第33話 テルバ
リアはイライラと屋敷の自室の中で歩き回っていた。
あの男、金髪なのは判ったが、碧眼かどうかは判らなかった。
しかし、確かに双剣を腰に下げていた。
間違いない。
リアが探査魔法で探し当て、一気に近付くつもりだったのに逃げられた。
もう少しだったのに・・・
「ふふふ、相当な恥ずかしがり屋なのね・・・でも、次は逃がさないわよ」
不敵な笑みを浮かべ、エンドーラ並みに燃えるリアだった。
リアの正直な所、驚きと妙な懐かしさを感じていた。
自分の実力を過信していた訳ではないが、自分を振り切った金髪の男に驚きを禁じえなかった。
人間相手に速度で負けた事など一度も無かったのに。
それに、あの金髪の男の気配に、何か懐かしさを感じていたのだ。
それもあって、町の外の森の中を抜けたところまで、深追いしてしまった。
そこにいた盗賊のお陰で、それ以上追う事が出来なくなってしまったが。
例のアクセサリーの件については、ハモに調べさせていた。
テルバについて、その人脈について。
ついでに、エンドーラとクリンにもその情報を伝えるように指示した。
エンドーラと夫のジオレはオルセイを介して暗殺されそうになったし、何かの因縁があるかもしれない。
クリンに関しては軍内部のテルバの浸透状況を情報部に調べさせる必要がある。
貴族間の戦争なら、シーリアの戦力で十分な抑止力になるし対処も可能だ。
だが、王国軍となると話は別である。
兵力がまるで違うから、王国軍を丸め込まれればシーリアの軍など相手にならない。
ギルメルへの手紙の中で、テルバについて記述しておく。
ギルメルは信用できる人間だし、パグルガント公爵家は情報網もしっかりしてそうだ。
ギルメル経由で調査をお願いする。
パグルガント家にしても、妙な宗教の台等は良くは思っていないだろう。
その影響で貴族間戦争が起きたとなれば、パグルガント公爵家の門閥の方針に反する。
リアは打てる手は打って、いつもの政務に戻った。
王都にある宿に健介はいた。
リアに追われて振り切った後、そのまま王都へと向かったのだ。
変装すれば何時でもヴァージル領には戻れる。
リアほど感のいい奴はそうは居ないから、簡単な変装で十分間に合う。
今は王都に居るであろう、テルバの組織に関する調査をするつもりだった。
その辺りはリアが手を回しているのは判っているが、じかに見る感触も重要だ。
人伝では読み取れない事もある。
先ずは町中での噂から入る。
噂と言うのも侮れないものだ。
尾ひれが付いている場合もあるが、事実が含まれている場合も多く、十分参考になる。
その噂の裏付け調査の過程で、更に他の噂や、思わぬ情報を得たりする事もある。
思ったとおり、テルバの噂はそう悪いものではなかった。
悪い噂が流れれば、信者は増えない。
だが、チラホラと信者とその家族の間で問題が起きているという噂があった。
カルト教団の報道で良く耳にするのと同じ内容だ。
入団した家族に会わせろ、金を返せ、と言うやつだ。
報道機関など無いから、そう言う噂が少しある程度で、実際はどうなのか判らない。
情報確認の為、テルバの信者が集まる家や宿を見て回る。
中に入る訳にはいかないが、外から見える雰囲気だけでもと思って見ていた。
家や宿の周囲には見張りが居り、人の出入りを監視していた。
ざっと見たところ、人の出入りは信者の幹部らしき者しか居らず、一般信者は見かけられなかった。
(信者を閉じ込めて管理するパターンの奴か?)
