2‐43鴆による潜入調査
「ほんと、予想外にも程がありますって!」
劉が鞘つきの剣を振るった。
風を唸らせて振りおろされた薪割り斧を弾きかえす。
斧を振りまわしているのは年端もいかぬ官巫女官だ。女官は斧を弾かれて後ろに退り、すぐさま追撃を繰りだしてきた。尋常ならざる動きだ。
「賊なのです」
「許せません」
「男です」
「なおのこと、許せません」
「埋めちゃいましょう」
「そうしましょう」
雀の群れのように楽しげに喋りながら、女官たちがいっせいに襲いかかってくる。雅やかな琴の旋律がふさわしい季宮の中庭で剣戟の喧騒が嵐のように巻きおこる。
「まったくもって、厄介なことになったね」
鉈を振りかぶる女官に足払いをかけ、退けてから、鴆がため息をついた。
慧玲が身を挺して宮廷官巫を牽制している隙をつき、鴆は劉を連れて秋の季宮に侵入した。そこまでは狙いどおりだった。あとは秘密裏に調査をして証拠物を捜すだけ――そのはずが、侵入してまもなくして女官たちに感づかれてしまった。ふたりとも素姓を隠すため、外套をかぶっている。だから助けを呼ばれるまえに女官を気絶させれば、済むことだった。だが、女官は逃げだすどころか、斧を持って攻撃してきたのだ。
「俺は喧嘩は大好物ですが、姑娘を殴ったり蹴ったりするのはどうにも」
しぶりながら、劉は斬りかかってきた女官を薙ぎはらう。
鞘から抜いていないので、斬れることはなかったが、女官は中庭の石段を転がりおちていった。だが、すぐに階段をあがってくる。骨が折れたのか、左腕がぶらぶらと垂れさがっている。それにもかかわらず、女官は笑いながら、再度斬りかかってきた。
「うげっ、だから異常ですってば! どうなってんですか!」
「麻薬だよ。運動神経があがって死にたいしても臆さなくなる。訓練をすれば、最強の軍隊のできあがりだ。侵入をすぐに察知されたのもそのせいだろうね、可哀想に」
「こわ……そんなことできるんですか」
鴆は短剣に毒を塗っていたが、薬物で神経が麻痺している女官たちには微量の毒では効果がなかった。即死毒ならば、さすがに効くだろうが。
(殺す、わけにはいかないか)
だが、これではきりがない。
女官たちは骨が折れようが、短剣が脚に刺さろうが、お構いなしに襲いかかってくる。痛みを感じないだけで人間はここまで強くなれるのか。
劉は剣をもって斧を受けとめていたが、斬撃が重すぎて腕が痺れたのか、顔をしかめる。鴆は端から攻撃は避けるか、柳に風とばかりに受けながしていた。
「しっかし、あれですね。こうたい……げほげほ、貴方様ってお強いんですねぇ。暗殺者みたいな動きですごいです」
劉が感心したように声をあげた。さすがに侵入している時に公然と皇太子様とは呼ばないだけの弁えはあったらしい。
「褒められているかな、それは」
「完璧に褒めことばですよ! だって、格好いいじゃないですか、暗殺者って!」
言動はともかく、劉もまた武芸の腕だけは卓越していた。
致命傷を与えないように加減をしながら、これだけの人数をさばいているのだから大した技量だ。親の縁故だけで侍中の役職についたわけではないのか。鴆がわずかに感心する。
鴆が毒をつかわなければ、互角だろうか。
なにより、剣を振るうのが好きだというのが端々から感じられた。名家の三男でありながら剣をつかいたくて、危険をともなう武官という役職についた物好きだという噂も聴いたが、あながち嘘ではなさそうだ。
その時だ。ひらりと蝶が舞った。
有事のために慧玲の袖にしのばせていた偵蝶だ。慧玲の身に危険がせまっている――鴆は瞬時にそれを理解して、息をのむ。
「隙ありですっ」
背後から女官が斬りかかってきた。鴆は咄嗟に短剣を振るいながら、身をひねる。脇腹を鉈がかすめていった。袖がちぎれ、血潮が滲む。
「ちっ、そろそろ、わずらわしくなってきたな」
劉を連れてきたせいで、毒蟲はつかえない。皇太子が蟲を扱う毒師だとばれるのは望ましくなかった。
(いっそ、人毒の血潮を剣にしのばせて、殺すか。ひとりも残さず息の根を絶てば、証拠も残らないだろう)
鴆は頭のなかで策略を練る。
女官を殲滅してから、慧玲を連れて帰還。秋の季宮が大変なことになったと騒ぎになってから現場調査というかたちで官吏を派遣して、麻薬製造の証拠を押収させれば、万事解決となる。
鴆は他人の命を重んじていない。女官全員が死に絶えようが、後宮が壊れようが、彼にとってはどうでも構わないことだ。
鴆が一瞬だけ、劉に視線を投げる。
鴆に疑いがかかるようなことがあれば、劉が虐殺をしたことにする。もともとそのために彼を連れてきたのだから。
劉は鴆の視線からよからぬものを感じたらしく、口の端をひきつらせた。
「えっ、なんか、とてつもなく悪いことを考えていません?」
「まさか。たいせつな侍中の身を案じただけだよ」
「嘘だぁ……俺、馬鹿ですが、勘はいいんですよ、ねっ」
劉は敵をいっきに薙ぎ払って鴆と背をあわせる。声を落として、鴆にしか聴こえないように尋ねてきた。
「皇太子様って、ほんとはもっと違うにんげんですよね?」
品行方正で物腰穏やかな皇太子。白眼視されて畏縮しているだけの、頼りない男。全部が演技だろうと。
「……」
鴆は振りかえり、微笑みかけた。
「だとしたら?」
ひと匙の毒を滲ませて。
「あなたがつかえているのは僕の皇太子様だろう? 役者がどんなにんげんであろうと関係はないはず。違うかな」
劉は後れて鴆の意を理解したのか、へらりと嗤った。
「違いませんね。俺はてきとうに働けて、できれば剣を振らせてもらって、給金をもらえればいいです。あ、でも、蜥蜴の尾にはなりたくないですね」
「わかったよ。そのかわり、宮廷ではよけいなことを喋るなよ」
鴆の袖から夥しい量の蜘蛛が身を躍らせた。
琴蟲だ。真珠ほどの蜘蛛だが、琴の弦のような撚糸を喀く。この蜘蛛の撚糸は剣でも斬れない強靭さを持つ。蜘蛛の喀いた撚糸が続々と女官に絡みつき、縛りあげた。逃げだそうとしたものもいたが、残らず捕獲して軒につりさげる。
「いい蟲だ」
琴蟲が役割を終えて、鴆の袖に還る。
「すっげぇ、やっぱり格好いいじゃないですか」
劉は眼を輝かせて終始、歓声をあげていた。
「むむむっ、逃げられないのです」
「腕は要らないから、抜けだすのです」
女官は縛られてなお、もがき続けている。撚糸で切れた肌から血潮が滲んで垂れた。腕を捨てて、抜けだそうとしているものまでいた。完全に頭まで薬がまわっている。鴆があきれて、ため息をつく。
不意に風が吹きあげてきた。
奇妙な風だ。
風にさらされたのがさきか、あれだけ抵抗を続けていた女官たちの身が弛緩した。紫の瘴毒を吐きだして失神する。
「どうなってんでしょう、これ」
清浄な花の香をともなったこの風には憶えがあった。
慧玲だ。
鴆は考える暇もなく、地を蹴っていた。
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