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2‐40毒は患者に嘘をつかせる

 秋の季宮ときみやでは琴が鳴り続けていた。

 調査のために季宮にきた慧玲フェイリンは透きとおった旋律に死んだ妃嬪ひひんを想った。萬萌萌(ヤアヤア)。彼女のためにも毒を根絶しなければならない。


ユエジン様に御逢いいたしたく参りました」


 女官たちは歓迎してくれた。

 秋の季宮のなかを進み、中庭にある祭殿に通された。ここではまだ、遅咲きの桜が咲き残っていた。


 祭壇ではジンが地に脚を投げだすようにしてすわっていた。


「静様、食医様が御越しになられています」


「通して」


 祭壇にどうぞとうながされ、慧玲は三段のきざはしをあがる。天地壇てんちだんを模倣して建てたにしては重みのない建造物だ。金箔でやたらと飾りたてているせいだろうか。

 慧玲は背を張りつめて、静とむきあった。


「解毒治療を続けていた後宮の妃妾ひしょうたちが錯乱して、死にました」


「そう。秋の季宮にも報せがきていたわ」


 静は感心がないのか、髪を弄ぶばかりで視線もあわせない。だが、慧玲は緑眼をそらさなかった。


「なぜ、解毒直前になって神経に異常をきたしたのか。白澤の知をもって調べた結果、麦角バッカク中毒であることが明らかになりました。その後、とある患者に密偵となってもらったところ、こちらの薬を渡されたと」


 慧玲は袖から竹筒と椀を取りだす。


「静様ならば、知っておられるのではないでしょうか」


 椀にあけた。

 さらっとしたかゆのような飲み物だ。穀物のつぶがわずかに残っている。

 背後に控えていた女官たちがざわめいた。静がようやっとこちらに視線をむける。その眼は虚ろで曇った鏡を想わせたが、眉の端だけが微かに震えた。

 挑むように慧玲は尋ねる。


「こちら、宮廷官巫の神薬ではありませんか?」


 藍星ランシンを連れて離舎に帰った慧玲は、宮廷官巫の本拠への調査を志願した。

 なにも知らない振りをして薬をもらい、飲んだ振りをして証拠物を回収するという策も考えたが、食医が患者を毒した薬物を欲しがるというのは理にかなわないため、すぐに疑われるだろう。


 結果、慧玲は決めた。正々堂々決闘すると。


「そんなはずはないと思われましたか? そうですね。かならず、飲み終えるまで確認しておられたのですから。ですが、実はこうすれば飲んだふりができます」


 慧玲は袖をひき寄せながら椀を飲み乾すふりをして、袖にしのばせた布に吸わせた。椀がからっぽになったのをみせてから、袖から布を取りだして、しぼりだす。残らず、椀にかえしてから続けた。


