番外編 "ばれんたいん"に秘する華を解く その壱
5000pt突破祝に書きおろした《番外編》です。読者アンケートでいちばんになった「バレンタイン」の御話です。番外編なので、すでに作中では死亡した依依や凬も登場します。
「後宮では春節に端午節と伝統の祭が盛んに執りおこなわれているけれど、そろそろ新しい祭を取りいれようとおもうの」
春のある日だった。
欣華皇后に呼びだされ、慧玲は貴宮を訪れていた。春の花を黄金の髪に挿した皇后は、嬉しそうにそんなことをいいだした。
「新しい祭、ですか?」
これだけ祭事があるのだからすでに充分だろうと慧玲はおもうのだが、暇を持てあました高貴な妃たちは娯楽に飢えているらしい。
「遠い異境の地では如月に"ばれんたいん"なる祭を催すそうなのよ。意中の殿方に手製の巧克力を渡して愛を伝えるお祭りなんだとか。とっても素敵だと想わない? 後宮にぴったりだとおもうのだけれど」
後宮の妃嬪たちはみな、皇帝のための華だ。単純に妃嬪たちが皇帝に巧克力を渡すだけの祭になりそうなのだが、果たして楽しいのだろうか――という慧玲の懸念を察したのか、皇后は楽しそうに続ける。
「この時だけは、秘する華が後宮に咲いても、見なかった振りをしてあげるのよ。ね、華たちも喜ぶはずだわ」
皇后は後宮の華たちが道ならぬ恋をしていることなど、御見通しだとばかりに瞳を細める。あいかわらず、いったい何処に目や耳があるのか。慧玲は胸のうちだけでため息をついた。
だが、呼びだされた訳もおおよそ理解できた。
「巧克力を調理すれば宜しいのでしょうか?」
「ふふふ、食医さんはさすがね。そうなの。大陸南部から巧克力を取り寄せたのはいいけれど、宮廷の庖人ではどう調理すればいいのかもわからなくて。それで、あなたを呼び寄せたのよ。後宮で巧克力づくりの教室をひらいてほしいの」
「教室、といいますかと、妃がたを集めて、ですか」
最悪だ。
林檎も剥けない、粥もつくれない妃たちが巧克力の調理なんていう面倒なことができるはずがない。
「そうよ。妾はさすがに参加できないから、妾から陛下に渡す巧克力はあなたにお願いするわね」
すでに胃がきりきりと締めつけられてきたが、皇后の命とあっては肯うほかにない。これは祭どころか、春の嵐になりそうだと思いながら、慧玲は低頭した。
「承知しました……」
◇
想像どおりというべきか、後宮食医による調理教室は混沌たるありさまになっていた。
「なにこの、果物! きもちがわるいわ!」
「いやあ、ぬるぬるしてる!」
「これ、かびてるんじゃないの! かびたものを調理させるなんて、どういうことなの!」
巧克力が登場した段階から、妃たちは阿鼻叫喚だった。
まずはぬめりのある硬い殻のなかにある種子を取りだすところからはじまるのだが、なかにある綿をかびだとおもって怒りだす妃までいた。そんなこんなで、巧克力のなかにつまっている種子を取りだして焙煎する段階で、妃の三割がやめた。種皮と胚乳を分けるところでまた二割。すりつぶすところでも「腕が痛い」「疲れた」と喚きだし、けっきょく残ったのは一割ほどだった。
「できあがったものは、ちゃんと宮にもってきてちょうだいね。わたくしがつくったことにして陛下に御渡しするから」
「承りました」
頷きながら、慧玲はあきれる。
(祭りの主旨が違わない? まあ、面倒な妃たちがいなくなってくれたほうが、こちらとしても助かるのだけれど)
妃がいなくなって、庖厨ががらんとなってから、調理補助をしていた藍星が盛大なため息をついて憤慨する。
「あー、まったくもう、なんのためにきたんでしょうね! 調理は根性と愛情なのに!」
「彼女のいうとおりだわ。努力もせずに成果だけもらおうなんて厚かましいとは想わないのかしら」
雪梅嬪が肩をすくめる。彼女はいつもの舞姫らしい華やかな服ではなく、調理の邪魔にならない服をきていた。
