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番外編 食医、六歳児になる!?その弐

6000pt突破の御祝いとして感謝の想いをこめて書きおろした番外編SSの続きです。


 蛇に咬まれた女官はすでに腕が倍ほどに腫れあがって、高熱に苛まれていた。意識も朦朧としているのか、荒い息をするばかりで瞼もあげない。

 慧玲の処置は幼い姿からは想像もつかないほど、迅速だった。心臓に毒がまわらないよう、軽く女官の腕を縛ってから、血潮と一緒に咬傷から毒を絞りだす。


「藍星さま、倉から百花蛇舌草ビャッカジャゼツソウ、ほかにもいくつかの生薬をとってきていただけますか。私は貴宮にもどり、望江南ハブソウをつんできます」


 慧玲は皇后である母親と一緒に貴宮に暮らしているつもりらしく、なにげなくそう言った。見かねた鴆がすかさず、助け舟をだす。


「貴宮には僕がいくよ」


「鴆さまは貴宮にわたることができるのですか」


「風水師だからね」


 慧玲は不思議そうにしていたが、鴆はそれをてきとうにあしらった。


 しばらくして、藍星が百花蛇舌草といくつかの生薬を、鴆は望江南ハブソウをもってきた。


「ええっと、確か、望江南ハブソウには蛇の解毒効果があるんですよね」

 

 藍星がいつものように慧玲に問いかけると、彼女は微苦笑した。


「そういわれていますが、ほんとうは望江南ハブソウだけではたいした効能がありません。いくつかの生薬と組みあわせなければ」


 慧玲はまず、望江南を揉んで草の汁をだし、ほかの生薬を煮だしたものと混ぜた。できあがった白濁した薬液を咬傷にすりこむ。

 段々と腫れがひいてきた。先程まで絶え絶えだった呼吸も落ちつきはじめている。


「すごい……」


 雪梅が感嘆する。


 続けて、藍星が離舎から取ってきた百花蛇舌草ビャッカジャゼツソウを白酒と一緒に煮て、丁寧に濾してから、患者に飲ませた。薬膳にするだけの能力はまだ六歳の姑娘にはないが、その手際は眼を見張るものがある。


「さすがです、ちいさくなっても慧玲様は慧玲様なんですね!」


 藍星が歓声をあげた。


「このおくすりを、日に三度飲ませてあげてください。かならず解毒できますから」


 慧玲は最後に患者を安堵させるようにそういって、微笑みかけた。


 だが、思いのほかに緊張していたのか、慧玲は調薬が終わった途端にぐったりとすわりこんでしまった。藍星が慌てて「慧玲様」とかけ寄ったが、さきに鴆がすっと彼女を抱きかかえる。


「彼女は僕が離舎に連れて帰るよ」


「えっ、で、でも」


 藍星が戸惑っていると、鴆が牽制するように微笑わらいかけてきた。


「なにか、問題でもあるのかな」


「ひぇ……ご、ございませんっ」


 哀れ、藍星。蛇に睨まれた蛙のように縮みあがるほかになかった。



        ◇



 うつらうつら、夢のなか。

 離舎への帰り道、鴆に抱きかかえられ、静かな寝息をたて続けていた幼い姑娘が不意に睫に縁どられた瞼をひらいた。


「あ……れ、鴆さま」


 眠ってしまった覚えがなかったのだろう。いったいどうなっているのだろうとばかりに、彼女は鴆の腕のなかでぼんやりと瞬きを繰りかえす。

 

「眠ってなよ。疲れたんだろう、貴女はよく頑張ったからね」


「ちゃんと、がんばれていた……でしょうか」


 か細く洩れた幼い声は、普段の彼女からは想像もつかないほどに気弱で、鴆は微かに喉の奥だけで笑った。


「ああ、母様とやらも褒めてくれるんじゃないのか」


 なにげない言葉にざわりと、慧玲の緑眼が陰る。


「……おかあさまは、ほめてなんてくださいませんよ」


 ぽつりとこぼされたのは幼い喉から洩れたとは想えないほど、昏い声ひとつ。

 うす紅の唇が微かにわなないていた。震えをとめるようにきゅっと唇をかみ締める。ああ、このくせはこんな幼い頃から根差したものなのかと鴆が想った。


「ほんとうは、百花蛇舌草はにがくないように煮ないといけなかった。望江南ハブソウもすりこんだら、すぐにはれがひくよう、せんじないとだめでした。……しかられるにきまっています」


