2‐21黄金郷の秋の季宮に不思議ちゃん妃
黄金郷なるものがあるならば、こんなところに違いない。
後宮とは贅をつくして造られた皇帝の庭だが、秋の宮は段違いに豪奢だ。屋頂は老中黄の瑠璃瓦に統一され、金箔の張られた壁には遅咲きの八重桜が映っている。
「なんとか、こう、ちかちかしますね」
藍星が声を落として、こっそりとつぶやいた。
慧玲は苦笑したが、言いたいことは理解できる。階段まで金張りなので、落ちつかなかった。
そんな秋の宮に君臨するのは現役官巫の月 静だ。
秋の季宮は宮廷官巫の本拠である。よって官巫のなかでもっとも卓抜したものが毎期季妃に任命されている。季宮に勤める女官もまた、すべからく官巫だ。
「ようこそお越しくださいました、食医様」
「静様はこちらです」
迎えてくれた女官は一様に幼かった。推定だが七歳から十三歳ほどだろうか。中庭で掃き掃除をしているのも、薪を割っているのも、重い水桶を担いでいるのも例外なく。
「子孩ばっかりじゃないですか!」
藍星が眼をまるくして声をあげた。
「秋の季宮は公営の孤児院でもある、そうでしたよね?」
「そうです、そうです」
慧玲の言葉に女官たちがいっせいに頷いた。
秋の季宮では身寄りのない子孩を引き取って官巫女官として教育することで、外界から庇護している。一昨年に死去した先の秋妃は博愛の心が篤く、慈善の一環としてこうした取り組みを始めたのだとか。
「わたしたちは秋の季妃様に助けていただき、育ててもらったのです」
「育っています、すくすく、ぐんぐん」
廻廊を進みながら女官たちが嬉しそうに胸を張る。藍星は「しっかりしていますね」と感心したようにうなった。
「でも女官って意外に重労働ですから、子孩だけだと大変じゃないですか? 宦官もいないみたいですし」
薪割りをふくめて、重い荷を運んだり庭を清掃したりするのは宦官の役割だ。だが、季宮には宦官の姿がなかった。
藍星には弟妹がたくさんいる。弟妹とたいして歳の変わらない子孩が女官として働いているとなれば、想うところがあるのだろう。
「ぜんぜん、へっちゃらです」
「お掃除もお洗濯も好きですから」
「秋の季妃さまにいただいた御役ですから、有難いかぎりです」
女官たちは笑顔を絶やさずにこたえる。
「ささっ、こちらです」
後光が差すほどにきらびやかな房室に通される。待ちうけていたのは桶に頭を突っこんで嘔吐き続ける姑娘だった。
「静様、食医様が参られましたよ」
「しょく、い……なにそれ」
静は重そうな錦織の襦をいくつも重ねて、身にまとっている。帯は二重太鼓に結ばれていた。いつもならば、宮廷官巫らしい神々しさもあるのだろう。いまはたおやかな髪を畳敷に垂らして、額からは珠のような脂汗を滲ませている。眼も虚ろだ。
「宮廷祭祀があって、神託を享けたあとはかならず、こうして体調を崩されるのです」
「お疲れなんだとおもうんですけど。このたびはとくに酷かったので」
女官たちは笑顔を崩さないが、静の身を案じているのが言葉の端々から感じられた。
「静様、食医をつとめる蔡慧玲にてございます。診察させていただきます」
慧玲は揖礼して声をかけたが、静は意識がぼんやりとしているのか、こちらを振りかえることもしなかった。まずはぐったりとしている静の脈を診る。検脈は触診のなかでも最も重要だ。
「頻脈。期外収縮もありますね」
慧玲が診察して、藍星はそれを文書に書き取る。慧玲は一度診た患者の病態は細部まで違わず記憶できた。敢えて診察結果を残すようになったのは藍星の勉強のためだ。
それにしても、異常なほどの頻脈だ。
例えるならば、猫から逃げまわり続けたねずみの心臓である。尋常ならざる昂奮の結果、あるいは毒だろうか。
腹診に移りかけた時、静の眼がはたと慧玲を捉えた。触れていた腕をつかまれる。
「誰」
「食医でございます」
やはり、先ほどの挨拶は聴こえていなかったのか。
「体調がよくないの、帰って」
「はい、ですから、診察に参りました」
健康だったら医者は呼ばれない。変わった妃だ。患者に寄りそうようにやわらかく声をかけたが、静は腕を振りほどいて強く拒絶した。うつむき、また、桶に顔をふせる。
「要らない。時間が経てばなおるから……うっ」
静は呻いて、緑がかった胆液と血がまざった泡を吐きだした。
嘔吐できるものがすでに残っていないのだ。
一緒に咳がこみあげてきて、喉からはひゅうひゅうと喘鳴があふれた。赤い喀血なので、喉か、気管が傷ついているものと推測される。幼けない背が強張って細かく跳ねる様は哀れで、胸が締めつけられた。
「おつらいはずです。診察をして、すぐに薬を」
「つらい?」
静が顔をあげた。
眉根を寄せるでも、頬をゆがめるでもなく、伎楽面のような無表情をさらして、静は首を横に倒す。
「なにが?」
慧玲が咄嗟に息をのむ。
側にいた藍星もぎょっとして、戸惑った。
「だ、だってこんなに」
「帰って。薬も医者も要らないの、私はつらくなんかないから」
ここまで拒絶されては診察もできない。伺うように女官たちに視線をむければ、女官たちも頭を振り、苦笑して頭をさげた。
「承知いたしました。なにかあれば、いつでも御呼びくださいね。ただちに参ります」
諦めて荷をまとめ、帰る。黄金の調度品が飾られた房室に背をむけ、退室しかけたとき、静の声が追いかけてきた。
「まもなく吹雪になるから」
振りかえれば、静がこちらをみていた。先ほどよりは視線がさだまってきている。
「帰りみちには気をつけて」
「それは」
「聴こえるの、天地神明の声が。それだけ」
静はそれきり、また、桶に頭を沈めた。
…………
「なんか、変わった季妃様ですね。喜怒哀楽がないというか」
帰りがけに藍星がぽつりとつぶやいた。
同様に想ってはいても、慧玲は女官がいるうちは言葉にせずにいたのだが、藍星は遠慮がない。女官たちも気分を害することなく、にこやかにこたえる。
「静様はすでに感情という域を越えておられるのです」
「素晴らしい官巫様なのです」
無念無想の境地に達しているということだろうか。
鵲の橋を渡ったところで、女官たちは房飾りのついた油紙傘を差しだしてきた。
「どうぞ、こちらをつかってください」
黄昏がせまっているが、すがすがしいほどの晴天で、曇ってもいない。
慧玲の戸惑いを察したのか、官巫女官たちが声をあわせる。
「静様は天候や豊作不作をあてることもできます」
「一昨年は蝗害を予知しました」
「だから今晩もかならず、吹雪になるのです」
根負けした慧玲は苦笑しながら感謝の言葉を述べ、油紙傘を預かった。最後まで袖を振ってくれた女官たちが見えなくなってから、藍星はあきれてため息をつく。
「明後日から卯月ですから、雪なんか降らないとおもいますけどね」
春風にしては北寄りの、強い風が吹きつけてきた。風に乗って白いものが舞い、藍星の鼻先に落ちる。葩かと想われたが――
「ちめたっ」
「……雪ですね」
風が暗雲を連れてきて、雪は黄昏を待たずして吹雪になった。
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