カルト集団では信者を外に出す事を禁じる事が多いと聞いた事がある。
カルト集団の表向きの理由は様々だが、心理学者の意見では外の情報を遮断してマインドコントロールをし易くする為と言っていたはずだ。
信者を部屋に閉じ込めて教えだの、呪文だのを延々と聞かせたり唱えさせたりするのだと言う。
テルバでそう言う事が行われているかどうかは判らないが。
次は幹部らしい者を尾行し、テルバの中枢の連中を探す事にした。
さすがに簡単には見つからなかったが、見つけることは出来た。
健介が尾行していた者達は幹部と言うより、各施設の管理をしている者達らしかった。
その者達は、定期的に幹部の下へ行っていたのだが、尾行対策をされていて何度かまかれてしまっていた。
だが、探査魔法を交えて注意深く尾行をしていれば、何度もまかれるような事は無い。
見つけた場所は、意外と言うか何と言うか、王都の貴族の邸宅に間借りしてる様だった。
無論、その貴族も信者であるらしい。
その邸宅の庭には、ちょっと過剰とも言える警護の兵士が見えていた。
探査魔法では中にも兵士らしい集団が居る事が判った。
リアほど細かく判らないが、少なくとも10人以上はいる。
探査魔法でも使用人で無い事は、その動きで判る。
一般的な貴族の使用人は謂わばプロであり、無駄な動きはしない。
待機する時も、意味も無く彼方此方歩き回ったりしないのだ。
それに、部屋の出入りや廊下の移動の仕方は、使用人の作法とでも言うものか、使用人特有のものがある。
貴族の邸宅を幾つも出入りしていなければ、なかなか判らない違いだ。
健介は以前、リアへ暗殺者を放った貴族達を突き止めて、逆に暗殺をしていた事がある。
その際に、今回の様に探査魔法で様子を伺っていたので、使用人の動作パターンが大体判るのだ。
そして、使用人でもなく、兵士でもない者を特定する事も、数日掛ければ判る。
恐らくそれが、テルバの主教とこの屋敷の主の貴族なのだろう。
健介はとりあえず、その場を去った。
勢いで行動しては足元を掬われる。
より詳しい情報を得る為に、良く使う情報屋を訪ねる事にした。
定期的に主要な情報を送ってくれている。
王都の片隅にある裏通りに入り、とあるアパートの地下へと入った。
要所に見張りが居るが健介は顔パスだ。
お得意様なのである。
「ようミコトの旦那、久しぶりじゃないか。」
地下室の1つに入ると、陽気な声が健介に掛かる。
「ああ、久しぶりだな、ギルス。」
健介は応えて、ギルスと挨拶を交わす。
ギルスは情報屋組織のボスである。
表立って活動しないのは貴族の情報も扱う為、目を付けられているからだ。
情報料は決して安くは無いが、良い仕事をしてくれる。
「調べて欲しい事があるんだが。」
健介が切り出す。
「テルバのことか?」
ギルスがニヤッと笑った。
健介は少し驚いた。
「それを知ってると言う事は、既に情報を得ていると言う事か?」
ギルスは健介がシーリアを影から守っている事を知っている数少ない者の1人だ。
ギルスとその配下の者達はプロ意識が強く、信頼できる者達だから、健介の事が彼らから漏れる事は考えなくて良かった。
無論、健介が彼らの仲間を救い出したと言う貸しを作っている事もあるが。
「あんたはお得意様だからな。」
「いくらだ?」
ギルスが金額を提示する。
「判った。
明日、金を持って出直そう。」
健介が部屋を出ようとすると、
「なんだ、一杯付き合ってくれないのか?
いい酒が入ったんだ。」
ギルスがグラスを2つと酒瓶を持って、小さなテーブルについた。
「悪いな、ギルス。
まだ用事があるんだ。」
健介とギルスは以前は時々一緒に飲む仲だった。
「そうか、じゃあこいつはまた今度一緒に飲もうぜ?」
「ああ、この件が終わるまで取っといてくれ。」
健介は地下を出て、クリンとフィに会う手はずを整えた。
クリン宛に手紙を書いて、雇い使者を使って届けた。
いくらギルスでも軍内部の情報を引き出すのは難しい。
軍方面の情報は、クリンとフィに聞く事にした。
恐らく、リアからテルバについての報告は行っているはずだから、何か情報が得られているかもしれない。
翌日、朝から金をもってギルスの元へと向かった。
健介は普段金を余り持ち歩かないが、王都とヴァージル領には金を隠してあった。
金の出所は、以前暗殺した貴族である。
行きがけの駄賃で貰っておいたのだ。
そのお陰で、暗殺ではなく強盗として扱われたりしていたので、一石二鳥だった。
その金を活動資金にしている。
「ほれ、金貨10枚だ。」
健介がギルスとの間にあるテーブルに、金貨の入った皮袋を置いた。
「おお、いつもながら良い払いっぷりだな。
これが報告書だ。」
