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2‐65ふたつの一族をひとつに

 その集落は緑であふれていた。

 崖にかこまれた地形が幸いして、延焼を免れたのだ。

 新緑が萌える草原に木材と布で建てられた家がならび、小規模な集落をなしていた。家のかたちは昊族がつかう幕包パオという移動式住居に似ている。

 チィ族と称する巽巽シュンシュンに助けられた慧玲フェイリンたちは彼等の暮らす集落へと導かれた。

 のどかな集落だ。鶏とたわむれる子等こらの賑やかな笑い声が絶えることなく、木陰では馬たちが憩っている。集落の人たちはみな一様に暗赤色あんせきしょくの髪をしていた。クン族とハオ族、ふたつの民族の血脈を継いでいる証拠だ。


「族長様、ほら、白澤ハクタク様だよ! 銀の御髪おぐしに孔雀のこうがい、教えてもらったとおりだったよ」


 菩提樹の根かたにすわって瞑想していた老人のもとに連れてこられる。老人はめしいているのか、眼をあけることなく息をのむ。


「白澤様、またお逢いできるとは。そのせつは風土病に蝕まれた一族を助けていただき、あの時の御恩はかた時も忘れてはおりません」


 感極まった族長に手を取られ、身に覚えのない慧玲は恐縮する。


「残念ながら。私は白澤ハクタクの一族ではありますが、こちらの集落を訪れたことはございません。風土病を絶ったのはおそらく、私の母ではないかと」


 幼少のころに母親に連れられて山脈を旅したことがある。

 ハオ族の集落にて宿を借りたが、母親は慧玲フェイリンを残して七日ほど帰ってこなかった。そのあいだ、母親はこのチィ族の集落で風土病の根絶に励んでいたのか。


「左様でしたか……」


 落胆させてしまったかとおもったが、族長は皺に埋もれた眼もとを緩めて何度も頷く。


白澤ハクタク様の姑娘むすめでしたか……確か、白澤様から伺ったように想います。幼い身ながらとても有能な姑娘だと」


「母様が、ですか」


 慧玲のことを褒めたことのない母親が、患者にたいしてそんなふうに語っていたとは意外だった。


「そうでしたか、貴女様が。ご立派になられたのですね」


 逢ったこともない異民族の長に感慨ぶかげに語られて、慧玲は恥ずかしいような、なんとも落ちつかない気持ちになる。


「白澤様はお健やかにお過ごしですか」


「いえ、一昨年の秋に」


 言葉が少なくとも、長には察しがついたのか、彼は光を映さぬ眼から涙をこぼした。


「魂は陽天そらはく陰地に。風がまた命を循らせるまで健やかな眠りをお祈りいたします」


 聴きなれないものだが、鎮魂のみことばだとわかる。山脈の民族が冥福を祈る時、クン族は魄が地に還るといい、ハオ族は魂が天に還るという。


「母が逝去したのち、一族の叡智を継いだ私が後宮食医となりました。このたびは後宮の患者を救えるただひとつの薬種を捜して、宮廷からここまで旅をしてきたのですが。坤族に奇襲されて」


「そうそう、酷かったんだよ。坤族が大砲を持ちだしてきてさ。もうちょっとで、白澤様たちが死んじゃうところだった」


 巽巽シュンシュンが横から説明する。


「ほんとうに危ういところを、巽巽シュンシュン様に助けていただきました。御礼申しあげます」

「とんでもございません。白澤様にはひとかたならぬ御恩をいただきました。細やかながらご恩がえしができて幸甚です」


 青い胡服の袖を掲げ、族長は低頭する。


「皆様は――チィ族なのですね」


「いかにも。ここは坤族と昊族のあいだに産まれた子等が造った集落なのです。終わりのない争いのなかで、まれに血が混ざりあうことはございました。暴力の果てに望まれぬ混血が産み落とされることもあれば、種族の壁を越えて想いを通わせ愛の結晶が産まれることも――ですが、そうしたものたちは昊族には疎まれ、坤族からは憎まれ――受けいれてもらえる場がなかった」


 ゆえに、は族長は続けた。


「我々は互いに身を寄せ、チィ族と新たに名乗り山峡の秘境にこの集落を造ったのです。以後、何十年にもわたって息を潜めておりました」


「左様でしたか」


 慧玲は万感の想いで息をついた。

 凬が願い続けていた理想は現実に息づいていたのだ。


「ふたつの一族をひとつに。そんな理想を掲げていた御方が、ハオ族にひとりだけおられました。かたちは違えども、同様の想いを抱き実現する人たちがおられたことが、私はとても嬉しいです」


 凬が知れば、どれほどに喜ぶだろうか。晴れやかな笑い声が胸によみがえる。依依もまた、涙を浮かべて微笑むに違いなかった。


 羽搏はばたきが聴こえて、菩提樹の枝に一羽の鷂が降りてきた。


「あ、そうだ、このハイタカが報せてくれたんだよ。綺麗な翼だ、嘴のかたちもいい。雛のころからたいせつにされてたんだろうな」


 想いかえせば、このハイタカは宮廷からずっと、慧玲たちの旅についてきていた。


 間違いない、これはフォンハイタカだ。鷂は嬉しそうに囀ると舞いあがり、青空に吸いこまれるように遠ざかっていった。

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