幕間 梅の舞姫の後日談 華を愛した男たち
祝2000ブクマ突破!
ご愛読いただき、こころから御礼申しあげます。感謝の想いをこめてSSを書かせていただきましたので、宜しければ「幕間 梅の舞姫の秘めごと」とあわせてお読みいただければ幸甚です。毒ラブ……というか、激重執着ありです!
傾いた月が宮廷の屋頂に架かる正子過ぎ。
昼は妃妾たちで賑わった春の庭もこの時間帯は人影も絶え、静まりかえっていた。そんな庭の珠砂利を踏んで、進む影がひとつ。假面具をつけた宦官――卦狼だ。
彼は八重の白梅のたもとで膝をつき、たむけられた花の側に六文銭を埋める。
昨年、卦狼の知りあいの宦官がこの白梅の下で命を絶った。ちょうど、こんな梅の季節だった。宦官にしては卑屈なところがなく、卦狼にたいしても臆することなく喋りかけてくるのもあって、卦狼は彼なりに好感を持っていた。まだ若かったが頭もよく、いつかは文官になって宮廷にあがるものとおもっていたのだ。まさか、あんなふうに逝くとは想像だにしていなかった。
「冥銭か。意外だね、貴方がそんなものを信じるたちだとは思わなかった」
声をかけられ、卦狼が振りかえれば、偶然通りがかったとおぼしき鴆が烟管を喫いながらたたずんでいた。
あいかわらず毒々しい男だ。毒気じみた殺意をみて、ああ、いまは毒師として喋りかけてきているのだなと卦狼は即座に理解する。皇太子ではなく。
ならば、拱手して頭をさげる必要もあるまい。
「……俺は、葬頭河も黄泉も実際にあるとは思わねェが、ここで死んだ奴は信じてたらしいからな。死後なんかがあるとおもってるから、心中なんて馬鹿なことを考えるんだろ」
鴆は「へえ」と烟を喀いた。
「噂では妃に弄ばれた宦官がひとり寂しく死んだと聴いたけれどね」
「ああ、そうだな。約束した女はこなかった」
卦狼がため息をついた。
「なんで思いとどまられなかったんだろうな。女に振られた程度で絶望して死ぬような魂じゃなかったはずだが」
愛はひとを毒する。
時には命まで蝕むほどに。
だが、彼は強かな男だった。卦狼はどうにも納得がいかなかった。
「嘆いて、命を絶ったとはかぎらないだろう」
枝垂れた梅の花に触れ、鴆が双眸を細める。袖からするりと抜けだしてきた毒蜘蛛が梅についた露をのむ。
「だったらなんで」
「残したかったんだろうね」
鴆は訳知り顔で言った。
「宦官はなにひとつ残せない。子を孕すこともできず、好いた女を妻として娶ることもできない」
「なにも残せねェんだったら、よけいに、死んだらぜんぶが終わりじゃねェか」
卦狼も李紗とともにあるため、みずから望んで宦官となった身だ。だが、望まずして宦官になった身ならば未練もあるだろう。
「そうかな」
だが鴆は思わせ振りにまたひとつ、烟を喀く。
「そもそも妃というのは大抵が良家の娘だ。一族のため、後宮にあがるものもいる。例え宦官を愛していたとして、それらを捨てきれないこともあるだろう。約束にこなかったからといって、単純に「愛されていない」「弄ばれたんだ」とおもって命を絶つとは考えられないね。でも、どんなわけがあったとしても約束を破ったことで好いた男が死んだら――その女は永遠に、宦官のことをわすれられないだろう?」
その哀しみは後悔や絶望をともなって、女のなかに残る――――
卦狼は假面具に隠された頬をゆがめ、頭を振った。
「俺には理解できねェな。愛した女に疵を残して、なにが嬉しいんだよ」
「疵しか残せないからだよ」
愛し、愛されたという証を、刻む。ゆがんでいるとしても。
殷春という宦官が命を賭してつけた疵だ。
「俺だったら違うな。俺が死んだら媛さんには俺のことなんか、とっととわすれて幸せになってほしい」
愛する女を苦しめるもの、傷つけるもの、その笑顔を曇らせるものはすべて、排除する。それが例えば、卦狼自身であっても。
それが、彼の愛だ。
「……はっ、碌でもない男だな」
鴆は心底吐き気がするとばかりに眉をゆがめて嗤った。
風が吹きはじめ、はらはらと梅が散る。
「だったら、貴様はどうなんだ」
「僕、ね」
梅吹雪に宵いろの髪をなびかせて、鴆は紫の双眸を妖しく瞬かせた。
「僕は残念ながら、疵ひとつで満たされるほどに寡欲でも、死んだあとにわすれてくれと押しつけるほど強欲でもない」
どろりとした劇毒を、睛の底に覗かせて。
「愛したかぎりは道連れにするよ、地獄まで」
鴆は毒師だ。その毒をもって数えきれないほどの人を殺してきた。いつかは報いをうけ、苦しんで息絶えることになるだろう。それが解らないほど愚かではないはずだ。そんな身で、彼は愛した女を連れていくという。
「……は」
卦狼は低く喉を鳴らす。
正直、ぞっとした。踏みいれたら最後、再びにはあがってこられない毒沼のような男だ。
「……さっきの台詞、そのまんまかえしてやるよ、碌でもねェのはそっちじゃねェか」
「褒め言葉として受け取っておくよ」
こんな毒の塊めいた男に愛されてしまった女が――そんな奇特な女が現実にいれば、だが――あまりに哀れだ。
「まもなく月が落ちる。貴方も、愛しい女とやらのところに還るべきだ」
鴆はそういって背をむける。
また逢う時には皇太子と宦官、という立場に戻っているだろう。卦狼はその背に声をかけることもせず、ため息をついて白い梅を振りあおいだ。
愛する女に命を賭した宦官。その愛は、卦狼に理解できるものではないが、それでもなにもかもを投げ捨てるほどにひとりを愛したというところには通ずるものがある。
「愛するってのは……毒だな」
そんな男のひとりごとを、月だけが聴いていた。
お読みいただき、御礼申しあげます。
それぞれの愛、それぞれの毒、ご堪能いただけましたでしょうか。今後とも「後宮食医の薬膳帖」をよろしくお願いいたします。
また現在「小説家になろう」にて「後宮の死化粧妃」という小説を同時連載いたしております。ワケありボクっ子妃と奇人官吏が「検視」と「エンバーミング」によって男女差別や身分差別で隠蔽された事件の真相を暴くという後宮ミステリで、「後宮食医の薬膳帖」をご愛読くださっている読者様にはかならずや楽しんでいただけるものとおもっております。
宜しければ、こちらも覗いていただければ幸甚です。
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