番外編 食医、六歳児になる!?その壱
日頃からご愛読いただきまして、御礼申しあげます。
6000pt突破の御祝いとして番外編SSを書きおろしましたので、お楽しみいただければ幸いでございます。五部完結後にあったかもしれないし、なかったかもしれない話です。
「おひさま、さんさん、あっさがきたぁ~♪ 雀も鳩もよろこんでぇ、しっあわせっいっぱいっ歌ってるぅ~♪」
青竹林に姑娘の朗らかな歌声がこだまする。
笹を踏みながらやってきたのは蔡慧玲つきの女官である明藍星だ。彼女は毎朝こうして、女官の宿舎から離舎に通ってきている。
この頃は後宮食医である慧玲への依頼が殺到しており、とても慌ただしい。それだけ彼女が後宮の妃たちから信頼されてきているということで、藍星はとても誇らしく、仕事にますますのやりがいを感じていた。
離舎に到着する。
土壁に竹葺きの屋頂。とても質素な建物だ。玄関にたつだけでも薬のにおいが漂ってきた。
「おっはようございます」
元気いっぱいに挨拶をして、藍星は離舎にあがった。だが、いつもだったらすでに調薬の準備を始めているはずの慧玲の姿が何処にもない。
おかしいなと想いながら房室にあがる。
「慧玲様?」
ここのところの疲れがたまっていので、まだ眠っているのかもしれない。だとしたら、起こすのは申し訳ないとおもい、藍星はそうっと臥室を覗いた。
「――――!?」
臥榻にちょこんと、幼い姑娘が腰かけていた。五歳か、六歳くらいだろうか。艶やかな黒髪を敷布に拡げて、ぼんやりとしている。幼い姑娘は藍星が近寄るとぱちぱちと瞬きをしてから、申し訳なさそうに頭をさげてきた。
「ごめんなさい。おかあさまはいま、おられないみたいです」
「え、ええっと……」
振り仰いできた瞳は見憶えのある緑だ。
着丈のあわない襦の袖をぱたぱたと動かしている。緑絹で織られたこの襦裙は明らかに慧玲の私物だ。
「おくすりのご依頼にこられた女官様なのでしょう? きゅーかんでなければよいのですが……」
幼さゆえか、ちょっとばかり舌足らずだが、言葉遣いはとてもしっかりとしている。その様はやはり、藍星のよく知る姑娘と重なった。
藍星は酷い胸騒ぎに見舞われながら、なんとか現実を把握しようとする。
(まさか、慧玲様に御子が……!?)
いや、さすがにそんなことはないだろう。どう考えても計算があわない。だが、あまりにも慧玲に瓜ふたつだ。先帝に姑娘がふたりいたという事実はないので、妹ということもないだろうが――
「それにしても、こまりましたね。朝起きたら、おかあさまのおすがたがどこにもなくて……時鐘からすると、こちらは後宮、なのですよね?」
「え、あ、はい……後宮、ですけど……その、慧玲様は」
「はい」
幼い姑娘が頷いた。
「ええっと、慧玲様はどちらに」
「慧玲は私ですけれど」
藍星があんぐりと口をあける。
暫し絶句してから、藍星が後宮一帯に響き渡るような声で叫んだ。
「慧玲様が子どもになってるうぅぅぅぅうぅぅぅ!?」
…………
「藍星が幼い御子を連れて春宮に駈けこんできた時はいったい、なにを寝惚けているのかとおもったけれど――ほんとうにあの姑娘が慧玲なのね……」
雪梅がいまだに信じられないとばかりに頭を振りながら、ため息をついた。
あの後、藍星は六歳児の姿になった慧玲を連れ、助けをもとめるように雪梅のもとを訪ねた。朝から藍星の騒がしい声にさらされた雪梅は苛々していたが、幼くなった慧玲のすがたをみて、なにもかも吹っ飛んだらしく、すぐさま房室にあげてくれた。
「たいそう御似合いになられますよ。ささっ、雪梅様がお待ちです。こちらにどうぞ」
となりの房室から黄葉の声がする。
服のたけがあわず、ずるずると裾をひきずっていたので、雪梅が六歳の娘にあう服を捜すよう、女官たちに命じたのだ。
着替え終わった慧玲が、恥ずかしげにおずおずと顔を覗かせる。
「ご厚意をたまわりまして、ありがとうございます。こんなによい服をお借りして、ほんとうによろしかったのでしょうか」
若草を想わせる黄緑の服に身を包んだ慧玲が、ぺこりと頭をさげた。
