39 あたし知ってる
チヒロは店の中央にあるプールの水面を眺めながら言った。
びしゃり、と緑と赤の縞模様をした魚が水の上に跳ねて消えた。
「そうか。息しなくなっちゃって、死んだのか」
君は我ながら馬鹿な返事だと思いつつそう言って、グラスに残った氷を口にほうばって転がした。
チヒロはプールを指さして、
「ここのこれ、何か、海みたいだね」
と言った。
「海。そうか、小さな海。こんな暗い空間に、ひっそり存在する、小さな海」
「小さくないよ。大きいさ。こういう海、あたし知ってるんだ。暗い地底にあるんだよ。こういう海。きれいださ。
それでね、恐竜とか、大きな亀とか、うみへび、大きな大きな、うみへびいるのね、こういう海って」
「は・・・?」
君は訝しげな目でチヒロを見る。何の話だろう。
子供の死んだ衝撃で、変なことを口走っているのか。弱い青い光の中で、ようやく儚い存在が見えるプール。これが海か。
なんだか詩的で賛同したい。うん、そうだね、海だね、これは。
「地底の海ださ。あたし、読んだんだよ」
チヒロの目は生気をとりもどした。
「ほら、跳ねた。生き物。あれ、きっと子供だ。恐竜の子供だよ」
君はプールを見た。また熱帯魚が跳ねたのだ。今度はかなり大きかった。黒々とした肌が光を反射して、一瞬、眩しかった。
青い闇の中から不意に人影が現れた。
大きな人影。
店のボーイだ。お待ちどうさまでしたと、笑顔で現れた。薄暗い中なのに、そのボーイの笑顔、にっと笑った口元にこぼれた白い歯が、何故か良く見えた。
例のカナディアン・ウイスキーを持って現れたのだ。二つのグラスと氷やマドラーの入った容器、それと水の入った黒いガラス瓶を持って現れた。
やはり美味しくなさそうなカナディアン・ウイスキーのボトルは、不用意に大きかった。
「飲む?」と言って、君はボーイのようにして水割りを作り始めた。チヒロの様子を見れば、彼女に水割りを作ってもらうなどは、とんでもないことだと思った。
「おう、おう、飲も、飲も」
チヒロは叫ぶと、また一気にグラスのウイスキーを飲みほした。きわめて激しい勢いで飲みほした。
喉を鳴らして飲み終えると、またプールの海を見つめなおす。そうして、また君に向かってナイフのような視線を投げつける。あんたも飲めよ、という視線。
君は仕方なく、また飲み始める。
遠慮がちにグラスに口をつけてしまうわけだが、またもやチヒロに「ばかもの!」と一喝されて、一気飲みをやらざるを得なくなる。
そんなことを何度か繰り返すうちに、いい加減、酔っぱらってくる。当たり前のことだ。
・・・・・つづく




