番外編 "ばれんたいん"に秘する華を解く その肆
最後は鴆と慧玲の毒ラブバレンタインです!
最後までお楽しみいただければ幸いです!
≫ 欣華 ≪
皇帝の臥室は贈り物の箱で溢れていた。どれも中身は巧克力だ。毒味は終わっているが、とくに食べたいとは想えなかったので臥室の端につませておいた。
からからと車輪の響きがする。
「欣華か」
今晩のうちに終えなければならない書の確認をしていた雕皇帝が振りかえれば、後宮の頂に咲き誇る華が優雅に微笑んでいた。
「ええ、せっかくのお祭りだもの。ちゃんと妾からも渡してあげようかとおもって」
皇帝の眼が輝いた。
こどものようにわかりやすい喜びように欣華が微笑をこぼす。
欣華が知るかぎり、雕皇帝は童のような男だ。とても臆病で、劣等感が強く、さもしい子孩だ。そんな彼の惨めさが、欣華は意外にも嫌いではなかった。
小箱を渡す。
なかには慧玲の調えた巧克力がつまっている。
「はい、食べさせてちょうだい」
欣華のほうが口をあけ、葩を想わせる舌を動かしてうながす。雕皇帝が恍惚と熱にうかされ、ごくと喉を震わせた。
「そなたは……真に、吾を理解してくれているのだな」
皇后である欣華が皇帝に食べさせるのがふつうだが、ふたりの関係はそうではない。
雕皇帝が箱のなかにつめこまれた巧克力をつまみ、欣華の舌に乗せる。花が凋むように唇をすぼめて、欣華が微笑した。
「あまくて、ふふふ、なんだか血の塊みたい」
くちゃりと濡れた音をわざとらしく奏でて、欣華は巧克力を咀嚼する。とろけた褐色の蜜を舌の先端に絡め、崩れかけた珠を転がして愛しげに弄ぶ。わずかによごれた唇の端を舐めてから、「もうひとつ」とせがんだ。
「ひとつといわず、いくらでも捧げよう。そなたにならば、なにもかもを捧げても、惜しくはない」
後宮の華をすべて抱いても、彼は皇后とだけは枕をともにしたことがない。
巧克力を渡す時に指の先端が微か、唇に触れる。その熱さに竦むように皇帝が瞳を細めた。
「……愛している、吾にはそなただけだ」
「ふふふ、そう。妾だけよ、あなたには妾だけ。だから、好きなだけ、捧げてもいいわ。ぜんぶ、ぜんぶ、食べてあげましょうね」
欣華は雕皇帝の白髪まじりの頭をなで、抱き寄せる。
金糸雀しか愛することのできない、哀れな男。金糸雀からその愛がかえることはない。この貪欲な金糸雀は愛を知らないから。それを知って愛し続ける、愚かで哀れで惨めな男。
皇帝は箱が空になっては別の小箱をあけ、そのなかみを欣華に捧げていった。とても幸せそうに。
やがてすべての箱が空っぽになるまで。
≫ 慧玲 ≪
帰りがけに花粉症にこまっているという女官に声をかけられ、ひきかえして診察をしていたため、さらに帰路が晩くなってしまった。
妃たちと係わるのは神経を摩耗する。でも、たくさんのひとたちと一緒に調理をするのは意外にも楽しかった。雪梅も李紗も依依も楽しんでくれたようでなによりだ。
こういう祭も悪くはない。
せっかくなので残り物をひとつ、もらってきたが、芳醇な香りを吸いすぎたせいでいまのところは食べたいとは想えなかった。
かといって、渡すあてもない。
ついでに藍星から受け取ったものもあるが……疲れたときに劇毒を食べるのはきつすぎるので、体調が万全なときにいただくことにしよう。藍星には悪いが、彼女のつくったものは毒よりも毒だ。
春の宮に架けられた細い橋を渡ろうとしたところで杆に腰掛け、烟管を喫っている男の姿に視線がむかう。
「……ああ、おまえなのね」
「やあ、ずいぶんと楽しそうな祭りだったじゃないか」
紫の刺繍が施された外掛をふわりと揺らして、鴆が微笑む。慧玲をまちぶせていたことはあきらかだった。
「それで」
鴆が脚を延ばして、橋を塞ぐ。
「僕になにか、渡すものはないのかな?」
想像だにしていなかった要求に緑の瞳を瞬たかせる。
「おまえ、あまいものが好きだったの?」
「なんでそうなるんだよ」
あきれるように鴆が双眸を細めた。
「だって――――」
彼に渡す理由がない。これは恋する女が、思いを寄せる男に好意を伝える祭りのはずだ。恋も愛も縁遠いものだ。
そこまで考えかけて、藍星の言葉を想いだす。渡したいひとに渡せばいいのだと彼女はいっていた。
「ああ、……そうね」
慧玲は微かに唇の端を緩め、荷から小箱を取りだす。
愛ではない。恋でもないけれど。
渡したいとすれば、彼だけ、だ。
「あげる、ほかに渡すあてなんかないもの」
鴆は意外そうに眉をはねあげ、箱を受け取る。紐をとき、なかにつめこまれていた巧克力をつまんで、かじる。
「へえ、甘いが、……後味は意外と苦いんだね」
「陛下が飽きないように甘めと苦めにわけたのだけれど、それは苦めのほうだったのね」
「あんたは食べたのか」
「いえ、まだよ。でも、私は」
いらない、と言いかけた唇を塞ぐように鴆の唇が重ねられた。
あまやかな蜜をまとった舌が絡み、程よく苦味のある巧克力の味が口のなかを侵す。呼吸もできないほどに芳醇なかおり。微かに感じる毒の味。それらがもつれ、思考を緩く痺れさせた。
「……ふ」
「なかなかにうまかったよ。ごちそうさま」
鴆は唇の端をあげて、風に乗った葩のようにするりと側らをすり抜けていく。
そのくせ、毎度わすれられないような毒を残す。
(あまくて、にがい)
そんな彼の毒をあまいとおもってしまった。
知らないうちにほだされていると彼女は微苦笑する。かみついてやればよかったと想っても、後の祭りだ。
そう、祭りは終わった。後はそれぞれの役割に戻っていくだけだ。妃は妃に、女官は女官に、食医は食医に。後宮を飾る"華"という配役に帰る。
胸のうちに咲き誇る真実の華を秘めて。
お楽しみいただけましたでしょうか。
来月7月24日に《後宮食医の薬膳帖 廃姫は毒を喰らいて薬となす》メディアワークス文庫から出版となります。加筆修正を加えておりますので、web版を追い掛けてくださった読者様にも再度楽しんでいただけるものとおもっております。
毎度のことながら「いいね」「お星さま」「ブクマ」「誤字報告」「感想」にて応援くださる読者様には感謝の想いがつきません。ほんとうにありがとうございます。
発売日にはまたSSを投稿させていただきますので、今後とも《後宮食医の薬膳帖》をよろしくお願いいたします。






