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番外編 "ばれんたいん"に秘する華を解く その弐

激甘になりました

            ≫ 李紗 ≪ 




 黄昏の廊子えんがわに腰かけて、彫金細工をしている男がいた。卦狼グァランだ。毒でも薬でもないこうしたありふれた彫金は、愛しい女を喜ばせるためのものだ。出掛けていた李紗が帰ってきたのを感じて、彼はできあがったばかりの彫金の髪飾りを袖にいれ、出迎えにいった。


「調理教室とやらはどうだった、楽しめたか?」


「あ、はい。おもっていたよりもたいへんでしたが、みなさまと一緒でしたので、楽しく終えることができました。……あ、あの、卦狼」

 

 李紗はもっていた荷物から、ちいさな紙の箱を取りだす。


「これ、受け取っていただけますか」

「皇帝に渡すんじゃねェのか」

 

 皇帝に贈り物をする祭だと聴いていた卦狼は、眉の端をあげる。暫し考え、想いあたることがあった。


 李紗が幼い頃、父親に渡すために刺繍つきの手拭いを縫っていたことがある。あちらこちらから糸がとびだして、それはそれはひどいものだったが、彼女は何日もかけて懸命につくった。だが父親はそれを渡されて、「良家の姑娘むすめとして恥ずかしくないのか」といってつきかえした。李紗はひどく傷ついて「こんなもの捨てる」といって泣き喚いた。

 卦狼はそれをひょいと李紗から取りあげて、いったのだ。

「俺がもらう。へえ、なかなか味があるじゃねェか」

 その時、李紗の表情ときたら――目が真っ赤に腫れてうさぎみたいで、嬉しそうなのに泣きそうで、ほんとうに可愛かった。

 

 だからたぶん、今度も失敗したんだなと卦狼はおもった。

 李紗は小姐様おじょうさまだ。幼少期から何不自由ない暮らしをしてきたため、鍋を振ったこともない。それなのに、いきなり未知の食材なんかを調理しては失敗するのも無理はなかった。


「失敗したのか? いいぜ、俺が喰ってやるから安心しろ」


 李紗は頬を紅潮させ、慌てて「違いますっ」といった。


「こども扱いしないでください。食医に教わったとおりに頑張りましたもの、ちゃんとおいしいものが……できた、はずです。もちろん、ひとつは皇帝陛下に御渡しいたします。でも、本命は……あなたに食べてほしいのです」


 恥じらいながら、それでも李紗は「本命」という言葉を唇に乗せた。卦狼は眼を見張る。


「……ひめさんの本命、か」


 くすりと笑って、卦狼は假面具かめんをはずす。


「だったら、媛さんが食べさせてくれよ」


 裂けた口をあけ、「ほら」と指をさす。

 李紗は耳まで赤くなっていたが、意をけっしたように箱をあけ、巧克力ショコラをひとつ取りだす。


「どうぞ、召しあがってくださいな」

「ん……」


 卦狼は彼女の指ごと口にいれ、舐めた。甘い味が拡がる。


「あまいな。こんなにあまいもんは、産まれてはじめて食ったよ」


 李紗は恥ずかしくて眼がまわりそうになっている。

 彼女はどれだけ時が経っても変わらない。永遠の春を体現したような姑娘。卦狼の、卦狼だけのひめだ。

 そんな李紗の髪をなで、いまできあがったばかりの彫金の髪飾りを挿した。


「おもったとおり、媛さんによくにあう」


 柄つきの銅鏡を渡す。覗きこんだ李紗は瞳をまるくする。


「これって」


 卦狼が贈ったのは八重の桜を模した櫛型の簪だった。昔から女に櫛を贈るのは「苦」も「死」も共にしようという婚姻の証だ。


小孩がき扱いなんかしてないさ。あんたは俺の最愛の女だ」


 李紗は頬にうす紅の花を綻ばせ、感極まるように思いきり卦狼に抱きついた。

 風に乗って、花吹雪がいっせいに舞う。廻廊で抱きあうふたりの姿を隠すように春嵐が吹きあがった。

 



            ≫ 雪梅 ≪




 後宮の梅の園林には枝垂れの梅が双つある。白梅と紅梅。どちらもたいへんに華やかで春の宮の妃たちに愛されていた。それでも黄昏時をすぎ、風が寒くなるとさすがに観梅かんばいをする妃もいなくなる。

 日が傾きかけた時刻にいそいそと白梅の根かたにむかう後ろ姿があった。雪梅嬪だ。彼女は梅の根かたに跪いて、小箱をひとつ、たむける。


「……愛する御方に愛を伝えるお祭りだそうよ。ちょうど梅の季節に、なんて皮肉だとは想わない?」


 雪梅はつぶやきながら、こぼれる梅を仰いだ。

 どれだけ想いをこめてつくったところで、雪梅の想いびとはすでにそれを受け取ってくれることも、食べてくれることもない。わかっていた。それでもつくらずにはいられなかった。

 それが恋というものだと雪梅は想う。


「ねえ、わたくしの恋はどれだけ時が経っても貴男だけよ、殷春」


 真紅の裾をさばいて、背をむける。

 

「雪梅様、こちらにおられたのですね」


 小鈴がかけ寄ってきた。


「あれ、どなたかと一緒でしたか?」

「いいえ、私ひとりだけど」


 小鈴は不思議そうに首を傾げる。


「白い服をきた殿方がおられたような」


 雪梅が息をのんで振りかえる。

 だがそこにはただ、白い梅がおだやかに揺れているばかりだ。


「梅が、あんまり綺麗だから、春の幻をみたんでしょう」


 雪梅が苦笑する。その微笑があまりにも切なげだったから、小鈴はそうですねと肯定した。


「風が寒くなって参りました。帰ってお茶でも飲みましょう」


 あるじの細い肩に外掛を羽織らせながら小鈴が促す。雪梅は帰り路をたどりながら、最後にもう一度だけ梅を振りかえった。風が吹きつけ、けがれのない雪のような梅が舞いあがる。

 あまやかな梅の香が漂う。噎せかえるほどに。


「……"ばれんたいん"という祭のはじまりは、妻が故郷にいては兵隊たちが戦争にいきたがらないだろうということで婚姻が禁じられた時代に、男女を哀れんで隠れて結婚をさせていた聖人の命日なのだそうよ」


 雪梅が誰にいうでもなく、ぽつといった。


「禁を破ったものは処刑されたとか。……いつの時代も、遠い異教でも、恋とは命を賭すものなのね」


 雪梅の命を賭した恋は梅のまぼろしのなかにある。

 永遠に散ることなく。

 再びに咲き誇ることもなく。

李紗×卦狼 雪梅×殷春 でした。

続きは17日(土)に投稿させていただきます。

今度はあの女官のバレンタインです! どうぞお楽しみに!

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― 新着の感想 ―
二話続けて読みました。 書くのではなく、読むのも楽しいかと思い読んだので私の体調のことは気にしないでください。 甘めなお話でいいですね。 イベント事を物語の中に違和感なくうまく入れているなあと感心し…
[良い点] 李紗×卦狼のばれんたいんは、ほほえましくてしあわせそうで、雪梅×殷春は切ないですね。でも殷春はどこかで見守っていて、気持ちは通じているように思えました。 卦狼は昔からずっといつでも「媛さん…
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