2‐61食医とおっさん毒師と坊ちゃん武官の珍道中
昼夜を分かたずに移動を続ける。
約一日が経ち、慧玲たちは草原を越えて南北に通る旧街道を進んでいた。一帯は豊かな森で、時々旅の馬車とすれ違った。新たな街道が別途にできてからは、旧街道を経由するのは辺境にむかう旅人だけだ。
白澤の薬は効果抜群だった。馬は眠るどころか休憩も挿まず、駛走を続けている。今晩も走り続けることができれば、明朝には山脈につくだろうか。
慧玲も卦狼も疲れを滲ませずに進み続けていたが、ひとりだけ、ふらついて馬から振り落とされそうになっている男がいた。
「食医様、食医様。俺、ケツがふたつに割れかけてんですけど。ってか、ちょっとだけでいいんで、休憩しませんか? 頼みますから」
限界なのか、劉は情けない声をあげる。
「も、ほんとに無理ですって。つか、腹も減ったし眠すぎます。馬に乗ったまま、俺が死んだらどうするんですか」
「だいじょうぶです。一晩眠らず馬に乗っているくらいでは死にませんよ。水分補給はなさっているでしょう?」
水筒は持たせてある。晴れているとはいっても、夏ほどに暑くもない。
「うう、腹減った腹減った腹減った腹減った」
「おい、呪詛みたいなのを唱えだしてるぞ」
劉の想いが馬にも通じているのか、馬脚が衰えだす。さすがに置いていくわけにはいかず、慧玲が馬をとめた。
「あんなの、放っとけよ」
「できませんよ。腹が減ってはなんとやらと言いますから。それにほら、ここならば水場もあります。馬にも水を飲ませておくべきかと」
荷を減らすため、食料は持ってきていなかった。すべて現地調達になる。
森に踏みいると水芭蕉が群生する湿地帯になっていた。細いせせらぎはあるが、雨季にだけ流れるものなのか魚はいなかった。
不意に草が揺れた。慧玲が抜群の瞬発力でなにかを捕まえる。
「最高の食材がありましたよ」
慧玲が自慢げに捕まえた物を掲げる。
食材はもがきながら、げろげろぐおおぉぉと鳴いた。
「……でっかい蛙じゃないですか」
「牛蛙です。まるまると肥えていて、つやもある。素晴らしいとおもいませんか」
「いや無理です、蛙ですもん。蛙なんか、どんな毒があるかわかりませんって」
「牛蛙に毒はありませんよ。毒があるのは蟇蛙です」
喋りながら、慧玲は鶏ほどはある蛙を逆さづりにして、頭を側の幹にたたきつけた。ここできちんと気絶させないとかわいそうなので、いっきにやる。
劉はあまりのことに白眼を剥きそうになっていた。
蛙を続々と捕まえて、慧玲は調理を始める。庖丁は持参していた。蛙の皮を剥いで腹を割く。下処理を終えれば、うす桃いろの身がぷるんとあらわれた。
持ってきた塩、胡椒を振って、森で摘んだ垣通という植物をつかって香りづけをした。垣通は紫の花を咲かせるあり触れた野草だが、肉の臭みを取り除いてくれる有能な香草だ。
「火は熾したぞ」
「助かります、卦狼様」
焚火をつかって、蛙を焼く。次第に食欲をそそるにおいが漂ってきた。
「できました、蛙の串焼きです」
こんがりと焼けた蛙を差しだす。脚のかたちがまだ蛙の原形を残しているが、意識しなければ骨つきの鶏ももとも似ていた。
卦狼は抵抗がないのか、仮面をずらしてかぶりついた。
「うめぇな。ほら、坊ちゃんも腹になんかいれとけ」
「ええぇ、でも蛙じゃないですか、やだなあ」
ぼやきながらも食欲には抗えなかったのか、劉はおそるおそる端っこをかじった。かみ締めたとたんに旨みがあふれてきて、彼は眼を見張る。
「うまいですよ、これ! 蛙なのに、すっげえ蛙なのに! 味は鮎みたいですね!」
蛙というと野趣の強い味を想像するが、意外にも品のいい味わいだ。弾力のある触感は鶏のささみに似ているが、鱈や鰆といった白身魚の味がする。
「坊ちゃんは知らねェだろうが、田舎町だと蛙は鍋にして食うぞ。ま、食うために育ててるやつだし、野生の蛙をここまで臭みなく調理はできねェがな。さすがは食医だよ」
腹ごなしを終え、旅を再開する。劉は「腹が満たされたせいで眠けが酷くなった」とか言いだしたが、今度は慧玲も振りかえらずに馬を駈る。
空がにわかに掻き曇ってきた。
「ひと雨、きそうだな」
暗雲を睨みつけて、卦狼が呻る。
黄昏を待たずして雨になった。






