2‐62窮奇の里は燃えた
「やみそうにありませんね」
洞窟から外を覗いて、慧玲が頭を振る。
小振りならば濡れながらでも移動を続けるつもりだったが、夜になって土砂降りになった。さすがに洞窟に身を寄せて仮眠を挟むことになった。
出発から約二日が経ち、疲れもたまっている。休憩する良い機会だ。
「ええっ、宿とかないんですか? 俺、こんなとこで眠れないんですけど。硬いしかび臭いし、蚊どころか蜈蚣とかいそうじゃないですか」
劉はあいかわらず文句を垂れていたが、枕に頭を乗せるなり高いびきをかいて爆睡した。疲れきっていたのか、実は無神経なのか、どちらだろうか。
「卦狼様、見張りお疲れ様です。替わりますね」
「食医こそ休んどけ。俺は馬に乗りながらでも眠れるからな。昼にも仮眠した」
「き、器用ですね。喋らないなとおもってはいたんですが、眠っておられたんですね」
卦狼は洞窟の壁にもたれて、森を唸らせる夜の嵐を眺めていた。後宮に残してきた李紗に想いを馳せているのだろう。
「媛さんは今ごろ、眠れずに苦しんでンだろうな」
「私は藍星のことが気掛かりです」
「あの女官は頑丈だから心配いらんだろ。頭は悪いが忠実で、強い」
卦狼の言い様には親しみがこもっていた。慧玲は苦笑しながら弁解する。
「藍星は頭もよいですよ」
識字ができない女官、妃妾もいるなかで藍星は難解な医書を読み習得している。
「いや、馬鹿だよ。馬鹿だが、努力してんだ。強い姑娘だよ、あれは」
「そうですね、彼女の強さには私もどれだけ助けられているか、わかりません。彼女は私にとって道標の燈火のようなものです。彼女がいるから、昏い道を選んでもまた、帰ってくることができます」
明藍星と逢えたことはかけがえのない縁だ。
だからこそ、ぜったいに解毒しなければならない。どんな危険をおかしても。
「寒くなってきましたね。焚火にでもあたりましょうか」
服がまだ濡れているせいもあって、底冷えしてきた。
「服を乾かすならいまのうちだぞ。俺は振りかえらないが、あっちの坊ちゃんは姑娘に気遣えるような神経はしてないだろ」
「ふふ、ありがとうございます。御言葉に甘えますね」
慧玲は帯を解き、服を乾かす。濡れ髮も解いて風にあてた。
「俺は火がきらいだ」
卦狼が三白眼をとがらせて、ぼそりとつぶやいた。仮面に隠れている卦狼の火傷のことを想いだして、慧玲は視線を彷徨わせる。
「すみません。先程から火を熾してもらって、いやな想いをさせてしまいましたね」
「違う、こんな程度の火だったら怖かねェよ。だが、火禍の跡地に赴くのはしょうじき気が重い」
卦狼は宮廷につかえていた窮奇という毒師の一族の生き残りだ。
窮奇の一族を滅ぼしたのは先帝だった。窮奇の里は燃やされたのだと鴆から聴いていた。毒に蝕まれて壊れるまえから、先帝がこのような残虐なことをしていたとは想いたくなかった。だが、だからこそ真実は知っておきたい。
「あの晩、なにがあったのですか」
「さあな。なにがどうなったのかは解らねェよ。ただ、寝てたらいきなり家が燃えた。わけもわからずに飛びだしてったら、里のいたるところで火の手があがってた。夜だってのに、空が真っ赤でな。月もないのに、夕焼けみたいに明るかったよ」
卦狼は振りむかなかった。だが、背をむけていても眼のなかに炎が揺らめいているのがわかる。
「俺には親がいなかったからな。育ててくれた爺を捜してたら、燃えおちた家からこげた腕だけがでてた。腕に刺青があってな。間違いなく爺だったよ。孫を助けようとしたらしかったが、まるこげになった嬰孩の亡骸が側に転がってた。助けられなかったんだな――家族も友も全部、焼けた」
「ごめんなさい」
「お前が燃やしたわけじゃねェだろ」
「ですが、先帝の罪です。私の罪にも等しいものです」
「違う。俺はお前のそういうところがきらいだ。なんでもかんでも、てめぇのせいにして抱えこみやがって」
慧玲は戸惑い、唇をかみ締める。解っている。産まれてもいない時の罪を、その身にひき受けて責をかぶる。傲慢だと想われてもしかたがない。
だが、皇帝とはいっさいの毒を喰らうものだ。
民が過ちをなせば、皇帝が民の罪をひきかぶり、その結果を享受することになる。先帝、先々帝の罪を負い続けるのも皇帝の役割だ。慧玲はそう教えられてきた。
卦狼はため息をつき、濡れた髪を掻きむしってから続けた。
「俺はあの晩、皇帝の軍を見ていない」
焚火の薪が爆ぜた。
「どういうことですか」
