100薬に呪われた姑娘と毒に呪われた男
慧玲と鴆の関係に進展が……?
「私よ」
怨み続けてきた。
鏡を覗く度、縊り殺さねばと震えるほどに。
想像だにしていなかったはずだ。気強い彼女がこんな絶望を飼っていたなど。だが鴆は僅かも驚かなかった。一瞬だけ、哀しげに瞳をゆがめただけで。
ふたりは鏡だ。彼女の毒は、鴆のなかにもある。
理解できる、理解できてしまう、それこそが最たる毒だった。
「おまえは知っているのでしょう。先帝を壊した禁毒を解く薬がなんだったのか」
鴆は緩く頭を振った。
「あの毒は、解毒できないはずだ」
「白澤の一族に解毒できない毒は、ないのよ。ただ、これは、禁薬だった」
不穏な風が吹きつけ、窓を震わせた。房室に漂う薬のにおいが舞いあがり、鼻を刺す。禁薬の秘を明かすべからずと責めるがごとく。
惑いを振りきって、慧玲は続けた。
「白澤の書いわく、禁薬に要するものはひとつ、実の子孩の」
その胸で脈うつ熱い塊を指しながら。
「――――心臓よ」
鴆が息を張りつめ、険しく眉根を寄せた。
「姑娘である貴女の命が、唯一の薬だったのか」
血の毒には血の薬を要する。条理だが、人道には悖る――故に禁毒だ。
「毒を盛られてから先帝は飢え続けていた。渾沌は血潮に飢えていたと人々は語ったけれど、ほんとうは違った。先帝は薬に飢えていた」
薬とは舌に旨いものだ。薬を要するほどに人は薬に惹かれ、渇望する。
「先帝は、姑娘である私を喰らいたくて、でも喰らえないから、他者に充たされぬ欲望をぶつけ、虐殺を繰りかえした」
晩年、錯乱した先帝は廷臣を処刑しては心臓を喰らい、これは違うと喚きながら喀き散らしていたという。化生と称されても、致しかたのない醜態だ。
先帝がそれほどまでに飢え、命を絶たれたのは。
「全部、私のせいよ。母様が最後にいった」
今際の言葉が、耳から離れない――貴方が薬として喰われていれば、先帝は命を落とさなかったのですよ――その呪詛を遺して、母親は毒をのんだ。
母親は先帝を愛していた。
だから彼女は絶望を抱えながら、姑娘を護り徹してくれといった先帝との約束を果たし続けたのだ。薬に産まれながら、薬にならなかった姑娘を怨みながら。
「だから、せめても薬であり続けることだけが、私の復讐で、償いだった」
薬として育てられ、薬になるべく努めてきたのに、最後の最後に敬愛する父親の薬になれなかった。
「許されたかったのよ」
ただ一度、薬となれなかったことを。
慧玲は頬をゆがめて、微笑した。泣き崩れ、喚きだしたい時ほど、微笑するしかできない。そう産まれた。
告解にもならない慧玲の言葉に鴆は黙って耳を傾けていた。慧玲の罪ではない、と宥めることはかんたんだ。姑娘を護りながら姑娘を怨んだ母親は毒だということも易い。
だが、それは効能のない薬と一緒だ。
「貴女は、薬に呪われているんだな」
嗚咽も涙もなく微かに震え続ける慧玲の肩を、鴆は抱き締めた。慧玲は彼の胸に頬を埋めて、睫毛をふせる。
「そうね。おまえが毒に呪われているように」
慧玲の母親は結局、毒を望んで息絶えた。いかに薬であり続けようとも、母親に許されることはないと理解して、慧玲は一度崩れた。
「それでも、おまえが毒になれといってくれたから、私は今度こそ最後まで薬であり続けられたのよ」
たぶん、鴆だけが、彼女を許してくれたのだ。
彼の毒は、慧玲にとって最大の薬だった。
雪梅嬪が語った言葉の意味が今ならば、解かる。散っても愛し続けるといってくれるひとがいるから、華は永遠に咲き誇ることができる――酷い矛盾だ。それでも、雪梅嬪の言葉を借りるのならば、それが愛というものだった。
毒がまわってきたのか、段々と声をだすのも難しくなってきたが、慧玲は莟が綻ぶように微笑む。
「ありがとう」
「貴女は、ほんとに……酷い毒だよ。この僕でも、とても扱いきれない」
微笑みかけられた鴆は、悔しげに息をついた。
「万の華にも優る地獄みたいな毒だ。でもそんな貴女にたまらなく惹かれた。毒して地獄の底まで、連れていきたかった……」
慧玲は意識が遠ざかるのを感じた。
いつだったか、これは苦痛をともなわずに死だけを施す毒だと鴆がいっていた。慧玲に致死毒は効かないが、意識は毒に侵蝕されていく。思考が濁り、瞼は縫いあわされたように持ちあがらず、痺れるように眠かった。
瞼にひとつ、接吻を残して、鴆が離れていった。
無性に胸を掻きむしられ、咄嗟に袖をつかもうとしたが、指は僅かも動かなかった。残っていた意識の残骸までもが毒に喰われて、慧玲の意識は昏がりに落ちた。
お読みいただき、御礼申しあげます。
薬と毒。相いれぬ運命でありながら、互いを理解できるのは互いだけという数奇な関係を築いたふたり。果たしてふたりの運命のいきつくさきは……?
今後ともご愛読いただければ幸いです。