ギルスが金貨の袋の隣に報告書の束を置く。
健介がギルスの情報屋を雇う理由の1つがこれだ。
情報をしっかりと報告書にまとめてくれる事だ。
元々現代人の健介には、口頭で彼是言われても腹が立つだけだった。
金払ってるんだから、書面にしろと言ってやりたかった。
しかし、ギルスは言わなくても報告書を作ってくれるし、報告の中身は充実している。
中身が充実しているから、報告書を書いているのかもしれないが、高い金を払う価値があった。
まあ、金の大半は諜報員の保険金みたいなものだろうが。
健介は報告書を手にとって、中身を確認する。
テルバの主要幹部の一覧から、数日前までの使用施設一覧。
推定の一般信者数。
テルバの噂の一覧と、それの確認された内容。
信者が行っている修行の内容など、多岐に渡る。
そして、関わりのある貴族の一覧と、その会話の一部。
貴族の一覧の中に、レクサス伯リムトの名もあった。
健介が来る前から、かなり力を入れて調査していたようだ。
昨日の待ち構えていた様子から察するに、テルバがヴァージル領を狙っているのに気付いて、いずれ健介が情報を買いに来る事を見越して調べていたのだろう。
ご苦労な事だ。
「これは・・・」
健介は報告書にあるテルバの履歴の部分を見て声を失う。
「どうした?」
ギルスが不信気に問う。
「このテルバの履歴の部分だ。」
健介が示した左記にある報告は、約13年ほど前の記述。
「ああ、それはテルバの以前の幹部に話を聞いたんだ。
間違いないよ。
その幹部はもう暗殺されたがね。」
ギルスが事も無げに言う。
健介はその報告を何度も読んで、思考を整理した。
そこに書かれているのは、当時、フィレイを誘拐して転生魔法でフィレイに乗り移ろうとしたテルバのボスと、その顛末だった。
まさか、こんなところで犯人一味を見つけるとは。
だが、当時の主犯格は既に死んでいるらしい。
他の共犯達も、この13年の間に1人また1人と死んでおり、最後の生き残りが今のテルバの主教でナナロムという事だ。
小さな宗教組織の中で、覇権争いでもあったのか?
良く判らないが、リアと健介はテルバとは因縁深い間柄らしい。
健介は気を取り直して席を立った。
「いつもながら十分な情報量だ。
助かるよ。」
「そう言ってくれるのは旦那だけだ。」
ギルスが泣き真似をする。
「嘘付け!」
健介はギルスに結構な顧客がいることは知っている。
裏社会では、そこそこ有名な情報屋だ。
「それじゃ、次は飲みに来る。」
「ああ、楽しみにしてる。」
健介は地下を出て、次の予定であるクリンとフィとの待ち合わせの店に向かった。
クリンとフィはオープンカフェのテーブルで茶を飲んでいた。
軍服姿でオープンカフェに居るので、一種異様で目立っていた。
「お前らな・・・」
2人の前に立って文句を言おうとしたが諦めた。
健介の方は念の為、ギルスに会いに行く段階から変装しているので、大きな問題は無い。
端から見れば、2人の軍人が情報屋と会っている、そんな感じにしか見えないだろう。
まあ、それもあながち間違っては居ないが。
「しょうが無いでしょ。
こっちだって忙しいのだから。」
クリンが少し赤面して口を尖らせた。
少しは目立っているのが不味いと判っているらしい。
クリンと健介が中心に話し合い、フィはそれを聞いていた。
クリンの話では、リアからの情報で軍の情報部を動かし、軍内部に居るテルバの関係者を洗い出している最中だという。
既に上級指揮官から数人見つかっており、慌しい雰囲気になっているという。
ただ、基本的には宗教は禁止している訳ではないし、見つけただけならそう大きな問題にはならない筈だったのだ。
しかし、見つかった者達は何故か暴れ出した。
見つけた者を攻撃し、証拠隠滅を図り、部下に命じて反乱を起そうとした。
まるで理性的な姿ではなかった。
「そうか。
何か薬でもやってるのか?」
「判らないわ。
それも調査中。」
健介は魔法の可能性も考えたが、10年以上この世界で生きてきて、精神に影響を与える魔法など転生魔法や念話魔法程度しか知らなかった。
しかし、転生魔法は影響を与えるといっても、移動させるだけなのだ。
念話についても同じである。
思考を変えるような細かい制御など出来るとは思えない。
いや、出来ていないから、暴れ出したのか?
「そっちの状況は判った。
これを読んで、クリンの判断で必要な情報を情報部へ伝えてくれ。」
健介はギルスから買った報告書をクリンに渡す。
「無論、情報源は秘密だぞ?」
「ええ、判ってる。」
クリンが内容を読んで行き、途中、目を瞠る。
「面白い情報があるわね。」
クリンが控えめに言う。
「だろ?
