2-14「食医の姑娘を嫁にくれ」
いよいよ鴆が毒を発揮します。
「領海条約を締結する」
蜃の王が宣言したのは滞在最終日の晩餐のときだった。
その晩の食膳では穀物の代替食をつかい、宮廷料理を再現した。特に大豆粉で焼いた荷葉餅で脂の乗った炙鴨をつつんだ料理は蜃王からも絶賛された。ほかにも海鮮をつかった炒麺、細かく刻んだ豆腐の羹、松の実をまぶして揚げた海老、鱸と鮑の蒸し物など、贅をつくした美食が振る舞われた。
締めの甜点を食べ終わった蜃王は満を持して、口をひらいた。
「締結にあたっては、そちらが提示した条件を受諾する」
鴆が持ちかけた条約には、蜃に不利な事項はひとつもなかった。食物を流通するにあたっては蜃の要望を優先し、小大陸との貿易による収益の一割を渡すともいった。だから蜃が受諾するのは決まりきったことでもあった。ただ、蜃は二割を欲しがり、しばらくは会議が進まなかったのも事実だ。
「ただ、こちらからもひとつだけ、条件がある」
蜃王が給仕を務めていた慧玲の腰を抱き寄せた。
「この食医の姑娘を嫁にくれ」
慧玲がぎょっとする。
鴆は微笑を崩さなかったが、眼差しが一瞬にして、険を帯びた。
「なに、親睦の証として他国の姑娘を娶るなど、よくあることだろう。俺はこの姑娘がどうしても欲しくなった。後宮の妃は残らず、皇帝の物になるんだろう? 雪梅という舞姫だって、俺の好みではないが――好い女だった。ひとりくらい、嫁にだしても」
「残念だけれどね」
こまっているふうを装いながら、鴆はきっぱりと拒絶する。
「彼女を、交渉の貢物にするつもりはない」
「どうしてだ、女なんか、総じて貢物だろう。女を渡すだけで条約が締結できて、領海も拡がるんだ。安いものじゃないか」
蜃王は食卓に肱を乗せ、身を乗りだす。わずかな曇りもない傲慢さを振りかざして、笑いかけてきた。
「蜃とは今後とも争わず、昵懇の関係を築いていきたいんだろう?」
「……勘違いなさっているようだが」
鴆の声が低くなる。
変わらぬ微笑から、ざわりと毒があふれだした。
「我等は蜃との親睦を望んでいるが、争いを避けたいわけではない。条約を結ばずとも蜃の領海を得ることはできる」
「……なんだと」
瞬時に鴆の意を理解して、蜃王の声が怒気を帯びる。
「それがどういうことか、わかってんのか」
侵攻し、領海を奪うこともできるという――あきらかな宣戦布告だ。
激情にかられて蜃王が振りおろした拳が、残りわずかだった杯を倒す。血潮がながれるように葡萄酒がこぼれた。
「剋が戦争を始めるつもりならば、蜃も容赦はしない。兵はもちろんのこと、無辜の民まで大勢死ぬことになるぞ」
慧玲が息をのみ、鴆に糾弾の眼をむける。
このことが火種となって蜃との戦争が勃発したら、どうするのか。これまで食を通じて、地道に信頼を築きあげてきたというのに。鴆だって、これまで辛抱を重ねてきたのがむだになる。
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鴆がいかに動くのか、外政のゆくえはどうなるのか。
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