妻とカラスと私とパンと
電子書籍化記念で、小話を書いてしまいました~!よかったら読んでやってください。
レオン視点です。
「お腹すいた」
三年に一度、魔法がまったく使えなくなる日がある。理由はわからないが、どんなに魔力の多い人間でも、その日だけは一切魔法が使えないのだ。
チラと隣で口を尖らせながら文句を言っている女を見る。我が妃、フォルテ・グランディーザだ。規格外の彼女でも、例に漏れず魔法が使えなくなっていた。
「なんの準備もせずに森の中に入ったお前が悪い」
「だって! 魔法が使えない日があるなんて知らなかったし! どうして今日は魔法が使えない日だから城にいろって言ってくれなかったのよ」
「普段から部屋でゴロゴロして運動不足のお前が早朝に散歩にでかけるなんて予想できないだろうが。朝起きてベッドから姿を消している事に気付き、『森で散歩してくる』という書置きを見つけた私がどれだけ驚いたかわかるか?」
「それは……急に思い立って……」
「気まぐれすぎる。だいたいお前は……」
「ああー! もう、お説教は後にしてよ! それよりもこの現状!」
フォルテは上方を指した。
切り立った崖の上には、鬱蒼とした木々。先程まで私達を追いかけて来ていた獣の気配が遠ざかって行く。さすがに崖下までは追いかける気にはならないのだろう。崖の上には簡単に戻れないのだから。
◆ ◆ ◆
魔法が使えない日に王太子妃がひとりで森に入ったなどと反対勢力に知られるわけにはいかないので、信頼できる極少数の騎士達と、目立たぬように森を捜索した。手分けをして探している内に、私は一人になっていた。幸いそれがよかったのか、フォルテはすぐに見つかった。声をかけ、彼女が振り向いた瞬間、近くから獣の咆哮が聞こえてきた。余裕をもって構えたフォルテは、何故かすぐに焦った顔で私を見てくる。打とうと思った魔法が使えなかったからだろう。
危険が差し迫っていたので、咄嗟に獣に向かって持っていた剣を投げる。うまくその目に当たったが、結果は余計に興奮させただけだった。手負いの獣ほど恐ろしいものはない。私は慌ててフォルテの手を取り、全力で走った。運動不足の妻は、悲鳴をあげながら引きずられるようにして走る。死にたくなければ走れ。そして私はお前を死なせたくない。何度も怒鳴ってやったが、その度に照れたような顔をして余計に足が遅くなるので、仕方ないから抱き上げた。
私の体力にも限度がある。普段鍛えていると言っても、誰かを守るような訓練を受けてはいないのだ。ふらふらしながらなんとか逃げていたが、土地勘がないのが敗因だった。鬱蒼とした木々を駆け抜け、身を隠せそうな茂みに飛び込んだ途端、地面が無くなった。
フォルテを守るように抱きしめ、体を丸める。上手い具合に途中にいくつか飛び出していた植物に引っ掛かりまくり、落ちた衝撃は想像していたものよりも少なく済んだ。それでも流石にかすり傷ひとつないなどという事はなく、私はあちこち切り傷と打撲だらけだし、フォルテは足を捻挫していた。よく捻挫をする女だ。
さて、互いの傷の具合を確かめ合った後は、崖の上に戻る算段をする。ほぼ直角の崖は、とてもじゃないが道具もなしには登れない。背後には流れの速い川。左右を見ても、どこまでも同じ高さの地面だ。大きな声で助けを呼ぶが、辺りに人の気配はない。
フォルテを見ると、まだ呆然としていた。手を取り腰を抱き、ゆっくりと歩き出すと、痛みのせいか顔を顰めた。横たわった丸太の上にハンカチを敷き、そこに座らせる。私もその隣に腰掛けた。「どういう事」と呆けたように言う彼女に、今日は三年に一度魔法を使えなくなる日だという説明をすると、大きな溜息をついて頭を抱えてしまった。これは復活するまでしばらくかかるなと思い、今後の展開を色々と考えた。そうしている間に、彼女の中で納得できるものがあったのか、ゆっくりと私を見、腹がすいたと訴えてきたのだ。
「この現状を見ろと言われても、どうする事も出来ないとしか言えないな。何しろ、魔法が使えないから通信手段がない。足を捻挫しているお前を連れて崖を登ることも出来ない」
「…………」
