2‐13薬の姑娘だけが知る毒
「食医の姑娘」
公客の晩餐から一夜明け、裏廊を通りがかった慧玲を呼びとめる声があった。頭上から聴こえたその声に視線をあげれば、宮廷と後宮を隔てる塀に蜃王が腰かけていた。塀といっても、三階ほどの高さがあるのだが――
「蔡慧玲だったか?」
「左様ですが、なにか急を要することがございましたでしょうか」
なぜ、後宮にいるのか、と言いたいところだが、さすがにそれは不敬にあたる。こちら側に降りてこないところからして、塀から覗いているかぎりは男子禁制を破ったことにならないと考えているのだろう。
「今朝の飯も食医が監修したとか。乳酪をかけた土豆のやつが、とくに旨かった。熱々で。礼をいっておきたくてな」
「恐縮です。王様の御口に入るものは今後、私が監修および調理させていただきますので、ご安心いただければとおもいます」
「助かる」
頭をさげて通りすぎたいところだったが、蜃王はまだ言いたいことがあるらしく、宮廷の庭で摘んだらしい鐵月季花の花を弄びながら考えを巡らせている。
「官吏がいってた。おまえは宮廷の食医だが、後宮妃でもあるとか」
「左様ですが」
「ってことは、あの微笑ってばかりの皇太子の妃になるのか」
思いも寄らなかった言葉に一瞬だけ、慧玲はぽかんとなった。
だが、そうか。意識したことはなかったが、鴆が皇帝になれば、後宮の妃は残らず鴆のもとに嫁ぐことになるわけか。皇帝が替わって、後宮の妃を入れ替えた事例もあるそうだが、希である。後宮の役割は皇帝の妃をかこうばかりではなく、地方の氏族との繋がりを強くすることでもあるからだ。
「惜しいな」
蜃王の眼差しが熱を帯びる。
「昨晩だって、俺に剣をむけられても、おまえはちっとも動じなかった。たいしたもんだよ。それにくらべて、あいつは遠巻きに眺めてただけだ。おおかた、剣なんかみたこともなくて臆してたんだろうよ」
鴆のことが気に喰わないのか、彼は鼻を鳴らして嘲笑する。
「はっ、あまったれてるよなァ。争いを経験したこともなく、飾りたてられた宮のなかで大事にされて、苦労知らずに育ってきたんだろうよ」
だから、蜃と争いになるのをおそれ、尻尾を振っているんだろうと、彼は言外に揶揄していた。
「……ふっ」
慧玲は想わず、吹きだしてしまった。
彼の想像が、真実とはかけ離れていたからだ。
蜃王が鈍感だというわけではない。ただ、鴆が巧妙に毒を隠しているというだけのことだ。風水師の時からそうだったが、彼は根底にある血腥さを覗かせることなく、穏やかに振る舞うことに秀でていた。
慧玲がなぜ笑ったのかが理解できず、蜃王が首を傾げる。慧玲は敢えて鴆の話にはふれず、彼が持っていたうす緑の月季花を指した。
「王様が持っておられるその鐵月季花ですが」
まだ寒い冬の終わりから春にかけて咲き続ける希少な花。異境では聖なる祭の称をつけられた植物だが――
「毒ですよ」
もうひとつの異称は〈食すものを殺戮する〉という。
毒があるとは想ってもいなかったのか、蜃王が眼を見張り、花を取り落とす。はらはらと風にさらわれて、何処かにいってしまった。
「御手がかぶれるまえに水桶に浸して、よく洗浄なさってください」
紅を差さない唇に微笑を湛えて、慧玲は忠告する。
「毒とは想えぬ毒には、どうかお気をつけくださいますよう」
お読みいただき、御礼申しあげます。
続きは6日に投稿させていただきます。
まだまだ波乱の予感です。今後とも楽しんでいただければ嬉しいです。






