2‐4梅の春妃の愛は散らさじ
雪梅妃に誘われ、慧玲は梅林園に赴く。
嬪だったときは梅林園のなかに宮があったが、春の季宮からだといくつか橋を渡らなければならなかった。
水仙が咲う水庭を渡りながら、雪梅妃がぽつりという。
「春は変わらず循環るけれど、あらゆるものが変わり続けていくのね」
「宮廷は、変わりましたか」
雪梅妃は舞姫として宮廷の宴に参加することもあるため、後宮の妃のなかではもっとも宮廷の事情に通じている。
「宮廷のなかはあれきり、苛草が繁っているようなありさまよ」
雪梅妃は辟易するとばかりにため息をついた。
「皇后陛下が統制しておられるとはいえ、あの御方は権力を握ることにはご執心ではないから。今後、誰が実権を握るのか、権力者たちの睨みあいが続いているわ。新たにあらわれた風水師の……ああ、違ったわね、皇太子様に取り入ろうとするものも後を絶たないでしょうね」
鴆か。元宵節の晩から、鴆とは逢っていなかった。
彼は宮廷の欲にまみれた毒に取りこまれるほど、愚かな男ではない。だから、宮廷が荒れていると聴いても、懸念はなかった。
慧玲は鴆を信頼している。正確には、彼の毒を。
(だって、彼ほどに強い毒はいないもの)
慧玲は微かに唇を綻ばせる。
「どうかしたの、なんだか嬉しそうね」
「いえ、なんでもございません。それにしても――毒疫も拡大を続けているなか、宮廷がひとつになって民のための薬となるべきなのに、内部で争い、腹の索りあいを続けているとは嘆かわしいことですね」
「荒れているのは宮廷のなかだけじゃないわよ。外でもかけひきが始まっているのよ」
「外といいますと、地方の諸侯ですか?」
地方政権というものがある。剋の領地は広大で、都にある皇帝だけでは大陸の端々まで統轄するのは困難だ。よって、皇帝から権を預かり、地方を統べるものたちがいた。節度使、官戸等がその代表だ。皇帝が崩御し、その統制が取れなくなっているというのは充分に考えられる。
だが、雪梅妃は眉の端をはねあげた。
「あら、違うわよ。外政よ。七日も前から、南海の諸島を統轄する蜃の王が宮廷に訪れているでしょう? 知らなかったの?」
雪梅妃が語るには、剋は蜃との領海条約の締結を希望しているのだとか。この条約の締結にむけて会議をおこなうべく、皇后は公賓として蜃の王を招致したという。もっともあの皇后が外政をするとは想えなかったので、鴆の政策だろう。
「私も迎賓の舞を演じたけれど」
眉を顰め、雪梅妃が声を落とした。
「荒っぽい王様だったわ。蜃はいまでこそ海を統べる大国だけれど、もともとは海賊が建てた国で、昔から蛮族の国なんて噂されていたのよ。公の場であんな態度じゃ、噂を否定できないわね」
日頃から酔った男達を相手にし、扱いにも長けているはずの雪梅妃をして苦言を呈するほどなのだから、そうとうに酷かったのだろう。
蜃が野蛮というだけではなく、皇帝がいないため、他国から侮られているとも考えられる。
ふわりと風に乗って、梅の香が漂ってきた。
うつむいていた視線をあげれば、視界に梅林園が拡がる。
紅梅にかこまれ、白い梅が雪崩れるように咲き誇っていた。
雪梅が愛した殷春の梅だ。早春ということもあって五分咲きだが、息をのむほどに雅やかで、その梅のまわりだけは穏やかに時が進んでいるように感じられた。
「今春は例年になく、花つきがよいでしょう。殷春が傍にいて励ましてくれているみたいで」
雪梅の声の端が、微かに震えた。
ああ、そうか。雪梅妃は心細かったのだ。
慧玲はいまさらに察する。
皇帝の御子を産んですぐに、皇帝が崩御した妃の身を想えば、不安でないはずがなかった。
彼女は強い。だから、信頼するものにも弱音を洩らすことはないが、殷春にだけはありのままの女の姿でいられたのだろうか。
雪梅妃は梅の側にかけ寄って、ふわりと袖を拡げる。
風が吹き、雪梅を抱き締めるように葩が乱舞した。一瞬だけ、落英繽紛のなかに宦官服をきた男の背が過ぎり、慧玲は睫をふせる。
「殷春様はいつまでも、雪梅妃の御傍におられるとおもいます」
あらゆるものが変わり続けるとしても。
きっと、たったひとつ、散らぬものが愛なのだから。
お読みいただき、御礼申しあげます。
おかげさまで書籍版「後宮食医の薬膳帖」もたくさんの読者様の本棚に届いているようで、たいへん嬉しいです。WEB版の連載も力をこめて頑張ります。
続きは9月5日に投稿いたします。






