第34話 逃走
健介はエルナをヴァージル領の宿に届けた後、王都へと引き返していた。
そして、その途中、王国軍のグレグセン部隊を発見した。
進路は当然ヴァージル領だと言う事は判った。
森に入ってやり過ごし、後続に傭兵らしき集団が行軍しているのを発見した。
(おかしい。
あれはグレグセン、と言う事は王国軍の特務部隊のはずだ。
なのに何故傭兵がいる?)
特務部隊は通常傭兵と行動を共にする事は無い。
特に今は平時であり、必要なら他の部隊を連れて行けば良いはずで、傭兵を連れて行く理由は無い。
なんにしても、ヴァージル領へと向かう軍をそのまま見過ごす訳には行かない。
十分距離を開けて付いていった。
傭兵の隊列の中に、馬車が1台ある。
行軍中の軍の中に馬車など、普通なら考えられない。
物資輸送や怪我人輸送用の荷馬車なら判るが、あれは如何見ても貴族が乗る乗用馬車だ。
途中、野営をする時に、馬車から男が出てきた。
そのまま用意されたテントへと入って言ったが、男の特徴は見て取れた。
ドラゴンの目は下手な望遠鏡よりも良く見える。
(あれはテルバの主教ナナロムか?)
情報屋ギルスの報告書にあったテルバ主教の特徴に一致していた。
服装や装飾品、背丈、顔の特徴、髪の色や肌の色など。
断言は出来ないが、そう考えれば辻褄が合う。
あの傭兵はナナロムの私兵であるなら、ナナロム自体は馬車で移動と言うのも頷ける。
そして、先行している王国軍は、ナナロムの謀略によって踊らされ、利用されている。
(一体どんな手を使ったのか?
それにしても、行動が早い。)
健介も唸った。
これでは打つ手が限られてしまう。
だが、ここは健介が打つ手を選択できる場ではない。
リアが如何動くかを読まなければ、リアの邪魔になってしまう。
(考えろ、リアの考える選択肢を、リアの選択を。)
健介は考える。
恐らく、王国軍を動かす理由はリア本人にあるはずだ。
ヘインツやミレーヌは取り立てて王国軍を動かすような理由を挙げる「何か」が無い。
リアには以前ドラゴンを使役していたと言う事実があり、それを如何にかすればリアを捕縛する理由に繋げられる可能性はある。
他にも何か言いがかりを付けられそうな事は幾つかある。
要するに、口実さえあれば良いのだ。
そうなるとリアが投降するか、逃亡する事で、ヴァージル領は安全を確保する事が出来る。
リアが逃亡すれば、習慣的に爵位は元の領主ヘインツへ戻る事になる。
王国軍がヴァージル領を攻撃する理由は無くなるのだ。
(と言う事は、あの傭兵達の存在理由はそこか。)
健介はテルバの私兵らしき傭兵の目的が、あくまでシーリアの殺害にあると踏んだ。
そうでもなければ、居る理由が無いのだ。
健介は行動を開始した。
王国軍が町に入った時には、リアは完全武装して旅の準備をしていた。
「お母様、必ず帰りますから。
お元気で。」
「シーリア」
リアとミレーヌは抱き合って別れた。
ヘインツはここには居ない。
ミュール領へ出かけていて、恐らく、今頃急いで戻っている頃だろう。
リアの選択は逃亡である。
しかし、「逃亡したと見せかけた」などと思われないように、敵の目の前で逃亡する。
そうしないと、ヴァージル領への攻撃の口実を与える可能性があるのだ。
相手の指揮官はグレグセンだから、そんな横暴な事はしないだろうが、裏で糸を引いている者に隙を与えてはいけない。
リアは屋敷を出て、大通りへ出て王国軍が進軍してくるのを待った。
そこを通るはずだ。
隣にはリリスは居ない。
人が多ければ見つかり易い、後で合流した方が逃げ易いと判断したのだ。
それに、ミレーヌの護衛として残した方が、リアは安心できた。
しばらく待つと、グレグセンを先頭に綺麗な隊列で行軍してきた。
グレグセンと目が合い、互いを確認した。
リアはゆっくりと後ろを向いて、全速で逃げ出した。
後ろからグレグセンの号令が聞こえる。
「シーリア伯だ!
追え!