テルバとは妙な因縁があるようだ。
その部分に関しては、秘密で頼むよ。」
「ええ、判ってる。
ところで、ミコト。
その件で重要な話があるの。」
クリンが改まって言う。
健介は無言で頷いて促す。
「あのね、フィレイの中の人らしい人が会いに来たの。」
クリンは健介の様子を伺うように言う。
「・・・本物?」
健介はしばし思考停止して問う。
悪戯でそんな事を言う奴はいないだろうが、確認はすべきだ。
「フィに確認させたんだけど、多分本物だって。」
クリンがフィを見て言う。
フィの中にはドラゴンのランが居るが、ランもフィの子供の頃の記憶はもっている。
その記憶を照らし合わせれば、本人かどうかを判定できる。
「フィ、相手に子供の時の記憶を言わせて確認したのか?」
「うん、相手に言わせて、私の記憶と相違ないことを確認したわ。」
健介はフィの答えを訊いて考える。
間違いない。
それにしても、今の今まで如何していたのか?
「今何処に居る?」
「王都の宿に泊まってもらってる。」
クリンが答える。
フィとクリンに案内してもらって、その人物に会いに行く事にした。
小さな宿に着くと、クリンが宿に入ってその人物を連れて来た。
「あ、始めまして。
エルナと言います。」
エルナと自己紹介した熟年のおばさん・・・
クリンを見ると、苦笑して頷いている。
どうやら彼女の中身がフィレイらしい。
場所を移して、エルナ(フィレイ)から事情を聞いた。
あの時、転生魔法で精神と魂が移動されて目が覚めると、エルナの身体の中に居た。
エルナは小さな子供を持った母であり、父親は居らず、長旅をしてヴァージル領へと行く事は出来なかった。
仕方なくエルナの子を頑張って育て、子供が嫁いで、ようやく旅をしてここまで来たと言う事だ。
「うむ、それは大変だったねぇ。」
健介は自分は大分マシだったと思えた。
子供の精神のまま大人になって、子供を育てるとは・・・
「ええ、でもそれなりに幸せではありました。」
エルナは恥ずかしげに微笑んだ。
「事情は理解したけど、直に身体の交換と言う訳には行かない。
判っていると思うけど、あれは禁忌の魔法だからね。」
健介が警告する。
流れ上、健介が主導で話を進めているが、エルナは健介を如何思っているのか?
フィとクリンの知り合いだから、信用しているのか。
「はい、私も無理に身体を返せとは言いません。
ただ、私の身体がどうなっているのか、それを知りたかったんです。」
エルナは哀愁を漂わせている。
「エルナ、身体を戻せないと言ってる訳じゃない。
準備に時間が掛かると言ってるんだ。
まずはエルナ、ヴァージル領へと移動しないといけない。」
「ヴァージル領ですか?」
「こんな場合の為に、密かに準備はしてあるんだ。」
「じゃあ、ヴァージル領に行けば元の身体に戻れるんですね?」
エルナが嬉しそうに言って、フィを見る。
フィは笑顔を見せるが引きつっていた。
仕方ない、ここは本来の持ち主に返すべきだろう。
「向うへ行っても直と言う訳には行かないけどね。
とにかく、ヴァージル領へと向かおう。」
健介はエルナに荷物を取りに行かせ、クリンとフィに言う。
「なるべく早く休暇を取って、ヴァージル領へと来てくれ。
クリン、事情はクリンからリアに手紙を出して知らせてくれ。」
健介はエルナをヴァージル領へと送って、後はクリンとフィとリアに任せるつもりだった。
転生魔法はリアだけでも出来る。
クリンがサポートすれば問題なかろう。
健介はテルバについて調べ事など色々やる事がある。
クリンとフィと別れ、エルナと合流して、ヴァージル領へと向かった。
テルバの主教ナナロムは、軍に作った人脈が断たれていく事に何の痛痒も感じていなかった。
「あっちは囮だ。」
ナナロムは笑った。
ナナロムの魔手の本当の標的は軍務省にあった。
軍の元締めとも言える軍務省。
王族を直接狙うのはリスクが大きい為、軍務省の長官を狙っていたのだ。
さすがに、軍務省となると情報部も手出しがし難い。
その長官は既にナナロムの術中に嵌って、ナナロムの人形に過ぎない。
ナナロムの策を実行に移す時が来た。
軍務省長官は特務部隊に対し、ヴァージル伯シーリアの捕縛、または、止む得ない場合は討伐を命じた。
理由はドラゴンを使役し、それが魔族との繋がりを示すと言う理由だ。
無論、その命令を納得するものなど誰も居ない。
皆おかしいとは思いつつも、命令には逆らえない。
特務部隊の管理官は、軍務省の命令に対し、グレグセン部隊を派遣する事にした。
