2‐6毒の皇太子は殺意を振りまく
「慧玲……」
鴆がかけ寄ってきた。
気遣うような眼差しに「たいしたことじゃないから」と言いかけて、なぜだか、一瞬だけ声がだせなかった。
鴆はそんな彼女をみて、やり場のない憤りを滲ませた。彼は外掛から腕を抜くと、ふわりと華奢な肩に掛け、抱き寄せる。
「……震えているね」
緑眼を見張る。言われてはじめて、慧玲は自身が震えていたことに気づいた。頭では大したことではないと考えているのに、いまさらに身が竦んでいる。皇帝にされかけたことが、いまだに彼女の心を縛りつけているのだ。
「あとで殺す」
鴆が低くつぶやいた。
滅紫に陰る睛眸から殺意が滲む。
「公客として訪れている他国の王が宮廷で死んだとあっては、さすがに事だ。荷に毒蟲を紛れこませて、帰国後にかならず報いを受けさせる」
言葉の端々から毒があふれてきて、こちらまで総毛だつ。
鴆は次期皇帝として振る舞ってはいるが、もとは毒師の暗殺者だ。彼が殺すといえば、相手がいかなる身分のものだろうとためらわずに息の根をとめるだろう。いま、彼の毒を制さなければ、取りかえしのつかないことになりかねなかった。
「だめよ。このくらいのことで毒をつかうのはやめてちょうだい」
「……へえ」
しまった、とおもったときには遅かった。
鴆がまとっていた物騒な毒が矛先を転じて、慧玲にむけられる。
「取りかえしのつかないことになりかけていたのに、あんたにとっては「このくらい」と言える程度のことだったのか。意外だったよ」
鴆は爪をたてるように腕をつかんできた。先程男に握られたところを、上書きするように容赦なく締めあげられる。
「だったら、いっそ――」
「だって」
毒を喀こうとする鴆を遮って、慧玲は声を張りあげた。
「おまえがきてくれたでしょう」
鴆が不意をつかれたように息をのむ。
「私は、なにもされていない。おまえが、させなかった。だから、あれはもうなんでもないことよ」
腕を締めあげていた指がほどかれた。
鴆は降参だとばかりにため息をつき、眦を緩めた。
「……僕が間にあっていなかったら、この場であいつを殺している」
言葉だけではない。
彼ならば、殺すだろうなとおもった。
彼は皇帝という身分も宮廷も民すらもどうでもいいと考えている。ともすれば、呪わしいと怨んでいる。いつ、捨ててもおかしくはなかった。
いま、彼が宮廷に留まって、皇太子という役を演じているのは先帝の姑娘たる慧玲を女帝にするという約束を果たすためだ。
慧玲もまた女帝になりたいかと尋ねられたら、そうではなかった。だが、天毒地毒を絶つには、正統な帝脈を継いだ彼女が女帝となって、麒麟を甦らせるほかに望みはないと考察している。
あの元宵節のときに聴こえた麒麟の遠吠えについても、わからないままだ。いま、慧玲のなかに宿っているのが死に瀕して鳳凰に回帰した麒麟ならば、もう一頭、ほかにも麒麟がいるというのだろうか。
現状で推測していても埒が明かない。
「ところで、蜃王が「食えるものがない」とかいっていたけれど」
鴆から身を離して、話題を変える。
食医という役職もあってか、先程の話はどうにも懸念された。政客をもてなす宴なども催されたはずだが、なにか不都合でもあったのだろうか。鴆は裏廊の角に視線を投げていたが、微かに唇の端をあげ、こちらにむきなおした。
「ああ、実はそれについて、食医である貴女の智恵を借りたくてね。後宮に渡ってきたところだったんだよ」
お読みいただき、ありがとうございます。
表むきはおとなしく振る舞いながら、腹のなかは相変わらずどろどろとした毒が渦まいている鴆です(笑)
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続きは12日に投稿させていただきます!