「言葉どおりだ。先帝は毒師と絶縁した。それは事実だ。だが、燃やしたのが先帝かどうかはさだかじゃない。少なくとも、俺は疑ってる。そもそもあれだけの里をいっきに燃やすとなれば、大軍を率いて攻めこむか、里の構造を熟知してねェと無理だからな」
「ならば、いったい、誰が」
「宗家だ」
卦狼が声を落とした。
「ここからは俺の推測だがな。絶縁され、先帝を逆怨みした宗家の長が里に火を放ち、焼死した一族の怨嗟を生き残った宗家の娘にかぶせた――蠱毒みたいなモンだ。だが事実として、火禍を逃げ延びた宗家の娘によって最強の禁毒がなされている」
「鴆のことですか」
「なんだ、知ってるのか」
よほどに意外だったのか、卦狼は眼を見張る。鴆が他人に一族の話をするとは想ってもみなかったらしい。
「だが、宗家を唆したやつはいるはずだ。一族を燃やして復讐を果たせとな」
思慮分別がついていれば、一族を根絶するなんていう異様な復讐は選ばない。宗家が錯乱していたことは確かだった。
語り終えて、どちらからともなく息をつく。
「ありがとうございます。辛い話をさせてしまいましたね」
「とっくに終わったことだ。言うほどには辛かねェよ」
慧玲は乾いた服を羽織りなおして帯を締めた。解いていた髪はあらためて結いあげ、笄を挿してから、彼女は卦狼の側に近寄った。
「卦狼様のご推察どおり、先帝が里を燃やしたわけではなかったとしても、先帝が絶縁を選ばなければこのような結果にはならなかった」
慧玲は静かな声で語る。懺悔であり糾弾であり、決議だ。
「先帝は毒も薬もあわせ飲んで、窮奇の一族と進んでいく理を模索するべきだった。毒は薬に転ずるもの。窮奇の一族もまた愛すべき民だったはず」
白澤たる先の皇后は毒を疎み、先帝に窮奇の一族との絶縁を勧めた。察するに、窮奇の一族は毒を扱うというだけではなく、内廷の政を蝕む毒でもあっただろう。だがそれを制し、毒を薬となしてこそ皇帝ではなかったのか。
「愛すべき民、か」
かみ締めるように卦狼がつぶやいた。
「俺は麗雪梅に毒を盛った。だが、お前はそんな俺の命を助けた。なんでか、俺には納得できなかった。だが、今頃になって理解できたよ。お前は薬なんだな」
慧玲はきょとんとなる。
「もとより、私はそのつもりですが」
そうじゃないとばかりに卦狼は頭を振った。
「食医でもなく、薬師でもなく――――薬なんだよ」
いまひとつ、その違いが理解できなかった。だが、彼の言葉は異様なほどに重く、胸に落ちてきた。なぜだろうか。
「雨、やんできたな」
雲がちぎれて月が覗いていた。まだ、霧のような雨が降り続けているが、まもなくやむだろう。これでまた、先に進むことができる。
「劉様を起こしてきますね」
慧玲は熟睡している劉の肩を揺さぶり「劉様、劉様」と声をかける。
「眠い……槍が降っても蛙が降っても……起きたく……ない、ぐうぅ」
「だめですよ。起きてください」
思いきり腕を引っ張って、なんとか起こしたが、劉はまた横に倒れていびきを掻きはじめた。見かねた卦狼がいっさい手加減せずにその頭をひっぱたいた。
「いてぇっ、なにするんですかっ」
「起きたみたいだな」
「そりゃあ殴られたら起きますよっ。ひどすぎませんか……」
劉はしばらくごねていたが、さすがに二度寝はせずに荷をまとめる。卦狼は焚火の始末をしてくれた。燃え滓を踏んで鎮火させながら、卦狼がつぶやいた。
「そうか、あの救いようのない男を変えたのはお前だったのか、食医」
いつもお読みいただきまして、ありがとうございます。
皆様にご連絡があります。
現在WEBにて連載しております「後宮食医の薬膳帖 第八部」は、
メディアワークス文庫より発売中の「後宮食医の薬膳帖4」に収録の「第九章 夏煙の華と天津飯」になっております。
ただ、書籍版のほうは慧玲が旅にでている間の鴆サイドのストーリーが収録されています。鴆がいかにして人毒を取りもどそうとしているのかを含め、彼がたったひとつの愛のために母親の呪縛を絶とうとする姿が描かれているので、機会があれば是非書籍版と読み比べてみてください…! 他にも書籍版だけの加筆がいろいろとあります!(ダイマ笑)
もちろん、WEB版だけでは話が分からない…なんてことはありませんし、どちらのかたちでも「後宮食医の薬膳帖」を楽しんでいただけるのが作者にとってはなによりも嬉しいことなので、
負担には感じないでくださいね!
それでは引き続き「後宮食医の薬膳帖」をよろしくお願いいたします!