グレグセンは先の武闘大会でシーリアと顔見知りであり、説得するのに適任である。
もしもの場合にも、シーリアに対抗しうる手錬でもある。
フィレイとクリンについては、逆にシーリアの味方になる可能性もある為、今回は出撃を禁止させる事にする。
だが、管理官の通達の前日、既にクリンとフィレイは休暇を取って居なくなっていた。
グレグセン部隊は準備を整えて、静かにヴァージル領へと向かった。
同時に、ナナロムの私兵がその後ろに従った。
傭兵として、グレグセン部隊の補助と言う名目で付いて行くが、シーリアが捕縛された場合にはその暗殺が任務であった。
戦闘時、或は、逃走時には逸早くシーリアを討ち取る為に動く事になる。
ナナロム自身も私兵と一緒にヴァージル領へと向かっていた。
上手く前領主ヘインツに会う事が出来れば、ナナロムの力で取り入る事が出来る可能性がある。
それが駄目でも、既に幾つかの貴族を抱きこんでおり、養子の為の駒もある。
ヴァージル領に力を及ぼせる数少ない貴族だ。
他の養子候補はシーリアほど暗殺が困難と言う事は無いだろうから、問題にはならないはずだ。
駒の養子がヴァージル伯の爵位を継げば、ヘインツとミレーヌは殺してしまえば良い。
後は如何にでも出来る。
「後は、最大の障害、シーリアを殺すだけだ。」
ナナロムはヴァージル領へ向かう馬車の中で、確認するように囁いた。
ヴァージル領ではクリンが用意した宿の大きな部屋で、儀式が終わろうとしていた。
エルナはおっかなびっくりと言う感じで、魔法陣の中で緊張して横たわっている。
その隣にフィ(ラン)が横たわっていた。
前日、クリンとフィがヴァージル領に到着し、エルナと会ってから直にリアへと引き合わせた。
その時には既にミコトの姿は無かった。
その後、クリンがヴァージル領にある一番大きな宿で部屋を取り、準備をしていたのだ。
リアが保管していた転生魔法の写しを持ってきて、儀式が始まった。
エルナはこれまで魔術の勉強をした事が無いらしく、不安げにしていた。
平凡な母親だった彼女がフィレイの身体に入ったら、一体どういう反応をするのか?
リアは意地悪く想像してしまった。
何事も無く儀式は終了した。
先に起きたのはやはりフィレイだった。
「あ、私の身体・・・」
フィレイは自分の手を見詰めて固まった。
目が泳いで汗が流れる。
平凡な一児の母だった女性に、フィの軍人としての経験は刺激が強かったようだ。
まあ、無理も無い事だ。
誰かが自分の身体を使って戦争に行き、相手を殺している経験が、記憶があるのだ。
ビデオで見るのとは訳が違う。
健介にも経験がある。
今の身体、ドラゴンには人を食い殺した記憶があるのだから。
健介はその点、大して問題は無かった。
例えば、飢饉に遭って餓死した人間以外に食べるものが無ければ、健介は躊躇無くその死体を食べるだろう。
現実を受け入れ、自分に絶対必要な事なら躊躇はしない。
そう言うことが出来る精神力をもった人間、それが健介だった。
現実を受け入れる事については、こっちの世界に来てから、磨きが掛かったと言って良い。
フィレイが固まっている内に、エレナ(ラン)が目覚めた。
「ああ、これが母親の身体か。」
ランの第一声はこれだった。
リアとクリンは苦笑する。
ランの方は気にする必要は無さそうだった。
「フィレイ?
大丈夫?」
クリンが声を掛ける。
「え?
ええ、なんとか。」
クリンの声にはっと顔を上げるフィレイ。
その後、リアは直に屋敷へと戻り、部屋の片付けはクリン達がやった。
フィレイはまだ混乱しているようで、その日は元の宿へ戻って休ませた。
リアが屋敷に帰ると、ハモが待ち構えていて報告してきた。
「王都から軍がこちらへやって来るようです。
目的はシーリア様の捕縛、または、討伐と言う事です。」
「いつここに到着する?」
「はい、恐らく後4日程と思われます。」
「そう、テルバの仕業かしら?
随分速いわね。」
リアは身の振り方を考えねばならなかった。
「申し訳ありません。
こうも早く手を打って来るとは・・・」
ハモは悔しそうに俯いた。
「気にしないで、相手が上手だっただけよ。
これから如何するか考えましょう。」
そうは言っても、リアの打てる手はあまり無い。
王国軍が出てきたと言う事は、戦って勝てる相手では無いと言う事だ。
もし勝てたとしても、それは反逆者として各貴族からも狙われる事になる。
つまり、ヴァージル領の事を考えれば、素直に投降するか、逃げるしかないのだ。
「とにかく、もう少し詳しい情報が欲しいわ。」
リアはハモに情報収集を命じた。