「バス」
梅雨なので。
帰宅ラッシュの路線バスは、すし詰め状態だ。
最寄り駅で、たまたま着いたばかりの1台に乗れた。
小柄な体を生かして狭い通路をすりぬけ、後方の座席、窓際に腰を下ろす。
これで今日は、終点までの長い時間、ゆっくりと過ごせそうだと安堵した。
窓の外は雨。
梅雨特有の蒸し暑さが、車内にも充満している。
ごく自然に、窓へ手のひらを滑らせた。
無造作に曇りが取れたガラスの向こうには、次のバスを待つ人々の列が見える。
不意に、ランドセルを背負った子供と目があった。
バスを利用するなら、私立に通っているのか。
大変だな、と思いながら視線をずらす直前、子供と目が合った気がした。
改めて見ると、子供がこちらに手を振っている。
背丈からして、一年生。どう見積もっても低学年だろう。
勿論、こちらは知らない相手だが、出発までの間の気まぐれで、手を振りかえしてみた。
すると意外なことに、子供は驚いた顔をする。
そっちから手を振ったのに。
そう思ったが、また子供は笑顔になり、今度はもっと大きく手を振ってくる。
出発します。
バスのアナウンスが車内外に響いたところで、お互いに手を振るのをやめた。
車内は満員、熱気はさらにひどくなり、ガラスのくもりを再び手のひらで拭う。
透明になった窓の向こうに子供の笑顔がはっきり見えたとき、バスが出発した。子供がゆっくりと手を振るしぐさは、先ほどまで自分がしていたもの。
そうか、なるほど。
目の前の窓には、てのひらを左右に動かして出来た跡。
子供はそれを真似ていたのだ。
首を動かして遠ざかるバス停を見ると、子供は傘をさし、歩きだしたところだった。
バイバイ、気をつけてね。
見知らぬ子供に心の中で手を振って、多少の気恥ずかしさと、可笑しさを圧し殺しながら目を閉じる。
終点に着くころには、乗客もまばらになっていた。
人差し指で、窓をなぞる。
濡れた路面と、雲の隙間に月が見えた時、車内アナウンスが流れバスが止まり、最後に下車した。
見上げたバスの窓に、無造作な手と指のあとを見て思わず笑みがこぼれる。
私は、ゆっくりと帰路についた。
了