雪梅嬪がここまで文句ひとついわずに続けているのは意外だったが、よく考えればあれほど素晴らしい舞を踊れる段階で彼女はそもそも努力のひとなのだ。他人を妬んで遠くから悪い噂を弄しているだけの妃たちとは違う。
春の季妃である李紗が雪梅嬪に声をかけてきた。
「まあ、雪梅嬪。ここまで一緒に残れるなんて嬉しいですわ。雪梅嬪には渡したい御方がおられるのですか」
雪梅は睫を微かにふせ、「あら」と微笑んだ。
「華は秘するからこそ、華なのではなくて? 渡す殿方にだけ、ひらくものですもの」
「まあ」
李紗妃は頬を染め、「左様ですわね、それではわたくしも内緒にさせていただきます」と春風のように微笑みかえした。
彼女の口振りからは皇帝陛下いがいの男に渡す巧克力があることは明白だ。誰に渡すのか、慧玲はおおよそ察しがついたが、敢えて触れなかった。
「あ、あの……ドロドロになってきたのですが、ここからは如何すればよいのでしょうか」
続けてやってきたのは凬の代理で参加した依依だった。
なんでも凬はとてつもなく料理がへたらしく、「庖厨でぼやでもおこしたら、大変だからね。残念だけど遠慮するよ」と参加を辞退した。
依依の鍋を確認して、慧玲が頷く。
「よいかんじです。依依様は料理が御上手なのですね」
「ほ、ほんとうですか」
安堵したが、またすぐに依依の眉が曇る。
「えっと、その……わ、わたしのような卑しいものがつくったものをお渡しして、ほんとうによいのでしょうか」
「陛下が食されるまでに毒味もされますし、妃が手掛けたものではなくとも問題はないかと」
「そ、そうではなく。その、きもちわるくはないでしょうか……わ、わたしなどがお慕いしていると伝えたら、気分を害されるのではないかと不安で……」
依依が縮こまる。依依は凬のかわりに皇帝に渡すための巧克力をつくりにきたのかとおもっていたが、彼女は彼女で渡したいひとがいるのか。
「よけいなものをお渡しして、嫌われてしまったらとおもうと……」
もじもじとうつむく依依の話を横で聞いていた雪梅嬪が嘴を挿んできた。
「なに、ぐずぐずいってるのよ。その御方が好きなんでしょう? だったら、胸を張りなさい。恋をすることは素晴らしいことよ」
「で、でも、わたしは……」
「ああっもう、うざったい姑娘ね! ほら、しゃんとして! だいじょうぶ、恋をしている姑娘は誰もが可愛いものよ」
雪梅嬪に励まされた依依がこくこくと頭を縦に振る。
「わ、わかりました。ゆ、勇気をだします」
「いいわね、素直な姑娘は好きよ。それじゃあ、続きをやりましょう」
場が収集できたところで慧玲は倉にある麻袋いっぱいの砂糖を運んでくるように藍星に頼んだ。慧玲はまだ挽きがたらなかった妃の卓をまわって、補助する。全員の準備が整ってから砂糖、練乳等をくわえ、湯煎すると、もとが硬い果物の種だったとは想えないほどになめらかな巧克力になった。鍋いっぱいの巧克力をみて、妃たちが歓声をあげる。
「あとはお好きな型にそそいでいただき、乾燥させた果実を加えて、それぞれの思うような巧克力をつくっていただければとおもいます。味見をしていただいても構いませんが、日頃からお酒に慣れておられない御方だと酔ってしまうので、お気をつけくださいね」
「まあ、楽しそうですね」
「ひとくちだけ、いただこうかしら」
妃たちの声がいっきに弾む。
また来期に"ばれんたいん"なるものがあれば、ここまではこちらで準備をしておいて、最後だけ妃たちに参加してもらうかたちにしよう。
雪梅嬪は梅の型を選び、李紗は桃のかたちにして乾燥させた苺を散らした。依依は鳥のかたちにかためようとして型から外すときに羽根がもげ、「わたしはやっぱり、だめな姑娘なのですぅぅ」と叫びながら几で頭を打ちつけだしたので、慧玲が慌てて再度熱を加えればやり直せると教えた。
こうしてできあがった巧克力をもって、妃たちは想いびとに渡しにいった。
お読みいただき、ありがとうございます。楽しんでいただけているでしょうか。
続きは10日に投稿させていただきますので、引き続き、ブクマは外さずにお楽しみいただければ幸いです。






