2‐63片脚の鶴の卵
大陸の南部に跨る山脈は炎駒嶺という。
炎駒とは燃える麒麟のことだ。麒麟がこの地を踏み、息吹を吹きこんだことで今の肥沃たる連峰になったという伝承が残っている。故事に違わず緑豊かな嶺で鉱脈にも富み、中腹には棚田状に連なる塩湖群があり、多種多様な動植物の生息地となっていた。
だがそれは、昨年までの話だ。
森を抜け、山脈を眼前に仰いだ慧玲たちは絶句した。
山が焼け死んでいた。
凬の話を聴いて、いかなる惨状かと想像してはいたが、森が焼け落ちた程度の想像でしかなかった。
だが、現実には山脈そのものが焦土と化していた。
「酷い」
踏み締める土が焼け焦げ、毒の灰に埋もれている。芽吹きの時期を迎えても緑の息吹は絶えて、大地は死の沈黙を湛えていた。
「噂には聴いていたが、ここまでむごいとはな」
卦狼は先程から顔色が優れず、呼吸が乱れている。先に卦狼から「火は苦手だ」と聴かされていなかったら、慧玲は彼の急激な体調不良を疑ったに違いない。
火禍から一年経つが、いまだにあちらこちらで煙がくすぶっている。
「煙は毒です。毒を吸わないよう、布を」
「げっ、やばいじゃないですか」
慧玲にうながされて、劉が慌てて布を口もとに巻きつけた。卦狼は假面具の内側に布をあてたらしい。
切りたった崖に挟まれた街道を進む。
「ところでなんですけど、俺たちはこんなところまでなにを捜しにきたんでしたっけ」
「聴いてなかったのかよ、この坊ちゃんは」
卦狼があきれて肩をすくめた。
慧玲は何度、喋ったかわからない話を復唱する。
「山脈の塩湖にだけ棲息する畢方という希少な鳥がいます。燃えるとさかを持った片脚の鶴です。これは八珍にも含まれ、食材としては紅頭鷹といいます。この鳥の卵が木毒を絶つ最良の薬となります。折よく畢方は春に産卵をします。この卵を後宮まで持ち帰るのがこの旅の目標です」
なお、雕皇帝の解毒の時にも畢方のとさかを取り寄せた。塩湖にある巣から卵を持ちだすのとは違い、遠くから射落とせばいいだけなので、宮廷の遠征隊を派遣した。
「おおっ、なるほど、木の毒には火の薬ってわけですか」
理解できたとばかりに劉が声を張りあげた。
「残念ながら違います、木には金です」
「坊ちゃん、お前はもう喋るな」
卦狼に叱られて劉が落ちこむ。慧玲は苦笑しながら続ける。
「まあまあ、あたらずとも遠からずですから」
農耕祭事においては、松明を掲げて害虫を退ける。もっともこれは虫が火に飛びこむ習性があるからで、五行思想とは関係がない。
「木を制するのは金です。畢方の声は鉦の音に似て澄んでいて、山脈一帯に響きわたるほどに徹るそうです。そしてその卵は黄金で、銅鑼に似たかたちをしています」
「つまり、畢方は金の薬種か?」
「左様です。畢方は火をも侮る金の要素を持ちます。つまりは燃えている、のではなく、火を帯びていても、燃えないのですよ」
そもそも煙草の毒に火の要素は厳禁だ。
進むほどに火禍の酷さがあらわになる。燃えつきた木々が焦げた幹をさらして、死に絶えていた。豊饒なる山岳地帯だったとは思えない不毛の地になり果てている。
暗いきもちになりながら、街道を進んでいたそのときだ。
馬の前方に矢が射こまれた。
馬は嘶き、慌てて脚を停め居竦まる。
奇襲か。劉と卦狼の動きは早かった。剣を抜き左右から慧玲を衛るように身構える。
「我が山脈を踏み荒らすのは何者だ!」
勇ましい声に振り仰げば、崖頂のふちに武装した男たちがならんでいた。鎧をまとい弩弓を構えている。重さのある髪を風になびかせたその様は紛うことなき――
「坤族!?」