「慧玲様、可愛いっ」
「なんて愛らしいのっ」
藍星と雪梅が同時に声をあげた。
雪梅はたまらず、ぎゅぎゅっと慧玲を抱き締める。頬ずりをしながら、雪梅はうっとりと睫をふせた。
「ああ、ほんとに可愛いわぁ……ね、うちの姑娘にならないかしら。なっちゃいましょう? ちょうど杏如にお姉さんがいたらいいのにとおもっていたのよ」
「えっ、えっと、わたしにはおかあさまが……」
藍星が慌てて、暴走する雪梅をとめようとする。
「だめですよ! 雪梅様、あやしいひとになってますって! 慧玲様、困ってるじゃないですか!」
慧玲はおろおろとしている。
そんなところも可愛い、と雪梅が抱き締めなおしたところで、声を掛けてきた客人がいた。
「麗雪梅。失礼するよ」
髪をなびかせ、鴆が房室のなかに踏みこんでくる。風水師だった時の黒服ではなく、高貴な身分のものだけが身につけることが許される紫の絹を纏っていた。
「鴆皇太子様!」
藍星は袖を掲げて低頭しながら、ささっと後ろにさがった。藍星はどうにもこの鴆という男がニガテなのだ。なんというか、一緒の房室にいるだけで蜈蚣にでもまとわりつかれているような心地になる。
「皇太子様がわざわざ御越しになるなんて、なにか、ございましたか?」
雪梅が拝礼しながら尋ねる。
「ああ、まもなく催される春妃就任の日程だが、風水で調べたところ、凶日にあたるということで変更になってね、ちょうど通りがかったから伝達しに――」
鴆の視線が雪梅が抱きかかえている幼い姑娘に吸い寄せられる。紫の双眸を細め、彼は戸惑いながら声をしぼりだす。
「…………慧玲?」
藍星は(なんでわかるんだよ)と想ったが、さすがに不敬すぎるので、声にはださなかった。
慧玲はちょこんと頭をさげてから、鴆を見あげる。
「はい、左様です。慧玲でございます。大哥様は……」
雪梅も藍星も「皇太子」と呼び掛けていたが、現在の慧玲からすれば、剋の皇帝の嫡子は自身だけなのでうまく認識ができなかったのだろう。
鴆は事態を瞬時に把握したのか、親しみやすい微笑をつくって、慧玲の前に膝をついた。
「……僕は鴆だよ。風水師だ」
その言葉からは、幼い慧玲の混乱を避けるため、彼女がいる前ではみずからを風水師として扱え、という暗黙の指示が滲んでいた。
「貴女のことは慧玲姫というべきかな」
「いえ、慧玲とお呼びください。わたしは姫であるよりもさきに、はくたくの姑娘ですもの」
「……そうか」
慧玲はじっと鴆を振り仰いでいたが、不意に心配そうな表情になる。
「鴆さま、どこかおつらいところはございませんか」
唐突な問いかけに鴆が眉の端をはねあげた。
「その……」
慧玲が言い難そうに言葉を濁らせる。鴆はまたもそれだけでなにかを察したのか、一瞬だけ、愛想笑いとはまた違った昏い微笑をよぎらせた。
「あいかわらず、敏いね。ああ、僕はなんともないよ」
その時だ。
悲鳴をあげ、房室に飛びこんできた女官がいた。小鈴だ。
「雪梅様! 女官が蝮にかまれて……」
「なんですって」
雪梅が青ざめる。
蝮といえば、かなり強い毒を持つ蛇だ。へたをすれば命にかかわる。
「……患者さまのところに連れていってください」
慧玲が声をあげた。
「でも、あなた」
「はくたくの智をさずかりはじめて日の浅い身ではありますが、まむしの解毒についてはおかあさまから教わっています」
先程までとは違い、凛とした振る舞いで背筋を伸ばし、慧玲が進みでる。
藍星も雪梅も困惑したが、姿が変わっても彼女は白澤の姑娘であることに違いはないのだ。雪梅が「わかった、かまれた女官のところに彼女を連れていって」と小鈴に命じると、小鈴は戸惑いながらも「こちらです」と慧玲を女官の宿舎に連れていった。
藍星も慌ててついていく。
鴆は事のなりゆきをみていて、なにをおもったのか、酷く眼差しをとがらせ、ひとつ、ため息をついた。
お読みいただき、ありがとうございます。
続きは13日(日)に投稿させていただきます。
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