 鴆はかける言葉を失い、視線を彷徨わせる。

 こんなに幼いうちから、彼女はいったい、どれだけのものを課されてきたのか。この風に吹かれたら折れそうな細い肩にどれほどの重荷を負わされてきたのか。それは、つらくはなかったのか。


「……ごめん、なさい……」


 か細くつぶやいてから、慧玲は再び眠りに落ちていく。


 鴆が微かに舌を打った。

 蛇毒を解毒する慧玲をみて、誰もが感心し、幼い時分から調薬の才能があってすごい、さすがは白澤の姑娘だと褒めそやしていた。藍星なんかは感極まって瞳を潤ませ、あらためて敬愛する師の素晴らしさをまのあたりにしたと誇らしげですらあった。


 だが、鴆は違った。


 彼はあの時、幼い食医を、哀れだとおもった。

 生薬を煎じる肩が強張っていた。指は酷く凍えていた。他人の命を背負わされた背が震えていた。たった六歳だ。それでも、彼女は患者があるかぎり、薬として振る舞う。

 薬として産まれ、薬として育てられ――

 それだけだ。

 それだけでしかなく。


 とても哀れで、傷々(いたいた)しく、うんざりするほどに――――鴆と似ていた。

 鴆は彼女のありように幼少期のみずからを重ねた。毒を喰らい、毒をのみ、毒になろうとしていた懸命さ。ほかにどうすることもできず、どうなれるとも想わなかった。


「ほんとにあんたは」


 また、ひとつ、鴆がため息をつく。無性に、烟管キセルが喫いたかった。




        ◇



 夢をみた。遠い昔の、まだ幼かった頃の夢だ。

 慧玲が眼を醒ますと離舎の臥榻しんだいに横たわっていた。なぜか、裸で。腕や脚に破れた絹がまとわりついている。その上からは紫の外掛がかけられていた。


「鴆?」


 まったく訳がわからない。


 外はすっかりと黄昏になっている。

 唐突に離舎の戸が慌ただしくあけられ、藍星が飛びこんできた。


「慧玲様! わわっ、ちゃんと慧玲様だ!」


「いったい、どうしたのですか? そんなに慌てて……」


「よかった! 小さくないですよね! どこも変だったりしませんか!」


「いまひとつ、状況がわからないのですが……もしかして寝過ごしてしまっていましたか?」


 こまった。診察に調薬とやらなければならないことがあれこれ、あったはずなのに。


「いいんです! 急患じゃないんですから!」


「やっぱり、寝坊してしまったのね。今度こういうことがあったら、ちゃんと起こしてくださいね……?」


 それにしても、妙な夢だった。

 幼いときの夢のはずなのに、鴆があらわれ、彼女を抱きかかえて竹林を歩いていた。笹の葉を透かして降りしきる午後のこもれびが、彼の双眸をぐっと紫にして。毒々しいのに、その眼差しは底抜けにやさしかった。

 それがとても。


「嬉しくて」


 せつなかった。


「ん、なにか、落ちてますよ」


 藍星が臥榻の横からなにかを拾いあげる。奇妙なかたちをした珠飾りだ。

 ああ、と思いだす。


「冬妃様からいただいたのです。なんでも時を操る珠だとかで……九分九厘贋物(にせもの)だと想うのですが」

「返却しましょう! ぜったいにこれ、危険ですって!」


 藍星の異様に力をこもった説得に敗け、結局珠飾りは冬妃のもとにかえされることになった。風の噂で一連の出来事を聴いた冬妃が、酷く満足げだったのはいうまでもない。

お読みいただき、御礼申しあげます。

想いかえせば、連載開始から一年と三ヶ月が経とうとしています。

皆様にご愛読賜りまして、ここまで参りました。ほんとうに感謝の想いがつきません。今後とも「後宮食医の薬膳帖」をよろしくお願いいたします。


早ければ今月のうちには第六部の連載が再開いたします。

ブクマは外さず、お待ちいただければ幸いです。


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― 新着の感想 ―
[良い点] そうだった……あらためて思い出しましたが、慧玲ちゃんにとって食医であることは、幸せなことではないのですね。 鴆は同じような辛さを味わってきたから、薬であろうとする慧玲ちゃんの重圧を、だれよ…
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