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2‐59毒蝗の茶

 藍星ランシンが、倒れた。

 花をいて息絶え絶えになりながら「このくらい、へっちゃらです」「まだまだ、御役にたてます」と訴えていたが、なんとかさとして離舎りしゃに帰らせた。

 後宮では李紗リィシャを含め、花喀はなはきの毒疫患者が三十名ほど確認された。だが、患者たちを結びつけるものが、ない。強いていうならば、患者は妃妾が八割を占めていた。

 毒のもとが解けないかぎり、今後も毒疫が拡大する危険もある。

 幸いなのは命にかかわる毒ではないことか。


李紗リィシャ嬪、緩和の薬を御持ちいたしました。銀耳雪梨糖水しろさときくらげとなしのはちみつにです」


 盆に乗せられた椀を差しだす。


 李紗は蜂蜜で煮た銀耳しろきくらげを匙ですくい、吸いこんだ。銀耳がぷるんと弾けてから、舌でとろける。梨は煮崩れることもなく心地のよい食感を残していた。ふたつの食感を味わって李紗が穏やかな息をつく。


「は……呼吸いきができます。ぎゅっと締めあげられていた喉が、胸までいっきに緩んできて……ほんとうにあなたの薬はすごいものですね」


「よかった。こちらの薬では残念ながら、解毒まではできかねます。ですが、ひとまずは衰えた肺を補うことができれば、咳が減って御楽になられるかと」


 銀耳しろきくらげは肺を潤すゴンの薬だ。潤いのある肌、張りのある美声をつくることから、美容にこだわる妃妾たちがこぞって後宮に取り寄せたという。

 だが、李紗を蝕んでいるのは金を侮る木の毒だ。これだけでは肺のなかに吹きだまる毒を緩和するには及ばない。


 そこで蜂蜜だ。

 蜂蜜は土の薬だ。五行思想において金は土によって培われる。金は水を産み、この循環が肺を潤わせ、毒を緩和する薬となる。


 後から藍星にも食べさせてあげなければ。


「ずいぶんと楽になってきました」


「よかったな、媛さん」


 卦狼グァランは安堵して、李紗リィシャの頭をなでる。


「食後の薬茶を淹れてきますね」


 庖房くりやを借りて、慧玲は金銀花茶きんぎんかちゃを淹れようとする。金銀花茶には煙草の毒を解毒する効能がある。

 茶器を捜していた慧玲フェイリンは、棚におかれた華やかな茶筒に視線をとめた。夏の妃が選んだという季めぐりの茶葉だ。藍星ランシンがせっかく淹れてくれていたのに、ヂェンと逢っているうちにわすれてしまった。申し訳ない。後から埋めあわせをしないと。

 だが高級な茶葉だといっていたが、どんなものだろうか。蓋をあけて、なかを覗いた。蘭の芳香が拡がる。


 蘭花茶らんかちゃか。


「変ね、赤い粉が混ざっている」


 花茶は薫花くんかという工程を経て、基となる茶葉に花の香を移したものだ。香りづけが充分ではない安物の茶葉ほど、本物の花を混ぜてごまかす。高級な茶葉ほど花を取りのぞくはずなのに。


 茶葉から微かに毒のにおいがした。

 てのひらにだして、舐め、味を確かめる。


(花なんかじゃない、これは)


 いなごだ。


 昆虫特有のにおいが拡がり、舌の先端が痺れだす。ただのいなごではない、毒の蝗だ。なぜ、そんなものが茶葉に紛れているのか。


 茶葉に異物が混入することはまれにある。

 だがこれは乾燥させたいなごを挽き、粉末状にしてあった。故意に混ぜているのだ。


「食医。ひめさんは眠っちまったよ。せっかく茶を淹れてくれたのにすまねェが、眠らせといてやって……なんだ、酷い顔だぞ、なにかあったのか」


卦狼グァラン様、こちらに」


 報告にきた卦狼を振りかえり、慧玲は慌てて茶葉を差しだす。


「茶葉に毒の蝗が」


「なんだって……やられたな。くそっ、俺が感づいていれば」


 無理もない。茶を淹れるのは李紗つきの女官の役割で、卦狼が茶葉を確認することはめったにないだろう。重ねて、卦狼は火傷のせいで鼻が利かない。茶から漂う微かな毒の臭いを嗅ぎわけるのは不可能だ。


「ですが、蝗の毒でなぜ、煙草たばこの花が咲くのでしょうか」


 慧玲フェイリンは腑に落ちなかったが、卦狼グァランは瞬時に理解したらしい。


葉煙草はたばこは害虫駆除の毒だ。昔から虫害が酷いと葉煙草を煮だして、畑に撒いた」


「煙草の毒は人畜にも害を及ぼすのでは」


「そうだ、危険だ。だから昨今は毒をつかわず硫黄を燃やすようになった。だが蝗害にさらされたら、より強い毒に頼るのもまあ、理解できる」


 さすがは毒師だ。卦狼の毒の知識で煙草と蝗がつながった。


「だが、異常繁殖したいなごには次第に毒が効かなくなっていく。毒で弱った蝗を喰っているうちに抗体ができるからな」


「聴いたことがあります。異常繁殖したいなごは群化して凶暴になる。共喰いを始めて、これまでは食べなかった有毒植物まで根こそぎ喰らうようになるとか。李紗嬪に大走野老ベラドンナを誤食したかのような散瞳の症状が表れていたのも、蝗が食べた毒の影響と考えて間違いなさそうですね」


「皮肉なもんだろ。植物は虫に喰われないために毒を身につけた。だが、飢えた蝗は毒ごと喰い散らかして、てめえが毒蝗どくいなごになっちまうんだからよ」


 卦狼は低く喉をならしてつぶやいた。


「毒と毒の喰いあいみたいなもんだな」


 それは蠱毒と酷似している。


「この茶葉について宮廷に調査を依頼してきていただけますか?」


「あァ、わかった」


「私は皇后陛下のもとに赴き、夏の季めぐりの御茶を飲まないよう、後宮全体に御布令をだしてもらってきます」


 これは夏妃である愛が選んだ季めぐりの茶だ。だが都に赴いて茶を取り寄せ、各宮に配布するのは宦官の役割だ。どこで毒が混入されたのか、慎重に調査する必要がある。


「厄介な毒だが……媛さんは助かるんだな?」


「おまかせください。かならず毒を絶ちます」


 気遣わしげな卦狼グァランの言葉に力強くかえしてから、慧玲はひそかに唇をかみ締めた。

 解毒に必須となる薬種は二種だ。ひとつはこうじという酵素だ。これはディアオ皇帝の毒疫を解毒したときに取り寄せてもらった残りがまだ、離舎の倉に保管されている。


(どうしても、たりないものがある)


 薬種やくだねなくして後宮の毒は絶てない。

 だが、こればかりは宮廷に依頼して取り寄せてもらえるものではなかった。


(だったら、私にできることはひとつだ)


 皇后が懐妊しているこの時期にこんなことが許されるとは想えない。だが、ほかに道はなかった。

 慧玲フェイリンは強い意志を滲ませ、春宮を後にする。

 貴宮たかみやに続く橋を渡りはじめたところで雨がざあと降りだす。雨の雫は鞭を振るうように後から後から背をたたき、慧玲の焦燥感を急きたてた。

 


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