を持って接し、草ひとつでも踏むことをおそれ、虫が息絶えるだけでも哀しむという。豊かだった山脈が毒に蝕まれ、万命が奪われていることを、麒麟が嘆いているのがわかる。
慧玲は跪いて、地に吹きだまる毒の灰をすくいあげ、喰らった。
胸から額にかけて、青い紋様が拡がる。
華は咲かなかったが、清らかな香を帯びた風が吹きあがった。毒の灰が乱舞する。
「そうよ、毒を吹きとばして」
命ずる声にこたえるように風は吹き荒ぶ。晦冥たる嵐が螺旋を描いて天地の境を混ぜた。日が陰って、あたりは昏闇で塞がる。
「いったい、なにがどうなってんですか!」
劉は絶叫して頭をかばい、身を縮めた。無理もない。
「食医!」
卦狼は慧玲を助けにいこうと踏みだしたが、吹き寄せる突風に阻まれて進めない。
風の波濤はたちまちに拡がり、塩湖をさかのぼって峰々をなで、野を渡って山脈一帯を擁する。
火毒を一掃して、風は吹きやんだ。
「終わった、の?」
慧玲が息をつく。
身を貫くような眩暈がした。火毒を喰らったせいか、腕も脚も灼熱感をともなって痺れていた。
ふらつきつつも崩れまいと地を踏み締める。
素足で踏みつけた土壌からひとつ、芽が吹いた。
いっきに緑が萌えだす。焼けこげていた幹の根かたから新たな芽が延びた。燃えつきることなく残っていた枝先に続々と新緑が弾ける。
塩湖をさかのぼるように森が、峰々が息を吹きかえす。
春だ。
山脈の春がよみがえる。
湖の底から湧きたつように黄金がきらめいた。黄金海月だ。
慧玲が思わず微笑をこぼした。
畢方が頭を垂れる。畢方は慧玲に敬意を表してから、卵を残して舞いあがった。
「卵を譲ってくれるのね、ありがとう」
畢方の火が青空の果てに遠ざかってから、慧玲は卵を拾いあげようとしてふらりと崩れそうになる。危うく塩湖に落ちそうだった。脈が鈍い。毒のせいではなく、強い飢渇がこみあげてきて胸を掻きむしる。
暴走して、昏睡するわけにはいかない。
「鴆」
慧玲は鴆からもらった簪を抜いて、毒の珠をひとつ取りはずす。鴆の毒ならば、かならずや飢えをやわらげてくれるはずだ。彼の毒は彼女のものなのだから。
透きとおる紫の珠を舌に乗せ、飲みこむ。
毒が拡がる。紋様が後退して、乱れていた脈が落ちついてきた。鴆の毒が意識をつなぎとめてくれる。
側にいなくとも、彼だけが。
「無事か、食医!」
「食医様、死んでませんか!」
卦狼がかけ寄ってきた。後から劉が続く。
遠くにいたふたりからすれば、禍々しい嵐が吹き荒んだとおもったら緑が萌えはじめて、まったく理解が追いつかないはずだ。
だが慧玲は特に事情を語ることはなく、微笑みながら裙のすそに乗せた琥珀いろの卵をみせた。
「終わりましたよ。還りましょう、後宮に」