「まあ、明日になれば魔法も使えるようになる。幸い、今は暖かい時期だし、少しここで待てば……」
「だから、お腹がすいたんだってば! 軽い散歩のつもりで来たから食べ物なんて持っていないし、水だって持ってない。それに、トイレもないのに自然に呼ばれちゃったらどうするの? 私、貴方の前で用足しなんかしたくない!」
「私は気にしないぞ。嫌なら耳を塞いでいるが……」
「いやあだあああああ!!」
ガサツな女だが、譲れない部分もあるのだろう。羞恥に顔を赤くして嫌がる妻もよいものだ。そんな事を考えた自分に驚いた。新しい扉を開いてしまいそうで、慌てて咳をして誤魔化した。
「まあ、ギリギリまで頑張れ」
「無責任なこと言うな! あーあ、前世にはいたのよねぇ、こういう時に助けに来てくれるヒーローが」
「…………は? お前に?」
「私にじゃないわ。こうやってね、お腹を減らしてグッタリしちゃったりしてる人のところに、どこからか飛んできて言うのよ。『私の顔をお食べなさい』って」
「えッ、顔!」
「そう、顔」
全身に鳥肌がたった。ゾワゾワとして、震えが出るほどだ。
「なんという猟奇的な……」
「え? そうかしら?」
「そうだろう! なんという自己犠牲だ! その人は、顔を提供して生きていられるのか?」
「そうね。こう、挿げ替えるっていうの? そんな感じ」
「……人間なんだよな?」
「違うわよ、パン」
「パン! パンが喋ったり飛んだりするというのか! お前の前世の世界は、一体どうなっているのだ!」
「あー…………うん、そうね、色々大変よねぇ」
急にやる気なさげな顔をしたフォルテは、私の肩に頭を凭せかけてきた。ああ、こいつ、説明が面倒になって会話を放棄したな。私にはわかる。ちっとも答になっていない事を口にしたフォルテを横目で睨む。目を閉じて溜息をついている顔は、相変わらず美しい。
「フォル……」
「あッ、そうだ。私、魔法を使わなくても集合かけられるんだった!」
「は?」
フォルテは立ち上がり、空に向かって烏の真似を始めた。かぁかぁと、何度か連続して泣き真似をしては少し間を置き、再び同じ回数連続して鳴く。それを数回繰り返すと、真っ青な空の向こうから、黒い鳥の姿が見えてきた。本当に烏に集合をかけたというのだろうか。立ち上がって隣を見ると、フォルテはドヤ顔で私を見ていた。
「ふふん、どう? 烏に集合かけちゃった」
「……いや……何故……」
「烏の鳴く回数には色々意味があるのよ。薄らと覚えていた前世の雑学のおかげね。彼等で実験済よ」
烏の集団が王宮の空に現れるようになったのは一年程前だ。当初、王宮勤めの面々が烏の巣に近付きすぎて攻撃されたり、あちこちで糞害が起こったりしていたものだが、何時の間にかそのような話が聞こえてこなくなったのは、フォルテが彼等と一緒にいるのをよく目にするようになってからではなかったか。
「魔法を使って調教したのか?」
「魔法なんて使っていないわ。あの子達の頭が良いだけ。それと、顔なじみになってるっていうのが一番の理由ね。心を開いてもらえてなければ、集合かけたって集まってくれないもの」
「うむ…………?」
「ねえ、ちょっとリーダー来てくれない? お使い頼まれてほしいのよ」
フォルテは烏の集団に声をかけた。烏自体頭の良い鳥だが、烏の集団のリーダーは、殊更頭が良いという。群れの中から一羽が飛び出してきたと思ったら、そのままフォルテの足元に降り立った。フォルテはそのまま人間に対するのと同じような態度で、後で御礼をするので手紙をいつも一緒にいる侍女に届けて欲しいと言いながら、彼の足に何時の間にか書いた手紙を括りつけた。烏は、「アホー」と一声鳴いて群れに戻った。バサバサと音をたてて、烏の群れが離れて行く。それにしても了承の返事、腹立つな。
「魔法を使えないのに、烏を意のままに操るとは恐れ入った」
「まあ、操っているわけではないけども」
「人たらしだと思っていたら、烏たらしでもあったわけだ」
「人聞きが悪いこと言わないでくれる?」
クセの強い女だ。嫌われる事も多いが、好かれる時はとことん好かれる。しかもこの女を嫌う面々は、ほとんどが周囲に害をもたらすような人間なのだから、指標になって丁度いい。
