2‐32嘆きの患者と不穏な天啓
琴爪をつけた妃嬪の指が、弦を弾いた。
ぎこちない動きで絃譜を追いかけたが、韻の群れをまとめあげることができず、音律は散らばって崩れた。
「ああ、やっぱり」
萌萌は嘆きの声をあげ、崩れるように顔をふせた。
「これからさき、私はもう、琴を弾くことはできないんだわ」
「萌萌さま、そのようなことはございません。先ほど薬を持ってきてくださった食医様は明後日か、明々後日が峠だと。それを乗り越えたら、かならずや解毒できます」
「そうです、どうか悲観なさらず」
女官たちが背をなで、懸命になだめるが、萌萌はそれを振りはらった。
「嘘をつかないで。毎朝、鏡をみるの。今朝はよくなってるんじゃないか、元通りになっているんじゃないかって。でも、ちっともよくはならないのよ」
萌萌は鉱物がついた耳もとに爪を喰いこませる。
だが、鉱物はびくともせず、琴爪に絡んだ髪がごっそりと抜けた。指から垂れた髪には白髪がまざっている。艶やかな御髪が自慢だったのに。萌萌は絶望に頬をひきつらせて、さめざめと涙をこぼした。
「助けてよ、いま、助けて……できないんだったら、どっかにいって」
女官たちは項垂れ、無力を悔いるように頭を振る。
「承知しました。ですが、お声掛けいただいたら、いつでも参りますから」
女官たちは萌萌を気遣いつつ、退室する。
誰もいなくなってから萌萌は頭を抱え、悲鳴のような細い声でつぶやいた。
「ごめんなさい……わかっているのよ、あなたたちがどれだけ私に気遣ってくれているのか。でも、つらいの。つらくてつらくて、たまらないのよ……誰か、助けて」
宛てもなく縋る。救済を欲する萌萌の声にこたえるものはいない、はずだった。
「嘆きから救ってあげましょうか」
天啓のように声が聴こえた。
琴の律より清らかな声だ。萌萌は顔をあげ、何処から声が聴こえたのかと捜す。だが、相手が姿を現わすことはなかった。ただ、窓から声だけがする。
「つらいのね。でも、神様はあなたを見捨てたりはなさらなかった」
「助けて、くださるの?」
窓から竹筒が差しだされた。救いをもたらす手は黄昏のなかで後光が差しているように映る。
「飲みなさい」
萌萌は震える指で竹筒を預かると、唇をつけた。
短めですが、引き続きGW特別企画ということで投稿させていただきました。
書籍版「後宮食医の薬膳帖1~3」までメディアワークス文庫から大好評発売中です。本屋さんで御見かけのときはなにとぞよろしくお願いいたします!