「密偵をしていた患者はこうして薬を押収しました。その時に宮廷官巫らしき姿を見掛けたと」


 もちろん、はったりだ。


 密偵などはおらず、患者は例外なくこの薬を飲んでしまっていた。

 だからこの粥のような神薬は慧玲が造った。麦角菌に寄生された竹の実は残っていなかったので、汚染された麦を取り寄せてもらったのだ。

 ややあって、静は息をついた。


「それが、なにか?」


 信じ難い言葉に耳を疑って、慧玲は眼を見張る。たいする静は異様なほどに落ちついていた。


「私はただ、彼女たちを救っただけ」


 彼女にはひと匙の呵責もなかった。

 後悔もなく恥もなく、静は蝶のようなまつげを瞬かせる。


「……救ったと」


 慧玲は喉をひきつらせた。


「救ったというのですか! 彼女らは錯乱して、骨も残さずに命を落とした。助かるはずの命が奪われた。それがなぜ、救いなのですか!」


 声を張りあげ、糾弾する。

 青天のもと、燃える篝火が弾けた。香を帯びた煙が吹きあがっている。眩暈のするような強いだ。荒い呼吸をしていた慧玲はせこみそうになった。


「救いよ。つらいことはなくなった。毒疫にさいなまれることもなく、哀しみにさらされることもなく、幸せに逝ったでしょう? なにが不満なの」


「ですが、彼女たちがこれから感受する幸福もまた、喪われた。妃妾を愛していたものがどれほど嘆いたことか」


 萌萌ヤアヤアの死を嘆き、遺された服を抱き寄せる女官たちの姿を想いだすだけでも、やるせなさが胸を突いた。


「だから、それがどうしたの」


 この期に及んでも、ジンはいっさいの理解を持たなかった。


「他人が嘆くから、苦に縛られてでも生き続けろと命令するの?」


「それは」


「医者って偉いのね。患者たちは声を嗄らして訴えていたはず――死にたいって」


 唇をかみ締める。


 萌萌のかすれた声が鼓膜から離れなかった。彼女は「死にたい」とつぶやいた。だが、琴にはこころを動かした。再びに弾きたいと想っていたから、もう弾けないのではないかと彼女は嘆いたのだ。

 それは、生きたいという魂の声ではなかったか。


「違います、あれは毒がつかせた嘘です」


 彼女は助かりたかった。死にたかったわけでは、ない。


「嘘か、真実か。あなたにわかるの? 天地神明てんちしんめいの声が聴こえないあなたに」


「患者の嘘を見破るのは医師の役割です。病や毒は人に嘘をつかせるものだから」


 先帝のことを想いかえす。彼もまた毒に侵されて本意ではない言動を繰りかえした。暴虐を振るい、無辜むこの命を奪い――毒されていたからといって、罪が許されるはずもない。だが、心を壊す毒があることは理解するべきだ。


「人は弱い。心身ともに毒に侵されていれば、なおのことです。だからこそ、ほんとうは生きて幸せになりたくとも、死にたいと望んでしまう時がある。そんなありふれた嘘を看破できなくて、なにが食医ですか」


 食医は特に命の、生にむかう働きを補助するものだ。食とは命の礎なのだから。

 静がおもむろに視線を落とす。


「残念。あなたとは解りあえないみたい」


 静まりかえっていた女官たちがいっせいに動いた。


「うっ」


 腹を殴られて慧玲フェイリンが膝をつく。

 続けて背から馬乗りになられ、抵抗する暇もなく祭壇に倒れこんだ。幼い姑娘むすめとは想えないちからで抑えつけられる。振りほどくどころか、身動きひとつできない。異常だ。

 後ろに視線をむければ慧玲に診察を依頼してきた女官が腕を振りかぶって、笑っていた。


 鈍い衝撃が、あった。

 頭を強く殴られて、意識が遠ざかる。


「わ、気絶させてしまいました」


「ごめんなさい、強くたたきすぎちゃったみたいです」


 静がため息をつきながら近寄ってきて、慧玲の髪をつかむ。視界はすでに途絶えていた。聴力だけが微かに残っている。


「神薬、飲ませるつもりだったのに。これを飲んだら考えを変えてもらえるはずだから」


 だが、ジンの声が聴こえたきり、慧玲フェイリンの意識は闇に落ちた。

 


お読みいただき、ありがとうございました。

本日 ドラドラふらっと♭にて「後宮食医の薬膳帖」最新6話が投稿されました! 皇后を蝕む火の毒、皇后に毒を盛ったのは誰か!? 作画担当のそ太郎先生にも力をそそいでいただき、とても盛りあがるシーンに差し掛かっているのですが、現在、KADAKAWA様への外部からの不正アクセスにより大規模なシステム障害が発生しており、ニコニコ静画での漫画の連載ができなくなっております。

つきましては日頃からニコニコ静画にて「後宮食医の薬膳帖」をご一読いただいていた読者様は、カドコミにてお読みいただければ幸甚です。

カドコミ ▽

https://comic-walker.com/detail/KC_005185_S

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