番外編 "ばれんたいん"に秘する華を解く その参
女官たちのバレンタインです
≫ 依依 ≪
野生の鷂は春夏の繁殖期にしか鳴かないという。だが、人に飼われている鷂は季節問わずに鳴き、飼いぬしに餌を要求をしたり警戒を促したり友愛を伝えたりする。
凬の鷂はよく鳴く。それだけ凬が愛情を傾けているからだろう。
夏の宮に帰るなり、鷂が鳴き声をあげながら依依のもとに舞いおりてきた。「ただいまです」と依依が声をかければ、鷂は廻廊の杆にとまった。
続いて凬がかけ寄ってくる。
「お疲れ。わるかったね、アタシがいくべきなのに、おまえさんに頼んでしまって」
「ひぃっ、そんなそんな、もったいないお言葉です。御役にたてることがあって、なによりです」
依依は恐縮しながら小箱を取りだす。巧克力だ。食医がきれいに箱詰めしてくれた。
「こちらが皇帝陛下にお渡しするものです。食医に教えていただいたとおりに調理いたしましたので、問題はないかとおもいますが、もしも陛下が「まずい」と仰せになられたら、私は責任を取って……切腹しますっ」
「あはは、切腹なんざしなくていいよ。後宮にいる妃たちがいっせいに巧克力とやらを贈るんだよ? 実際に食べたとしても何個かだろうし、違いなんかわからないさ」
ついでに毒味もしっかりとされるだろう。
「あっ、あっ、あっ、あと」
依依が泣きそうになりながら、もうひとつの箱を渡す。
「こ、っこっこここっ、こっこっ」
「な、なんだ、鶏の真似かい?」
凬が苦笑する。
「ち、ちが、……あの、こっ、これ、は、凬様に……」
「わ、異境の食を味見できるなんて嬉しいねぇ」
ああ、これではちゃんと伝わらないと、依依はぐるぐるとまわりだしている頭で考え、なんとかその言葉をしぼりだす。
「す、好き、です、凬様」
緊張と昂揚に瞳を潤ませて、依依が訴える。
「死ぬまで御側においてください……」
凬は思いもしなかった真剣な言葉にぱちぱちと瞬きをして、ふっと穏やかに微笑んだ。
「ありがとう、アタシもおまえさんが大好きだよ。ずっと側にいておくれ」
嬉しさのあまり、依依は昊族でもないのに、ふわふわと舞いあがりそうになる。
側にいていいといわれた。依依にとって、それがどれほどのことか。
この髪のせいで同族からはいつも遠ざけられ、側に寄るなと怒鳴られてきた。ずっとずっとずっと慕う御方の側にいられる。これほどの幸福はなかった。
依依がぽわぽわしているあいだに凬は箱をあけ、ひとつは自身の口に、もうひとつは依依の口に投げいれた。
食べたことのない芳醇な香りと甘さに依依はとろけそうになって、咄嗟に我にかえって慌てる。
「凬様っ、こんな……こんなに希少で、おいしいものを、わたしなどがいただいていいはずが……」
「だって、一緒に食べたほうが旨いだろう?」
凬があんまりやさしくいうものだから、依依は胸がきゅうっと締めつけられた。
依依は幸せに慣れていない。幸福すぎると不安になる。甘さの後にくる苦味を怖れてしまう。
だが苦味を感じる暇もなく、またひとつ、甘い巧克力が口に運ばれた。
「どう?」
「……とても、おいしいです」
凬は「よかった」と笑いながら、黄昏の風に髪をなびかせた。
依依は知っている。彼女の髪がほんとうは燃えるように紅いことを。どんな宝珠よりも、如何なる時刻の空よりも奇麗なことを。
(お慕い申しあげております)
依依は祈るように胸のうちでおもった。
そのほんとうの想いは、伝わらないとしても。
≫ 藍星 ≪
「っと、これで配り終えましたか」
できあがった巧克力を配達し終える頃には、すっかりと日が落ちていた。春の月はおぼろげで、提燈のあかりを頼りに帰り路をたどる。
「私がもうちょっとちゃんと考えてから教室をひらいておけば、こんな面倒なことにならなかったのに、藍星にまで苦労を掛けてしまいましたね」
巧克力から調理させようとおもったのが間違いだったのだ。型に流しこんで飾りつけるところだけをやらせておけばよかった、と慧玲は後悔していた。
「慧玲様が謝ることなんかないですよ。それに、秋の妃様が仰っていたじゃないですか。「甜点ひとつ、食べたらあっというまだけれど、つくるのは大変なことだと思い知らされた。いい勉強になったわ」って――ほかの妃たちも口にはしませんが、同じように感じたはずです」
藍星はふふんと胸を張る。
「裏かたの大変さを、時々は高貴な御方にも知っていただかないと。なんでもかんたんにできるとおもったら大間違いなんですから」
橋のたもとで、藍星がとまった。藍星は橋を渡らずにまがって女官の宿舎に、慧玲は離宮に帰ることになる。
「朝から、お疲れ様でしたね。ゆっくりとやすんでください」
別れようとすると、藍星がひきとめてきた。
「あ、ちょっと待ってください。これをお渡ししておきたくて」
巧克力が入った小箱を渡される。
「私に、ですか」
どういうことかと、藍星の意を取りかねて慧玲が首を傾げた。
「なんでも殿方にたいする愛の告白だけじゃなくて、日頃の感謝のきもちとかをこめた巧克力を渡すのもありだそうで……」
「そうなんですか?」
「ですです、けっきょくはあげたいひとにあげちゃえばいいんですよ。というわけで、こちら、受け取っていただけますか。ちょっとでも慧玲様のお疲れがとれるようにいろんなものをいれたんですよ」
花菇とか辣椒とか熊の胆とか蒲公英の根とか、と藍星が指を折る。どう考えてもまずい。良薬は口に苦しとかいう段階ではなかった。そもそも良薬は口に旨いというのが食医の理念だ。
かといって「どうぞ」と微笑む藍星の厚意をむげにはできず、慧玲は苦笑いしながらそれを受け取った。
「あ、ありがとうございます、後でいただきますね」
「また、ご感想を教えてくださいね」
「え、あ、……はい」
どうしたものか。
「私、もっともっと、御役にたてるように頑張りますから。これからもいろんなことを教えてくださいね」
藍星の厚意は純真でまじりけのないものだ。彼女ほど毒のない姑娘は、そうそういないだろうと慧玲は想う。
だからこそ、彼女には教えたくないことがたくさんある。
藍星は、いつだってほんとうに大事なことは隠されていることを察しているはずだ。察しているから、踏みこまない。
「藍星」
「なんでしょう」
橋を渡りながら慧玲は振りかえる。
「あなたは、いつまでもそちら側にいてくださいね」
毒の地獄になど、踏みこまないで。
「はい?」
「いいえ、なんでも」
また明日、と袖を振って、慧玲は昏いほうへと進んでいく。風が吹き、うす雲のあいまから星が顔を覗かせ、瞬いた。青竹の帰り道をほのかに照らすように。
続きは24日に投稿させていただきます。
今度はいよいよ慧玲と鴆のバレンタインです。引き続き、お楽しみいただければ幸いです。






