2‐37死は救いなりや
秋の季宮の中庭には天地壇に似せて造られた祭壇があった。
宮廷の天地壇と違って壁も屋根も新しく重々しさがない。それもそのはず、この祭壇は先の秋妃が私財を投じて建てさせたものだった。
日は落ちて、祭壇では篝火がたかれている。どこからともなく、ちぎれた琵琶の演奏が流れてきた。
祭壇には静がいる。
きらびやかな襦を重ねてまとい、額に黄金の飾りをつけていた。不調をきたしていた時とは違い、背がしゃんと伸び、神聖さを漂わせている。
「神薬をたまわった妃妾が続々と死去されているそうです」
幼い女官が涙ながらに報告する。
側にいた女官たちもいっせいにうつむいて、頬を濡らす。
「尊い命が」
「ああ、なんてことでしょう」
袖で涙を拭き、女官は心底嬉しそうに笑った。
「よかった、これこそ神の愛です!」
歓声をあげ、女官たちは手を取りあい、踊りだした。
「神の愛は有難いものですね、いっさいの悲しみやつらさから解き放たれたのですから」
「みな、幸福のなかで笑いながら逝かれたそうですよ」
「うらやましいかぎりですね」
女官たちは瞳孔のひらいた眼を輝かせて、祭壇を仰ぐ。
「静様が救って差しあげたのですね」
静は唇の端を綻ばせることもなく、静かに袖を拡げる。袖についた鈴が奇妙な韻を奏でた。
「そう、これは救いよ」
神託とばかりに静は語る。
「万物は循環するもの。親をなくし、故郷をなくし、悲しみの底にいた私たちをお母様が救ってくださった。だから、これからは私たちが隣人を救うの」
風が吹き、篝火が月を燃やすほどに燃えあがる。静は祭壇に充満する香煙を胸いっぱいに吸いこむ。
「つらいこともかなしいこともあってはならない。そんなものを抱えて生き続けるくらいならば、いっそ命を絶ったほうが幸福。このせかいは悲しみばかりなのだから」
静は終始表情を変えない。
だが、篝火を映した睛のなかでいびつな毒が揺らめいた。
◇
桜が散って春終いとなった後宮では、妃妾たちの悲鳴が絶えることなく続いていた。
桶に頭を突っこんで、妃妾は嘔吐き続けている。激しい頭痛に見舞われている妃妾もいた。妃妾たちは息も絶え絶えになりながら、口を揃えて薬を欲しがった。
「あなた、食医だったら、あの薬だって調えられるのでしょう? お願いよ、なんでもするから、あの薬を」
「あれは薬ではなく毒です。そして私は、なにがあろうとも毒は造りません」
妃妾は大声をあげ「そんなはずはないわ、あれは薬よ、薬をちょうだい」と縋りついてきたが、慧玲は振りほどいた。強い薬物を多量に投与されたので抜けるまでにはまだしばらくかかるだろうが、金毒の解毒は順調に進んでいる。
診察を終えた慧玲が房室を後にしようとした時、中庭から藍星の怒声が聴こえた。
「馬鹿じゃないですか!」
なにがあったのか。慧玲が駈けつけると藍星は女官に馬乗りになって、なにかを取りあげていた。藍星は慧玲を振りかえり、声を張りあげる。
「聴いてください! この女官、患者が落とした金砂を盗んでいたんですよ!」
糾弾された女官は言い逃れはできないとおもったのか、ひらきなおった。
「なによ、いいじゃない! これくらい! どうせ処分するものでしょう? 私だって新しい服とか、髪飾りとか、欲しいのよ」
「他人を毒してでも、ですか?」
慧玲の冷静な問いかけに女官はうろたえた。
「これは毒です。持っていればあなたを毒し、売買されたら商人や職人、客を次々に毒します」
「そ、そんなこと、知らなかったのよ」
「いえ、すでに宮廷から警告してもらっています。患者の金砂は毒なので、清掃時に見つけたら触れずに伝達し、指定の官吏を派遣要請するようにと」
慧玲は藍星から純金の顆を預かる。金砂は石箱に収められていた。毒があると認識していた証拠だ。
慧玲はため息をつく。欲もまた、人が持つ毒のひとつだ。
藍星が衛官を呼び、女官は取り押さえられた。金毒が都に振りまかれたら、取りかえしがつかない。早期に取り締まってもらわなければ。
金毒の禍は今もって、宮廷を乱していた。
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