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11 慧玲の調薬

(想像はついていたけれど)


 後宮の夕餉ゆうげが終わる時間帯にあわせて、慧玲は宴の下拵したごしらえを始めるため、庖房くりやにむかった。慧玲が皇后から頼まれたのは宴の監修だ。実際に調理するのは尚食局しょうしょくきょくの女官になる、はずだったが――女官はひとり残らず、帰っていた。


 かわりに夕餉の片づけ物がどどんと積みあげられている。約五百人分の洗い物だ。


(嫌がらせにしては幼稚すぎる……)


 これを全部片づけてからでないと調理は始められそうにもない。


(まあ、庖房を借りられるだけでもよかったと想うべきか。なにせ私は疎まれものだからね)


 圍裙まえかけの紐をぐいと結び、布条たすきを掛けて袖が濡れないようにする。最後に髪を結いあげ、孔雀の笄を挿しなおした。


 いまは人定(※夜九時)になったばかりだ。


子の刻(※夜十一時)までにはなんとか終わるはず。頑張りましょう)


 洗い物を進めながら、慧玲は妃嬪たちの食べ残しに箸をつける。


(ん、……後宮ではこういう味つけが好まれるのか)


 つまみ食いは褒められたものではないが、離舎にいる慧玲のもとには、尚食局で造られた食事は運ばれない。なので後宮での食事に触れる機会もこれまでにはなかった。

 残り物や器のかたちなどをみれば、どれが妃嬪の物か、はたまた女官の物かは明らかだ。妃嬪の食事と妃妾の食事では品質が違い、さらに女官や宦官ではまたひとつ、ふたつ、格が落ちる。


 食には身分や貧富が表れる。


(妃嬪には花扁豆はなまめが雑ざった米穀のかゆだけれど、女官たちの食は蕎麦そばの実を練って焼いた饅頭まんとうか、雑穀のビンなのね)


 食は平等ではない。

 だが、美味しいものを美味しいと感ずるこころは、等しいものであるはずだ。


 皿洗いが終わったのは結局()の刻を半刻ほど過ぎた頃だった。正刻の鐘(※深夜0時)を聴きながら、最後の皿を戸棚に収めて、ふうと息をつく。後二刻ほど経てば、今度は朝餉あさげの支度が始まるので、庖房くりやはつかえなくなる。


(想像していたよりも時間が掛かってしまった)


 仕事はここからだ。


 かつをいれるためにぱちぱちと頬をはたいた。母親といた頃は三日三晩、眠りも食べもせずに患者を診ていたこともある。


 まずはうずらさばく。綺麗になった鶉の腹に朝鮮人参、乾燥させた竜眼リュウガンの実、大蒜にんにく、胡椒、紅棗なつめ烏梅うばいなど十種を超える漢方の生薬を詰めこんだ。

 砂漠を渡って届けられた大蒜にんにく、胡椒は非常に希少なものだ。こんなときでなければ、後宮の食卓にもそうそうあがらない。

 大鍋いっぱいに湯を沸かして、下処理の終わった鶉をまるごといれ、煮る。だしを取るだけでも一刻は掛かる。そのあいだに海老の下処理をする。殻を剥き、背わたを取りのぞいてから、紹興酒に漬けこむ。

 続けて薬碾やげんを取りだした。漢方の生薬しょうやくを挽き砕くためのすり鉢のようなものだ。植物の種子や根を放りこみ、挽き砕いてはふるいにかけ、細かくしていった。希少な生薬ばかりだが、苦味が強すぎるので、粉にして香りづけにつかうのだ。


(まずは毒の巡りを後らせる薬が必要だ。毒の吸収を緩やかにする韮、大蒜、水銀蜂すいぎんばちの毒で損傷した細胞を修復させる香橙ゆずは、かならず食事に取り入れて――)


 致死毒を飲ませるのだ。慎重を期さねば。


 かといって薬を強くすぎて、折角の毒を分解してしまっては雪梅嬪の薬にもならなかった。

 

 重ねて「妃嬪たちが地毒に侵されぬよう、薬膳を調えるべし」という皇后の命もおざなりにはできない。ひと品ずつ効能を考え、提供する順番を組みあげていく。


(こまった。必要な食材がない。まあ、あれだったら、後宮でも調達できるか)


 今朝いちばんに後宮の厩舎きゅうしゃにいけば、間にあうだろう。


(最も重要なのは舌に美味うまいかどうか)


 まずいものは、いかにあろうと毒だ。

 患者が何を欲し、何を不要としているのか。何を好み、何が受け入れがたいのか。妃嬪それぞれの体質や習慣などは解らないが、後宮での食事に補うべきかはわかる。


(米穀に蕎麦の実。つけあわせには豆、茄子、白菜、鶏卵。春になったというのに、《の食》に偏っている)


 穀物も、豆類も、鶏卵も蕎麦の実も《土》に属する。芙香フーシャン妃が毒疫に侵されたのは脱ぎ散らかした絹に水の毒がたまったからだが、日頃の土の食が水を溜めこみやすくしたというのもあった。


 思索に耽りながら、慧玲は動き続けていた。


 杏の種子を割り、なかにあるさねを取りだしては砕く。鍋がぐらぐらと沸きはじめれば鍋に茸をいれ、煮えるまでのあいだに生薬を挽いて、かまどに薪を投げこんでは火の強さを調え、煮えた茸をざるにあげ――いつだったか、慧玲フェイリンが調薬するところをみていたものがこういった。


 剣舞でも踊っているのかと想った、と。


 抜身の剣を扱うような緊張感と流れるような動きを称える言葉だったが、慧玲は別の捉えかたをした。


(これは(たたか)いだ)


 彼女の取り扱っている毒は剣とおなじく、人命を奪うものだ。

 ひとつまみの塩を振るだけでも、彼女は指の先端さきまで神経を張りめぐらせる。わずかに塩がすぎるだけでも食材が毒になるからだ。


(敗けることは許されない。賭けているのは私の命だけではないのだから)


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