捕らえよ!」
そして、追跡劇が始まった。
リアがチラッと後ろを見たが、グレグセン自身は追って来ていない。
リアにとっては2重に好都合だ。
グレグセンに追われれば逃げ切れる可能性が低くなる。
グレグセンが残っていると言う事は、ヴァージル領内で軍が無用な混乱を起す事は無いだろう。
グレグセンは軍規を守るタイプだし、略奪などをしようものなら厳罰に処すだろう。
これは戦争では無いのだから。
リアは直に町を出て森に入った。
健介は待っていた。
リアが逃走すれば、必ずあの場所を通る。
そして、追っ手が通る場所も予測できる。
健介にはリアの行動が、手に取る様に判った。
一時は健介がリアだったのだ、考えの道筋が大体判る。
(きっとリアの事だから、王国軍が町に入って自分を発見するまで待ってるんだろうな。)
そう思って苦笑した。
やれやれだ。
その後の逃走経路も判る。
そして、そう言うリアの逃走を阻み、暗殺しようとする者達の行動も読めた。
地形的にそう言う行動しか取れないと言った方が正しい。
健介はただ、その暗殺として来たナナロムの私兵達を効率良く迎撃できる場所に陣取っていた。
恐らく、王国軍は深追いしないから、放って置いて良い。
リアの速度について行けないだろう。
待っていると、リアの疾走する姿が遠くに見えた。
そして、それを脇から阻もうと突進する王国軍とは違う武装のナナロムの私兵達。
距離は約1.2キロ。
(こうなっては仕方無いよな。)
健介も人型で何十人もの魔術戦士を相手に出来ない。
ドラゴン化するしかなかった。
そして、リミッターを外し、両手と両足の爪を地面に深く刺して身体を固定した。
ブレスの第2形態、砲撃の体勢だ。
口を大きくけると、その口の前に魔法陣が8枚現れる。
口の前に膨大な魔力が集中していき、私兵集団に向けて発射した。
魔法陣を通る度に魔力は収束され、どんどん細くなっていく。
それはレーザーの様に私兵集団を薙ぎ払い、超高熱の光線を受けた者は爆発四散して、焼け爛れ焦げたバラバラの死体にした。
1撃目が終わると、後続の私兵集団が現れ、その後ろに馬車が見えた。
私兵集団は仲間が殺された現場を見たものの、どこから攻撃されたのか判らないようだった。
(ナナロムか、丁度良い。
この借りは返させてもらう!)
健介はまた口を空ける。
今度は魔法陣が3枚現れた。
馬車の周辺を目標として、発射する。
今度は魔力が球状の状態で圧縮されて射出された。
馬車の近くに着弾し、閃光と共に弾けた。
地響きを伴う轟音と共に、周囲30メートルが高温に包まれて吹き飛んだ。
健介の元にも一瞬遅れて轟音が聞こえてきた。
その場には人の破片も馬車の破片すらない。
健介は爪を地面から引き抜いた。
空に飛びあがり、リアが逃走した方へと飛ぶ。
上空からリアが逃走している姿を発見し、その後方に王国軍の兵士が数人、追い縋っているのが見えた。
リアの速度についていけるとは、グレグセンの配下には良い人材が居る。
健介は急降下して追手の魔術戦士の前で魔法の爆発を起して停止させた。
魔術戦士達は空からの襲撃に驚き、散開して木の間に隠れた。
健介は魔術戦士達を無視してそのまま飛び、リアの上を速度を合わせる様に飛んだ。
「乗れ!」
健介が叫ぶ。
リアは銀色のドラゴンを見て呆気に取られて、転びそうになって、体勢を整えてから飛び乗った。
健介は翼に魔力を込めて速度を上げて上昇した。
後方の地面の上にリアを追っていた魔術戦士達が、ドラゴンとそれに乗ったリアを見上げて立ち尽くしていた。
リアは息を整えながら、混乱する頭と気持ちを整理していた。
自分が座っているのは、ゴツゴツしたドラゴンの背中。
先程まで銀色だった鱗が、黒っぽい緑に戻った。
こんな事が出来るドラゴンは、リアの知る限り1匹しか居ない。
今、ミコトの背中にいるのだ。
「ミコト?」
「なんだ?」
リアは暢気な返答に、思わずドラゴンの背中を素手で叩いた。
「あいた!」
リアは手をさする。
「何してんだ?」
健介は暢気に訊く。
健介は痛くも痒くもない。
「何してんだ、じゃ無いわよ!
何処行ってたのよ?!」
リアが喚く。
健介は笑って誤魔化す。
「何笑ってんのよぉ!」
リアが泣きだ出した。
堅い背中をペチペチ叩いている。
「わ、な、泣くなよ。」
健介は戸惑いつつ、山の山腹にある開けた場所に下りた。
もう十分に距離は開けてある。
人では追跡は不可能だ。
「リア、降りて?」
健介が背中から降りようとしないリアに、恐る恐る言って見る。
「嫌よ!」
リアが即答した。
しばらく、腹ばいになっているドラゴンの背中で泣きじゃくる鎧を着た女性と言う、珍妙な光景が見られた。
一頻り泣いて気が済んだのか、ミコトの背中から降りたリアはまだ不機嫌だった。
健介は人型になって、リアの機嫌を取ることにした。
「リア、そんなに怒らないでくれよ。
リアを騙してた訳じゃないんだ。」
「騙してたじゃない!」
リアが即座に切り替えしてきた。
「い、いや、その、な?」
健介はリアの剣幕に、思わずシドロモドロになってしまう。
女心と言うのが判っていなかった。
「なあ、リア。
俺が近くに居ると、軍の追及が困った事になっていただろ?