「つまり、奴等も悪い輩ではないのだろうな」
烏達が飛んで行った空を見上げる。すぐに助けが駆けつけてくれる予感がした。
優秀な烏の集団に呼び出された優秀な侍女レスリーの活躍によって、私達は速やかに助けられた。私達を崖下から引き上げる為のロープと籠が持ち込まれ、手負いの獣は討伐された。足を挫いていたフォルテの事は、いつぞやの騎士が抱き上げて城まで連れて行く事になった。そっと自分の手を見る。我が妻だ。自ら抱き上げて運びたかったが、城まで抱いて帰るほどの力は私には無い。しかも先程、獣から逃げる時に体力を消耗しすぎてしまっている。溜息をついていると、ポンと気安く背中を叩かれた。振り返る。レスリーだ。彼女は無表情でコクリと私に頷くと、横を通り過ぎてフォルテの元に向かった。なんか腹立つなあの女。慰めてくれたようで実は馬鹿にされている気分だ。うむ。腹が立つ。あとでフォルテに文句を言ってくれよう。部下の責任は上司が持つべきだ。文句のつけようもないほど優秀なのがまた腹立たしいのだ。
自室へ戻り、扉の前で申し訳なさそうな顔をした騎士からフォルテを受け取る。そんな顔をさせてしまう程、私は機嫌が悪そうだっただろうか。騎士にしっかり礼を言い、フォルテと二人で部屋に入った。珍しく大人しくしていると思ったら、フォルテは眠ってしまっていた。本当にいい御身分だ。少しは緊張しろ。
しばらく眠って起きたフォルテは開口一番お腹がすいたと大騒ぎして、心配をかけた侍女や家族達からこっぴどく叱られていた。叱られて涙目になりながら私に助けを求めてきたが、無視をした。私は夜にでもきついお灸をすえてやろうと決心する。
「うわ。なんだそれは。まさか、国宝……」
「違う違う、レプリカよ~」
後日、捻挫も治癒魔法によって治したフォルテは手にいっぱいの金の飾りを持って回廊を歩いていた。黄金のティアラやらピンクゴールドの王冠やら、眩い光ですれ違う者達が目をおさえている。ゴールド光り過ぎ問題。
「レプリカ」
「国宝カタログを見ながら、偽物を作ったってわけ」
「堂々と偽物を作ったとか言うな! しかもカタログなんてあったか?」
「ええと、詳しくは、宝蔵資料?」
「係官以外持ち出しも閲覧も禁止されている筈だが!?」
「固い事言いっこ無しですぜ、旦那」
「何語だ!」
材料は屑鉄らしい。ティアラなどを宝蔵資料を確認しながら形成して、外側に各ゴールドの紛い物の液体を塗ったとの事だ。輝きを増す魔法をかけたので、無駄に輝いているが、子供の玩具のようなもの。フォルテは笑ってそう言った。
「烏ちゃん達に御礼あげるって約束しちゃったからさ、急遽作り出したの」
「……あいつらを騙す……と?」
「えッ、騙すわけじゃないわよ? あの子達、キラキラしたものが好きなのよ。折角だから国宝を模しただけ~」
「模すなよ!」
鼻歌を歌いながら烏の巣に向かうフォルテについていく。いつもの侍女も、足音もなくついてきた。なんだあいつ、東の国に伝わる忍者か。
烏と楽しそうに会話している妻を見守りながら、傍らに立っていた侍女に尋ねた。
「顔がパンで出来ている英雄の話を、聞いた事はあるか?」
「…………英雄……なのかもしれませんね」
「そういう話も、フォルテは君にしているんだな。もしや、フォルテの想い人では……!?」
「は? 幼児向けの絵本の主人公だと仰っていましたが?」
「は?」
絵本。それも幼児向けの。フォルテはわざと妙な伝え方をしたに違いない。あいつはそれを聞いた私が困惑するのを面白がるような女だ。腸が煮えくり返って体を震わせていると、侍女は私を見ながら無表情で笑い声をあげた。ブチンと何かがキレる音がする。
「フォルテエエエエエ!! 貴様ぁあああああ!!」
「え? え? 何? レオンはなんでいきなりキレてるの?」
侍女は相変わらず変な笑い方をしている。慌てて私の元へ駆け寄ってくるフォルテの向こうで、烏達がアホーアホーと鳴きながら飛び立って行った。
(完)
読んでくださってありがとうございました!
また、ちょこちょこと続きというか番外小話というかを書いていけたらいいなと思っております。