ショミルの戦いで力を見せてしまったし。」
健介の言葉に、リアが背を向けた。
「だからな、俺は影からお前を守る事にしたんだ。
判ってくれ。」
「知らせてくれたっていいじゃない。」
リアがボソッと言う。
「まあ、そう思うだろうけど、リアも知っていたら俺と会うようになってただろう?
そう言う所から、知られる可能性があるからな。」
健介は何とか誤魔化そうとする。
リアは健介を胡乱気に見詰め、口を尖らせる。
しばらくして、溜息をついたリアは、健介に抱きついた。
「次は許さないからね!」
健介の胸に顔を付けて抗議するように言った。
翌日、落ち着いたリアを背中に乗せて、再び空へ飛び上がる。
ペステンからかなり離れた山の中腹から、さらに山脈の奥の方へと飛んでいる。
「何処行くの?」
リアは綺麗な山々の景色に目を細める。
「さあ、どうせしばらく帰れないんだから、旅でもしよう。」
健介は暢気に答える。
今帰っても、リアは手配されているから、屋敷には戻れないだろう。
クリンとエンドーラが如何にかしてくると思うが・・・ちょっと心許ないか。
フィはどうなったろうか・・・
ああ、エルナ(ラン)はどうなったかな・・・
色々と心配事を置き去りにしていた。
「そうね。
少しくらい旅をして羽を伸ばそうかしら。」
リアもその気になったようだ。
健介は山脈を縫って飛行し、獲物を見つけ捕まえて食料にした。
この辺りは人影も無く、前人未踏の様な場所で動物が多いし、野生の果物や野草などがあって食料には事欠かない。
ドラゴンである健介が居れば、猛獣や魔物に襲われる事もない。
「ああ、久しぶりにのんびり出来るわ。
でも、お父様とお母様、心配してるわよね。」
リアも少し心配そうだ。
「今は気にしても仕方ないさ。
どっち道戻れないのだからな。」
健介が軽く言って慰める。
健介自身、戻れぬ道を進んでいるのだ。
考えても仕方ない事はある。
数日、山々を飛び回っていた。
この山脈の深い場所には人里も無く、人目を憚る事無く過せた。
ある日、山間を飛んでいると崖の下の方にある岩棚の所に人影を発見した。
「人だ」
リアに教える。
その人もドラゴンに気付いているようだが、怯えた様子は無い。
健介はゆっくりと降りていき、その岩棚の所まで降下した。
岩棚の奥には洞窟の穴が空いて居り、その人はそこから出て来たのだろう。
「こんにちわ」
リアが健介の背中から顔を出して挨拶する。
「こんにちわ」
その人も挨拶を返してきた。
やはりドラゴンに怯える様子は無い。
「中に寄って行きませんか?」
その人は誘ってきた。
何とも怪しい。
だが、何か聞く前にその人は洞窟に入ってしまう。
「どうする?」
リアが訊くが、健介の答えは決まっていた。
ドラゴンの巨体を岩棚に下ろし、リアを背中から下ろして人型に戻った。
2人でさっきの人を追いかけて、洞窟へと入る。
中でさっきの人が待っていた。
「ようこそ、私はソナック。」
「私はシーリアよ。」
「ミコトだ。」
互いに名乗りあって、ソナックの案内で洞窟の奥へと向かう。
健介はすぐに気付いた。
その洞窟には人の手が加わっている事が。
そして、この世界では見たことの無い、高い文明を感じさせる魔法器具があることが。
いつの間にか、洞窟の通路は四角い通路となっていた。
案内された場所は、健介には社員食堂に見えた。
或は学食の食堂か。
そんな雰囲気の場所だった。
そこにはソナック以外の人も居り、驚いたように健介達を見ていたが、ソナックが手を振るとそそくさと立ち去った。
「ここはなんだだ?
あんたは何者だ?」
健介は無遠慮に尋ねた。
「私は、私達は約1万年前の魔族の生き残りだ。
そして、ここは我々の研究施設だ。」
ソナックは健介の質問を待っていたかのように答えた。
健介とリアは絶句した。
ソナックは健介とリアの反応を楽しそうに見ているが、嘘をついているような感じではない。
「1万年ってどう言う事だ?」
健介が先に立ち直り、その途方も無い時間を問質す。
「言葉どおりだ。
ここに居る研究者の大半は1万年の時を生きてきたのだ。
身体は交換しているがね。」
健介とリアは再び絶句する。
身体を交換と言う事は、転生魔法で精神と魂を入れ替えていると言う事か?
それで生きながらえていると。
「私の話を聞くかね?」
ソナックがリアと健介を見る。
長い時を生きた魔族の始祖ともいえる者かもしれないソナック。
そう問われて否は無い。
リアと健介は頷いた。